7日の日経新聞夕刊「永田町インサイド」は、「安倍色骨太、改革力に陰り?」として、2001年からの「骨太の方針」の歴史を、簡単な表にして解説していました。
カテゴリー別アーカイブ: 経済
経済
変転経済
2日の朝日新聞「証言でたどる同時代史」は、「賃上げ春闘の終焉」でした。高度成長期以来、「みんなで一緒に豊かになろう」と、春闘方式で給料を上げてきました。それは、労働組合が横並びで交渉し、賃金表を引き上げる(全員の給料が上がる)というものでした。ベースアップ=ベアです。それが、2002年に終わりました。
企業の業績が悪化したこと、企業間のばらつきが大きくなったこと、右肩上がりでなくなり、また業績評価の導入によって全員の賃金を引き上げることが難しくなったことが、背景にあります。
このような労組もまた、右肩上がりの時代の産物だったのでしょう。みんなで一緒に給料を上げようというのは、右肩上がりの時代でないとできません。給料のパイが大きくならないとき、そして年功序列・平等取り扱いが崩れ業績評価が大きくなると、そのようなことは続けることはできません。正規職員と非正規職員との間に大きな差がつくときに、正規職員を組織した労組は既得権擁護となります。パートや派遣が3分の1を占め、その人たちが労組に入っていません。労組の組織率が、20%を下回りました。しかも日本の労組は、産業別でなく企業別です。
変転経済
朝日新聞連載「証言でたどる同時代史」、26日は「サラリーマン安泰の終わり」でした。1997年11月に破綻した山一証券を取り上げています。社長が記者会見で「社員は悪くございません」と泣いた映像は、その後何度も放送されました。
93年には、簿外の含み損が5千億円を超え自己資本に1,500億円ほど食い込んでいる、このままでは5~6年以内に破綻するとの報告書がまとめられていたとのことです。しかし、問題を先送りするサラリーマン幹部の体質が、致命傷になりました。自分が担当の時は損失を表面化させたくない、縦割り組織では自分の担当のところだけきれいにすればいい。右肩上がりの時は、それでも解決したのです。
「護送船団行政の下で、経営陣は大蔵省とうまくやるのが仕事だった。追いつけ追い越せとハッパをかけることはあっても、手腕を問われる場面はなかった」。市場は右肩上がり、社員も昇進と昇給、終身雇用が約束されていた・・
しかし、右肩上がりの時代が終わり、規制と保護の行政が終わったときに、この手法ではもたなくなったのです。サラリーマンにとって、会社は退職後も守ってくれる運命共同体ではなくなりました。その後、成果主義が広がり、労働者派遣が広がりました。
低い日本の労働生産性
23日の朝日新聞は、「労働生産性、日本なぜ低い。先進7か国中で11年連続最下位」を取り上げていました。労働生産性の意味や、日本の問題をわかりやすく解説しています。日本人は優秀で、日本の経営は世界のトップだといわれていたのですが、このような数字を見せられると、ショックですね。
・・労働生産性は、各国が生み出した付加価値の増額であるGDPを、全就業者数で割って算出する。労働者が一生懸命働いただけでは、上がらない。駅の改札が自動化されると、駅員は少なくてすむように、設備投資や組織運営など経営者の判断が大きく作用する・・・
官業の民間開放
日経新聞経済教室は21日から、「官民の役割を見直す」を始めました。初回は、八代尚宏先生の「公共サービス、市場に曝せ」「競争で効率性追求、民にできぬ範囲再検討を」です。
市場で得られない公共サービスは、政府が責任を持って供給しなければならない。しかし、公共サービスのすべてが、公務員でなければ提供できないわけではない。生活に欠かせない電力・ガスを供給する民間企業は、事業法の制約の下で公益性が担保されている・・・官が民と張り合って、財やサービスを提供することは、サッカーの試合で審判が選手を押しのけ、シュートするようなものである。選手に自由にプレーさせる一方で、不正を行う選手は一発退場させ、公平で熱気ある試合を作り出すことが、審判の本来の役割である。
・・いうまでもなく、官業の民間開放は万能ではない。官の独占体が民の独占体に変わることは、もっとも避けるべきだ。国が抱え込んでいた事業を市場の競争に曝す一方で、それが民の事業と対等な立場で競争するような事後規制を担保する必要がある。人々の安全を守る責任では、官民事業者の違いはない。「官でなければできない仕事」とは何かを、抜本的に検討する時期に来ている。