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生き様-仕事の仕方

責任者は何と戦うか、その7。政権交代は野党が勝つから起きるのではない

オーストラリアでは、9月7日の選挙で、6年ぶりの政権交代が確実になりました。朝日新聞は、次のように書いています。
・・だが、野党・保守連合の政策が評価されたわけではなく、内紛と失策で労働党が「自滅」したのが実態だ・・
2009年の自民党から民主党への政権交代、2012年の民主党から自民党への政権交代の際も、「野党が勝ったのではなく、与党が負けたのだ」「与党内のごたごたや決められないことが、国民を失望させた」「野党は明確な対立する政策打ち出したわけではない」という評価もありました。イギリスでも、政権交代は与党が緊張感を失い、選挙民に飽きられることで起きると、言われています。
政権(与党)指導者は、野党と戦う前に、与党内部と戦っているのです。党内の各勢力を統合すること(反乱させないこと)、政策において成果を出すこと(党内の反対を抑えること)、与党議員に失敗や腐敗をさせないこと(緊張感を保たせること)などなど。
そして政権交代は、野党が勝つのではなく、与党が負けることで起こります。単純明快な争点を巡って争われることは少なく、政権与党は実績を国民に評価され、野党は国民の期待を受けるのです。

責任者は何と戦うか、その6。身内の敵が困る

先日の記事を読んで、読者から、「身内の敵が、一番やっかいです」とのメールが来ました。
そうですね、しばしば、前の敵より、後ろの敵が、扱うのが難しいです。「後ろから鉄砲が飛んでくる」「後ろから撃たれる」と表現します。
なぜ、後ろの敵の方が、前の敵よりやっかいなのか。
それは、前の敵は敵ですから、こちらから攻撃することができます。そのための鉄砲や矛があり、防御する盾があります。そこまでいかなくても、叩いても、怒鳴っても、しかられません。
しかし、後ろの味方には、それができないのです。鉄砲を撃つわけにはいかないし、盾で防御するわけにもいきません。そもそも、攻撃はできず、武器を持たないままに防御するしかないのです。
前の敵とは、対等に戦えます。殴り合いができます。でも、後ろの敵・身内とは、対等に戦えません。身内と戦うことが、リーダーシップを欠いていることや、支持を失っていることの証拠になります。
身内とは、いちばん小さな単位では、あなたの夫や妻であり、家族です。次に、課の職員であり、省内の部局です。さらに、政府にとっては与党であり、国内の各団体になります。もちろん、各党や各会社団体にとっても、構成員や支持者が、ここに言う身内です。
そして、ひどいときには、信頼していた身内に裏切られたり、反乱を起こされるのです。戦国時代の武将の内、何人が敵と戦って敗れたのか、それより身内の反乱にあって地位を失ったのでしょうか。

責任者は何と戦うか、その5。議会と世論

民主主義国家にあっては、大きな外交交渉や戦争は、議会の賛成が必要です。
シリアでの化学兵器使用に対し、イギリスのキャメロン首相は、議会の同意を取り付けることに失敗しました。アメリカのオバマ大統領は、大統領権限で武力行使をできるのに、議会の承認を得るという手続きを取っています。これはこれで、大統領と議会との駆け引きですが。
古いところでは、第1次大戦後、ウイルソン大統領が、国際連盟創設を唱えながら議会の賛成を得られず、アメリカが参加しなかった例があります。これに懲りて、ルーズベルト大統領は、第2次大戦後、国際連合を創設するに当たり、国会の賛同を得るべく議員にさまざまな働きかけをしました。アーネスト・メイ著『歴史の教訓―アメリカ外交はどう作られたか』(原著は1973年。邦訳は岩波現代文庫、2004年)p13~をご覧ください。なおこの本は、アメリカの指導者が、外交での判断の際に、どれだけ過去(前例)を参考にしたか、また間違って参考にしたかが、書かれています。勉強になります。
対外交渉(国際政治)をしつつ、国内対策(国内政治)もしなければなりません。国際政治学では、これを「2レベルゲーム」と呼びます(ロバート・パットナム。例えば、藤原帰一著『国際政治』(2007年、放送大学教育振興会)p85)。
民主主義国家でなくても、日露戦争のポーツマス講和条約について、条件に不満を持った民衆が、暴動を起こしました(日比谷焼き打ち事件)。世論はしばしば冷静でなく、時にはマスコミがそれをあおります。
世論におもねらず、我が身の危険も顧みず、日本の国益は何かを考え決断する。小村寿太郎の苦労、サンフランシスコ講和条約に踏み切った吉田茂の決意には、悲壮なものがあります。そして、ご家族の苦労も。
TPPなど、これからさまざまな国際交渉が続くでしょう。近年の国際交渉について、わが国の「国内対策」を整理分析した書物はありませんかね。

