カテゴリー別アーカイブ: 災害復興

行政-災害復興

福島協議会

今日は、福島市で、「国と県との協議会」と「双葉郡8町村との意見交換会」を開きました。県との協議会はこれまで4回開きましたが、今回「福島特別法」が成立し、正式に位置づけられました。会議は、引き続き、福島で開くことにしています。国からは、復興大臣、環境大臣、経産大臣や担当職員が出席しました。福島の再生、区域の見直し、賠償、除染、インフラの復旧と、関係省庁は、たくさんになります。大部隊でした。
今日は、これからの課題を整理するとともに、福島特別法に基づく「基本方針」の骨子案を示しました。また、避難区域の5年後、10年後の放射線量予測地図を示しました。
福島の復興にあっては、「県全体の復興と再生」と「避難区域の対策」の2つの要素があります。そして、後者にあっては、「帰還できる地域の復旧」と「当分の間帰還できない人たちへの支援」が必要です。帰還できる地域は、除染やインフラの復旧を進めます。
他方、すぐには帰ることができない地域は、既に示した「5年以内に帰ることができる地域の地図」とともに、「5年ないし10年経っても帰還できない線量の高い地域の地図」を示す必要があるのです。避難しておられる方々に、今後どのように生活するかを考えていただく、すなわちどこで待つか、あるいは新しい生活を選ぶかを、考えていただくために必要です。一方で、賠償や補償の具体化も必要です。
区域の見直しが進むことによって、地域ごとの次の課題が見えてきました。避難されている方にはご不便をかけていますが、順を追って、対策を進めています。

原発避難区域視察

今日は、復興大臣のお供をして、南相馬市と浪江町に行ってきました。南相馬市は、南部地域(小高区)の警戒区域が16日に解除され、避難解除準備区域になりました。警察による検問がなくなり、自由に行くことができます。ただし寝泊まりはできません。
この地区は、地震と津波被害が大きく、ガレキの片付けや壊れた住宅の再建も、これからです。上下水道も壊れているので、これを修理しないと住むことはできません。
一方、浪江町は、大半がまだ警戒区域です。爆発当日の風向きと雨の関係で、浪江町に多くの放射性物質が落ちたのです。町に入る際に、警察の検問があり、各自が首から積算線量計をぶら下げます。
線量の高いところで、車から降りる際には、防護服を着ます。といっても、放射線を防護するものではありません。放射性物質を取り込まないためで、頭に帽子のようなものをかぶり、上着とズボンの上にカッパのようなものを着ます。ビニールのカッパを想像してください。マスクと手袋をして、靴にもカバーを掛けます。全て使い捨てです。
もっとも、既に放射性物質(セシウム)は、土やアスファルトに強くくっついていて、風が吹いたくらいでは飛んできません。飛ぶくらいのものは、これまでの雨や風で流されているのです。町を出た後、防護服を脱いで測ってもらいましたが、私の体(服)も靴の裏も、なんともありませんでした(自然状態と同じという意味です)。
除染は、土をはぎ取ったり、高圧の水で流します。建物や道路は比較的簡単ですが、山林は困難です。自然減衰と雨による洗い流しを待つところも多いです。もっとも、半減期と雨によって、急速に放射線量は下がっているようです。
桜やモクレンが花盛りで、野良牛も集団でのんびり草を食べていました。

首都直下地震の想定

4月19日に東京都が、「首都直下地震等による東京の被害想定」を発表しました。20日の新聞各紙が、解説とともに伝えています。地震が起きるとどのようになるか、新聞をお読みください。
阪神淡路大震災や東日本大震災も、たいへんな被害をもたらしましたが、それよりもはるかに大きな被害をもたらします。
例えば、東京駅に48万人が滞留します。このほかに、新宿駅で36万人、渋谷駅で18万人などとなっています。これだけの人を収容し、食事とトイレと寝る場所を提供するとしたら・・。
東日本大震災の当初の避難者が、関係県全てで47万人でした。津波で大被害を受けた岩手県沿岸の12市町村の総人口が27万人です。東京の場合の人数の多さが、わかってもらえるでしょう。

2日後には、街のスーパーやコンビニから、水や食べ物がなくなるでしょう。水道、電気やガスも止まり、暮らしていけなくなります。都会では、たき火で暖を取ることも不可能です。高層マンションでは、エレベーターが動きません。
また、東日本大震災の時に、政府が支援に乗り出せたのは、東京が被害を受けなかったからです。霞ヶ関の官庁の建物は残りますが、職員が出勤できません。災害応急職員は近くに住んでいますが、多くの職員は鉄道が止まると出勤できないのです。よって、機能しなくなります。

県外避難者への支援

大震災による避難者は、47都道府県に分散しています。県外に避難している人も多く、その方々の支援も重要です。県外にいると、新聞も違い、ふるさとの情報が少なくなります。
避難先のNPOが、この人たちの支援をしてくださっています。例えば、山形県では、「復興ボランティア支援センターやまがた」が中心になって活動しています。先週、支援団体が集まって意見交換をしました。県外避難では、山形県や新潟県が多いのです。いろいろな指摘をもらいました。ありがとうございます。

ネットがつなぐ被災地が欲しいモノと支援者

4月13日の毎日新聞が、「復興市場」を紹介していました。「復興市場」とは、被災者が求める商品をネット上に公開し、被災地の商店もネットに載せてあります。支援したい人は、ネット上で商品を選びお金を払うことで、商品が被災者に届くという仕組みです。通販の一種で、寄付を求める者と寄付する者の間で無駄がなく、また地元の商店も潤います。詳しくは、「復興市場」のサイトを見てください。ネット時代ならではの仕組みですね。
被災地が必要とする物資を贈る仕組みとしては、「ふんばろう東日本支援プロジェクト」が、有名です。西條剛央著『人を助けるすんごい仕組み』(2012年、ダイヤモンド社)。