「災害復興」カテゴリーアーカイブ

行政-災害復興

地域の課題を解決する企業

河北新報が連載「トモノミクス」を続けています。趣旨は「企業の社会的責任(CSR)。21世紀、世界の企業に浸透し始めた概念だ。東日本大震災後、東北の被災地には無数の企業が足を踏み入れ、試行錯誤を重ねた。艱難の地へ、生活の糧を、癒やしを、希望を。企業を突き動かした衝動は何だったのだろう」です。

2月14日は1面で「ヤマト運輸、客貨混載で課題解く」を取り上げていました。
・・・宮崎県西部の西米良村。昼すぎ、蛇行する川沿いの街道を宮崎交通の路線バスが走ってきた。役場近くの停留所で待つのはクロネコマークのトラック。荷物のリレーが始まった。ヤマト運輸のドライバーが、村内で集めた荷物を手早くバスに積み込む。作業が終わると、バスは隣の西都市に向けて出発した・・・
・・・「客貨混載」の共同事業は2015年10月に始まった。宮崎交通はヤマトから安定収入を得られる。ヤマトは物流効率が向上し、取扱量が増えた。同社宮崎主管支店安全推進課長の下久史(しもひさふみ)さん(45)は「ドライバーが現地にいる時間が増え、お客の利便性が上がった」と手応えをつかむ。
「三方よし」の精神が地域の生活と経済を回す。その原点は岩手県にあった。
15年6月、ヤマト運輸は岩手県北バス(盛岡市)と提携し、盛岡市と宮古市重茂地区を結ぶ全国初の客貨混載バスの運行を始めた。発案者は震災直後、同県内の救援物資輸送を担った松本まゆみさん(現ヤマト・スタッフ・サプライ)・・・

被災地で暮らしを支える、にぎわいを取り戻すために、企業が様々な試みをしてくれました。この「ひとものバス」もその一つです。バスも宅配便も、地域にはなくてはならない生活インフラです。しかし、乗客や荷物が少ないと、経営は成り立ちません。さらに運送業は、近年は運転手不足に悩んでいます。それらを解決する方法です。ありがとうございます。詳しくは原文をお読みください。
被災地での挑戦が、全国に広がると良いですね。

原発事故放射線量の減少

原子力規制委員会が、福島第一原発周辺の放射線量地図を公表しました。毎年この時期に、公表しています。
4ページ目を見ていただくと、事故直後に比べ、線量の高い地域が劇的に減っています。このことで、避難指示を解除し、住民に戻ってもらえるようになったのです。
事故直後に「この後どうなるんだろう」「人は住めるのだろうか」と議論していたことが思い出されます。もっとも、まだまだ線量が高く帰還の見通しが立たない地域(地図では赤と黄土色の区域)もあります。
71%の減少だそうです。放射性物質の物理的減衰だけだと59%ですが、雨に流された、地中に潜った、除染したことなどで、さらに減ったようです。放射性物質、これは目に見えな小ささですが、土にくっついてしまいます。なので、風が吹いても飛ばず、雨で水に溶けることもないようです。ただし、泥水になって流れ出ることはあります。透き通った水なら、含まれていないので安全です。

新3K産業

「新3K産業」って、知っていますか。かつて流行した「3K」という言葉は、労働環境や作業内容が「きつい 」「汚い 」「危険」(あるいは暗い)職場を指しました。その頭文字Kをとった造語です。
それに対して、新3Kは格好良いですよ。「カッコよくて」「稼げて」「革新的」です。2月8日に紹介した「新しい東北顕彰」のうち、「フィシャーマン・ジャパン」の紹介文に出てきます。漁業を、新3K産業に変えようという挑戦です。
地域産業が栄えるかどうかの一つの試験紙が、後継者がいるかどうかです。「俺の息子には後を継がせない」では、衰退します。「東京に行くより、役場に就職するより、ずっと稼げる」となれば、若者は戻ってくるでしょう。そのような養殖漁業もあります。もっと広がることを期待しています。

復興庁5年、私のインタビュー

河北新報の復興庁5年の連載に、登場しました。
2月11日は、「司令塔 評価と課題(中)変質」です。
・・・「自由主義経済の日本の哲学を変え、新たな災害復興の形を創った」
復興庁の岡本全勝前事務次官は2016年6月21日、退任の記者会見で強調した。
従来の概念を覆し、産業やコミュニティー再生にも国費を投入した東日本大震災からの復興。発生直後から政府の事務方を仕切り、先導したのが岡本氏だ。「霞が関の治外法権」と庁内外で呼ばれた。
現場嫌いと前例踏襲。官僚の習癖が非常事態の障壁になると感じた岡本氏は、被災地に職員の視察派遣を何度も繰り返した。
「仮設住宅の前では、きれい事だけでは通じない。何らかの答えを出さざるを得ないはずだ」。狙いは当たり、グループ化補助金など前例のない施策が省庁から提案される。岡本氏は首相や与党幹部と掛け合い、実現の道筋をつけた・・・

2月12日は「司令塔 評価と課題(下―1)前復興庁事務次官 岡本全勝氏に聞く」です。
・・・復興庁の5年間の取り組みをどう評価するか。
「全体的に及第点をもらえると思う。職員が何度も被災地を訪れ、被災者と首長の意見を聞き、信頼関係を築いた。インフラ再建に限定された従来の災害復旧から踏み込み、産業、コミュニティーの再生も担った」
「国が手を出さない分野や省庁間の隙間を埋めた新たな施策は、霞が関の司令塔、調整役として機能した証しではないか。グループ化補助金はコペルニクス的な発想転換であり、東京の大手企業と被災地の企業をつなぐ民間コンサルタントのような役割も果たした」・・・

・・・過疎化が進む中、巨費を投入しての高台移転に将来を懸念する声がある。
「離島から山奥まで道路、上下水道、学校を整備したのが、戦後の日本という国のかたち。憲法には書いていないが、上位概念にあると思う。どこに住んでも普通の暮らしをさせることが戦後の行政。東日本大震災の復興は、その延長線にある。費用対効果で測れない、国のかたちだ」・・・

詳しくは、原文をお読みください。