「災害復興」カテゴリーアーカイブ

行政-災害復興

復興予算の執行状況

4月13日付けの各紙が、東日本大震災の予算の使われ方を報道していました。会計検査院の検査結果です。例えば、朝日新聞です。
・・・東日本大震災の集中復興期間だった2015年度までの5年間に、国が復興予算として計上した総額約33兆5千億円のうち、15年度末までに約9兆円が使われていなかった。会計検査院の調べでわかった。事業の遅れなどが影響したという。多くは翌年度以降の財源になっているが、事業内容が未定のまま計1千億円以上が自治体の基金に積み立てられていた。予算が使われたものの、十分に活用できていない事例もあった・・・

詳しくは、それぞれ本文を読んでいただくとして。
いささか、感慨にふけりました。復興を含め通常の事業なら、自治体から「予算が足りない」「毎年陳情しなければならない」などの要望や批判を受けます。ところが、今回は逆です。配られた予算が使い切れないのです。
他方で、「もっと精査して予算を計上し、配分すべきだ」という批判も受けます。もちろん、予算通りに執行されることが良いことなのですが。

復興事業の特徴として、精緻な計画や見通しがない状態で、事業を進めなければならないのです。また、現地で執行しやすいように、単年度でなく複数年度でも予算を配分しました。自治体で基金として、持っていてもらうのです。もし使い切れなかったら、翌年に繰り越してもらいます。
年度末に一々国に返納して、翌年に改めて申請をし直すというような手間を省いたのです。数年経って使い切れないとなれば、国庫に返納してもらいます。

自治体は安心して、事業を進めることができたと思います。
私は、今回のこの手続きは、ほかの事業にも応用できると思います。それによって、各自治体、各省、財務省、会計検査院の作業が、簡素化されるのです。関係者の大英断だったと思います。
このような良いことは、あまり報道されず、評価されませんねえ。

総理、福島視察

今日4月8日は、安倍総理のお供をして、福島の原発被災地復興を視察してきました。楢葉町の生乳生産を再開している牧場、帰還できるようになった富岡町夜の森の桜並木、同じく浪江町の商店、南相馬市では再開された小学校に行ってきました。
3月と4月に避難指示が解除された地区を中心に、復興の様子を見ていただきました。

企業による営農再開支援

新鮮なお米を販売している「舞台アグリイノベーション」。かつてこのページでも紹介しました(2016年12月3日)。今度は、福島の被災地で、農家と組んで、稲作の再開を支援してくださいます。かなり工夫した仕組みです。
記者発表資料」特に「取組概略図」を見ていただくと、関係者の役割分担と、支援の仕組みが分かります。農地の保有者19人から農地を借り受け、地元の営農組織が稲作をします。舞台ファームが技術支援をして、舞台アグリイノベーションが全量を買い取ります。
今後の、一つの稲作の形態だと思います。農家の高齢化、小さな規模では儲からないことから、集団化が必要です。このように地元の営農組織が、農地を借り受けて耕作すると、貸す側の農家も安心でしょう。特に原発事故被災地では、営農再開に様々な困難があります。今回の挑戦が成功して、広がることを期待しています。

イギリス、廃炉作業に163年。

3月23日の読売新聞夕刊に、「英原子力事故 廃炉に163年」という記事が載っていました。英国北西部のセラフィールド原子力施設にある、ウィンズケール原子炉は1957年に国際原子力事故評価尺度でレベル5の火災事故を起こしました(福島第一原発事故はレベル7です)。
・・・事故発生から既に60年だが、同施設を運営するセラフィールド社のロジャー・カウトン渉外本部長は「原子炉建屋には核燃料が残っていて、解体の方法はまだ決まっていない」と語る。廃炉作業終了の目標は、今から約100年後の2120年。事故から廃炉まで、163年かかる計算だ・・・

事故を起こした原発の廃炉作業は、時間がかかるのですね。福島原発も同様でしょう。また、数10兆円という膨大な経費がかかると想定されています。それは、電気料金や税金でまかなわれます。安全第一で、かつ経費も安く進めてほしいです。

原発事故避難指示解除

ニュースで報道されているように、原発事故避難指示区域のうち、飯舘村(の大部分)、川俣町山木屋地区、浪江町(の一部)、富岡町(のかなりの部分)が、3月31日と4月1日に、避難指示が解除されました。避難指示の区域は、1,150平方キロから370平方キロに、対象区避難者数は8.1万人から2.4万人に、それぞれ約3割になりました。「原子力災害対策本部資料p2
これで、帰還準備区域(緑)と居住制限区域(黄色)は、ほぼ解除されました。富岡町と浪江町は、解除されていない地区もあるのですが、町の中心部が解除されたので、街の機能を復興することができます。
残るのは帰還困難区域(赤)です。この区域は、線量が高く帰還の見通しは立ちません。双葉町と大熊町は、ほとんどがこの赤になっています。そこで、線量の低い町の中心部を復興拠点として、限られた区域ですが、そこから復興を進めることとしています。避難指示の解除は、ひとまずこれで一段落です。

帰還できるようになったとはいえ、一気に元のにぎわいが戻ることはありません。住民意向調査では、多くの人が戻らないと決めています。帰還する住民が少ないと、商店も成り立ちません。働き手の何割かは、避難先で新しい仕事についておられます。子供は、避難先の学校に通っています。
住む場所を決める要因は、「働く場所」「学校」などでしょう。年金生活者などは、自由に住所を選ぶことができますが、多くの生活者はそうはいきません。住みやすい環境を整えて、徐々に人が戻ることを待つことになります。

個人的な感想を述べるなら、6年前には、このように早く住民が帰還できるとは想像していませんでした。原発事故対処は私の所管でなく、原発事故の状況や避難指示などは、離れてみていました。目に見えない放射能、いつになったら住むことができるまで線量が下がるのか不明だったことなどの理由から、見通しが立たなかったのです。また、「帰還困難区域」(赤の区域)は、戻れないことを前提に、東京電力が土地建物などについては全額の賠償をして、故郷を失うことについての精神賠償をしました。この区域は、住民は戻れないとしたのです。
予想以上に放射線量が下がり、また放射性物質が風で飛んだり水に含まれることもありませんでした(土にくっつくのです。だから、真水は問題ありません。泥水は放射線物質が含まれることがあります)。土を剥がしたり草木を刈る除染作業も、試行錯誤の上で、効果を発揮しました。なにより、町長をはじめとする関係者たちの、「帰るのだ」という強い意思がありました。

避難指示解除は、帰ることができるという、出発点です。津波被災地で言えば、水が引いたと同じ状態です。これから、街のにぎわいを取り戻すために、息の長い取り組みが必要です。
また、避難先で定住された人のほかに、戻るために待っている人、迷っている人がおられます。その人たちの相談に乗ることが必要です。
4月1日の朝日新聞に長谷文記者が、福島県庁職員の家庭訪問の実態を書いています「復興へ、はじめの一歩」。一般の方には知られていない仕事です。報道してくださり、ありがとうございます。