「災害復興」カテゴリーアーカイブ

行政-災害復興

自主避難者の意向調査

原発事故の避難指示区域以外から避難した人、いわゆる「自主避難者」については、これまで住宅を無償で提供してきました。無償提供を終了するので、その後の住まいについて、意向を聞きつつ、次への支援をしています。福島県が戸別訪問をしています。最近の調査結果が公表されました。「避難指示区域以外からの避難者の4月以降の住まいに関する意向」。
それによると、未確定だった人も、順次、次の住まいを決めておられます。未確定は、1万1千世帯のうち、250世帯で約2%です。

これは、津波被災地域での仮設住宅終了でも、よく似た事情があります。窮屈な仮設住宅での生活を続ける人には、それなりの事情があります。
・5年も住んだので、その仮設住宅を離れがたい人。友達もできています。「この歳になって、新しい住宅もねえ」とおっしゃる方もいます。
・高齢になって、判断ができない人。
・すこしでも無料の住宅にいたい人。
などです。それぞれに戸別訪問をし、マンツーマンでの相談に乗って、次の住宅をお世話しています。仙台市も、このような取り組みで、たくさんあった仮設住宅を終了しました。ほかの市町村も、そのような取り組みをしています。

原発事故で避難しておられる方にも、同じように相談に乗って、次の生活を選んでいただくのが良いと思います。すなわち、
・戻れる人には、戻ってもらう。
・「帰還条件がそろうまで待つ」という方には、県内に造った公営住宅で待ってもらう。
・「帰還するのは不安だ」という方には、避難先で定住していただく。
だと思います。
「戻りたくない」という方に、帰還を勧めたり、このまま長期間にわたって「避難者」という分類にしておくのは、よくないことでしょう。その際に、生活について相談に乗ることが重要です。

被災地復興視察

今日は、南相馬市小高区と浪江町を視察してきました。小高区は去年の夏に避難指示が解除されました。徐々に住民が戻ってきています。駅前の商店で聞くと、これまでは復旧の作業員が多く、弁当、パン、カップ麺、お酒、おつまみが売れ筋だったのですが、住民が戻ってきたので野菜や調味料の要望が多くなったのだそうです。なるほど。
小高地区では、この4月から、小、中、高校が再開します。その準備を見に行ったのです。子供を持つ親御さんに安心してもらうため、徹底的な除染と校舎の改修をしています。
浪江町はまだ全町避難中ですが、今日の午前に、町長が3月31日に避難解除することを決断しました。太平洋岸に請戸漁港があります。25日に、避難先(近くの漁港)から26隻の船が帰還しました。ここでも、徐々に復興の動きが進んでいます。

今日は、奈良テレビの取材班が同行してくれました。現場には市長さんも来てくださり、また放射線量を調査する担当者もいて、その様子もカメラが撮っていました。ちょっぴり「ブラタモリ」気分でした。
もっとも、こちらは住民が避難しているという厳しい現実です。しかし、いろんな機会を通じて、復興が進んでいることを関西の人にも知ってもらえると、うれしいです。また、農産物も安全で、観光地も安心できることを知ってもらいたいです。

福島のホテルで、携帯用のパソコンでこの記事を書いています。松島社長にホームページを作り替えてもらって、便利になりました。

産業復興の事例集

復興庁が、被災地の産業復興の事例を紹介する冊子「産業復興事例30選 東北発私たちの挑戦」を作りました。
震災後に売上等を回復させている企業(グローイングアップ企業)、過去の事例集に掲載した企業のその後の成長の事例(フォローアップ企業)、震災前後に新規創業、又は新規事業を開始した企業の事例(スタートアップ企業)の合計30社です。参考にしてください。電子版のほか、冊子も余部がありますので、お申し込みください。

見ていただくと、さまざまな商売があり、さまざまな工夫と苦労をしておられます。機械設備の復旧には国費で支援をしたのですが、売り上げを伸ばし事業として継続するのは、経営者の手腕です。
過去に取り上げた企業の、その後も追跡しています。それも含め、各事業所とつながりを持ち続けることは、役所としては結構珍しいことです。補助金なり減税なり申請を待って対応し、その後の見守りはあまりしないのです。しかし、補助金交付の件数と金額は、政策の「出力」アウトプットであっても、政策の「成果」アウトカムではありません。正しい政策なら、補助金なりの成果がどのように出たかを追跡すべきです。
これらの企業には、外からの視察団などを受け入れてもらっていて、ご迷惑もかけているのですが。被災地の産業が復興している実例を世の中に広報するために、ご協力をいただいています。ありがとうございます。

ワーク・フォー・東北、2

2月24日に書いた「ワーク・フォー・東北の話」、25日の河北新報が取り上げてくれました。「民間の知恵被災地に 自治体派遣社員ら研修」。
一昨日も書いたのですが、このように派遣された職員たちの研修とともに、受け入れた側の自治体でも、その成果と今後どのように活かすかを評価する反省会をしてほしいものです。

手厚い支援や賠償が自立を妨げる面も

2月25日の朝日新聞別刷りbe「フロントランナー」は、福島県浪江町の、川村博さんです。原発事故で避難指示が出た区域ですが、立ち入りが可能になった土地で花作りをしておられます。
・・・今春、避難指示が解除される予定だ。楽観はしない。「元通りにはならない。町外の人が、浪江に住みたいと思える魅力をつくらないと」。冷静に見る背景には「住民が変わってしまった」と思う、つらい経験があった・・・
・・・育てた野菜から放射能が検出され、憔悴していた2013年。浪江町の数人から、忠告された。
「勝手に戻って農業なんかするな」
当時、町を挙げて、東京電力が払う慰謝料(1人月10万円の賠償金)を増やせと、集団申し立てをしていた。避難指示がいつ解除されるか全く見通しがないのに、復興が進んでいるように東電から見られると、賠償が減らされる、という心配だ。
「復興は遠いなあ」。肩を落とす。その前にも悲しい経験がある。
原発事故から10か月後、福祉の経験を生かし、福島市などにある浪江町民向けの仮設住宅で、避難者を支援するサポートセンターの運営を始めたときだ。
ふるさとでの畑仕事を懐かしんでいた避難者のため、仮設周辺の畑を借りた。1年目は数十人が農作業に参加した。それが2年目になるとパッタリ。「都会の生活に慣れ、昔の暮らしに戻れなくなっていた」
仮設住宅には、全国から多数の支援団体が訪れる。避難者は物資などには困らなくなる。一件良さそうだが、手厚い支援や原発賠償の制度には、自立するきっかけや、ふるさとに戻る意欲をそぐ面もある・・・
原文をお読みください。