責任者は何と戦うか、その4。身内

内なる敵の第2は、身内です。
戦争にしろ交渉にしろ、責任者は外の敵(相手)と戦っていると、皆さんはお考えでしょう。でも、責任者は、前の敵より、身内(後ろ)と戦っているのです。
最近の例で、説明しましょう。TPP(環太平洋経済連携協定)の交渉に、日本が参加しました。交渉相手は、諸外国です。では、責任者の「敵」は、外国でしょうか。
象徴的な図が、8月24日の朝日新聞に載っていました。TPPに関する日本の体制です。トップに対策本部長として甘利明担当大臣の写真が、載っています。図ではその下に、交渉チーム約80人・鶴岡公二首席交渉官が左に、その右に、国内チーム約30人・佐々木豊成国内調整総括官がそれぞれ写真入りで載っています。記事には、次のように解説されています。
・・交渉が進めば、政府は関税をなくす農産物の絞り込みを迫られる。反発が強い与党や業界団体への調整や根回しを進めるのが、国内チームの最大の任務だ。
これまでの通商交渉では、各省庁の官僚がそのまま交渉に臨み、各省の利害が優先されがちだった。相手国から「日本は省庁や担当者によって言うことが違う」との苦情もあった・・
そうです。国際交渉にあっては、説得すべきは国内なのです(なお、引用した記事の後段は、先日の「仕組みと戦う」の例です)。
国内での交渉でも、次のような会話が交わされます。
「いや~おっしゃるとおり。あなたの提案に、私は同意するのだけど。その内容では、省内(関係者)を説得できないのですよ・・」
これは、多くの場合、半分は事実、残り半分は相手に譲歩を迫る「手口」です。「部下が収まらない」「関係者を抑えきれない」・・。
完璧に当方の主張が通る、というような交渉はないでしょう。取るものは取り、譲らなければならないものは譲る。応援団に配慮して交渉を決裂させることは、簡単です。しかしそれでは、前に進みません。あるいは、何も得られないまま、一人取り残されます。
しばしば、代表者は、テーブルの向こう側と手を結びつつ、後ろの応援団をどう説得するか、それに悩むのです。それは、相手の責任者も同じです。それぞれが「勝った」という理屈を見つける必要があります。
この延長で言うと、「軍縮交渉ができるのは、ハト派ではなくタカ派である」という通説も、理解できます。ハト派が交渉をまとめた場合、国内世論は、「ハト派は軟弱で、国益を損なって交渉をまとめてきた」と決めつけます。タカ派がまとめてきたのなら、「強硬派の彼らがまとめたのだから、仕方ないのだろう」と納得します。
この項、まだまだ続く。

責任者は何と戦うか。その3。決める仕組み

次は、内なる敵です。その第一は、「仕組み」です。事態だとか仕組みだとか、戦う相手としては不思議なものが出てきますが、私の主張は次のようなことです。
日本は、太平洋戦争(第2次世界大戦)に負けました。もちろん戦った相手は、アメリカなどの連合国です。しかし、責任者という視点から見ると、もう一つの戦いがありました。日本は、「国家としての意思決定過程」と戦っていたのです。そして、それに負けました。日本は、外ではアメリカに対して負け、内では「日本国」に負けたのです。
戦争に至る過程、戦略の失敗、終戦への決断について、その失敗を分析した書物は、たくさんあります。例えば最近の読み物としては、猪瀬直樹他著『事例研究 日本と日本軍の失敗のメカニズム―間違いはなぜ繰り返されるのか』(2013年、中央公論新社)があります(わかりやすい読み物です)。
そこには、何を戦争の目的とするのかの不明確さ。どこの国とどう戦ってどのような終結を向かえるのかについての戦略と方針の欠如。ひと暴れはできるが、その後の見込みのない戦略。長期戦になったら負けるとわかっているのに戦争を始める指導部などが、書かれています。これらは、既に常識になっています。
ではなぜ、そのような合理的な判断ができない政府になったのか。合理的判断がなくても、戦争に突入したのか。
一つの視角は、日露戦争との対比です(これも既に書かれています)。日露戦争も、難しい戦いでした。海軍は日本海海戦に勝利しましたが、陸軍の勝利はきわどいものでした。しかし、これ以上の戦争継続はよくない(できない)と、停戦に持ち込みます。そして、賠償金を得られないことで、国民の大きな不満にも直面します。
日露戦争も太平洋戦争も、ともに明治憲法体制だったのです。天皇が統治者であること、その下で政府や軍部が責任を分かち合っていることも、同じです。
責任者が一人なら、責任の所在と決定過程は明確です。例えば、アメリカのルーズベルト、イギリスのチャーチル。日本では、明治憲法体制では、責任は分散していました。それでも、日露戦争では合理的な判断ができ、太平洋戦争ではできませんでした。なぜか。
日露戦争時には、憲法を補った運用がありました。
明治には、政府と軍部の責任者が、日本国に対して責任感を有していたこと。これに対して、昭和にあっては、責任者たちはそれぞれの集団の代表だったこと。昭和の陸海軍は、それぞれに集団のメンツを競い、それぞれの中では、軍令と軍政が別の動きをします。そして、出先の軍は、中央の指令を無視します。
明治の指導者たちは、幕末と維新を乗り越えてきた戦友であり、政策決定共同体を形成していました。昭和の指導者たちは、それを持っていない、各組織のエリートでした(この弊害は、現代の官民の組織にも見られます)。
ここにあるのは、合理的な意思決定ができない政治メカニズム・国家体制・組織の論理です。
たぶん、当時の政治指導者たちの多くが、負ける戦争を始めたことについて「わかっているのだけど、止められないのだよ」と弁明し、大きな犠牲が出てもなお戦争を止められなかったことについて「私も早く止めたかったけど、できなかったんだよ」と言うでしょう。
では、「誰がその責任者ですか」と聞いても、明確な答は返ってこないでしょう。それが、私の言う「日本は、仕組みに負けた」ということです。
そこから導かれる教訓は、責任者を明確にすることです。そして組織である以上、複数の下部組織や関係組織が関与します。その場合に、意思決定過程を明確にしておくことです。
歴史の法廷を待つまでもなく、事態が進んでいる時に、「誰が、この事態に責任を持っているか」をはっきりさせることです。「私はこの部分は担当していますが、そのほかは所管外です」が繰り返されるようでは、だめなのです。それらを部下として、全体を考え責任を持つ人が必要です。そしてその人に判断をさせるまでの、情報を上げる仕組みが必要なのです。
蛇足。「赤信号、皆で渡れば恐くない」は、「一億総懺悔」に帰結します。そこには、責任者と意思決定がありません。それは、国民の命を預かっている政治指導者、社員の生活を負っている経営者が取るべき道ではありません。
この項、続く。