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社会

依存こそ人間の強み

日経新聞夕刊連載「人間発見」、熊谷晋一郎・東京大学准教授の「気軽に依存しあう社会に」から。

第1回(8月8日
私とはいったい何者なのか。生きづらさを和らげる解は自分自身の探求にあるのではないか。生まれてすぐ脳性まひを患い、障害を持ちながら小児科医に。東大で「当事者研究」という学術分野を切り開いた。

1977年生まれで、「障害とは何か」という思想の大転換を経験した世代です。
かつて障害とは障害者自身の問題であり、訓練や治療で社会適応を目指すべきだと考えられていました。60年代以降の障害者運動や81年の国際障害者年を機に、障害とは多数派である健常者向けに最適化された社会環境と、少数派の障害者とのミスマッチで生じる不利益だとの考えが広まりました。障害とは体の「中」に存在するのではなく、「外」の環境によって発生するということです。

第4回(8月12日
自身の抱える問題を観察し、説明する当事者研究は、もともと北海道浦河町にある社会福祉法人「浦河べてるの家」で01年に始まったものです。幻覚や妄想を持つ精神疾患の当事者が、支援者や仲間にサポートされながら生み出した「自分助け」の方法です。
研究に決定的な発見をもたらしたのは、薬物依存症からの回復支援施設「ダルク女性ハウス」との出会いでした。アルコールや薬物といった物質に依存するのは、裏を返すと、心に傷を負って人間不信になり、他人に頼れない状態のなかで生き延びるためだと気付かされました。近代の社会は自立や自己決定を善としますが、ヒトという種は元来1人では生きられず、依存しあってギリギリ生命を保ってきたのです。
依存は人間のお家芸であり、強みです。愚痴ったり、できないことを手伝ってもらったりするのが当たり前の姿です。自立とは依存先を増やすことだ――。目からうろこでした。

「自己責任」かざした自分が弱者に

8月1日の朝日新聞「元首相銃撃 いま問われるもの」、中島岳志さんへのインタビュー「「生きづらさ」の原因求め、誰かを敵視」から。

――生きづらさを抱えている人たちのために必要な政策は何ですか。
一つは「リスクを社会化」していくこと。セーフティーネットを強化して、所得の再配分機能を高めることも必要です。もう一つは「社会的包摂」。孤立している人を社会のなかに包み込んでいくことです。
ただ、政策論だけではやはり限界があります。人間観を根本的に見直さないといけないのではないかと思っています。山上容疑者を含め、いまの僕たちは、自己責任という呪いのような人間観にとらわれていると考えるからです。

――どうしたらいいのでしょう。
山上容疑者のものとみられるツイートには、こうあります。「何故かこの社会は最も愛される必要のある脱落者は最も愛されないようにできている」。彼にも愛されたい気持ちがきっとあった。でも、弱さはマイナスの価値であると思いこみ、助けを求められなかったのでしょう。
まず弱さを認めること。誰かを頼っていいし、泣きついてもいい。自分の弱さを受け入れるところから、人と人との連帯の可能性が生まれてくると思います。

男らしさが生む中高年男性の孤立

8月2日の日経新聞「コミュニケーション不全の時代」、本田由紀・東京大学教授の「中高年男性の孤立 注視を」から。

・・・図は60歳以上の高齢者が対象だが、同様の傾向は年齢層を広げても見いだされる。ISSP(国際比較調査グループ)の17年の日本調査では、「悩みごとを相談できるような友人の数」を質問している。社会学研究の村田ひろ子氏の分析によれば、そうした友人が「いない」比率を見ると、男性の場合20代以下、30代、40代では順に12%、14%、23%だが、50代、60代、70代以上では順に37%、36%、53%と、中高年齢層で明確に多い。
女性では、「いない」比率が最も多い70代以上であっても27%にとどまり、60代で19%、より若い層では10%未満であることと比較しても、日本の、特に中高年男性の社会関係資本の少なさが突出しているといえるだろう。深刻な孤立であると言い換えてもよい。

社会的に孤立していても、充足感が得られていれば問題はないかもしれない。しかし同調査の40代、50代の男性において、「悩みごとを相談できるような友人の数」が2人以上の場合には「生活に満足している」割合は65%であるのに対し、1人以下の場合は46%と、約20ポイントの開きがある。
また、後期高齢者を対象とする調査データを分析した実践女子大学の原田謙教授の研究においても、特に男性において、友人数が少ない場合にメンタルヘルスや生活満足度が下がることが検証されている。さらには、悩みごと相談ができる友人が「いない」場合に、「排外主義的」な意識が高まるという計量分析結果を、成蹊大学の米良文花氏が示している。
ここからも、悩みごとを相談できるような友人が「いない」ことは中高年男性にとっても否定的な影響をもつことが推測でき、しかも「いない」比率が日本の中高年男性では相当程度高いのである。

さて、先のISSPの結果を考える上で重要なのは、「友人」ということに加えて「悩みごとを相談できる」という設問のワーディングである。「人前で弱みをさらけだしてはならない」ということは、日本に限らず、国内外に共通する「男性性」の重要な構成要素とみなされる。友人数の多寡には、学歴や就労形態、家族構成、団体所属、幼少期の経験など様々な要因が影響しているが、それらに加えて「男らしさ」の規範が、中高年男性の社会関係資本形成を阻害していることが容易に疑われる。
実際に、電通総研が21年に実施した「男らしさに関する意識調査」の結果では、「自分が抱える心配や不安、問題についてたくさん話す男性は、真に尊敬されるべきではない」という項目を「とてもそう思う」もしくは「そう思う」と答えた比率は、18~30歳と31~50歳ではそれぞれ34.6%、33.5%だが、51~70歳では42.3%と多くなる。
「私の両親は、本物の男は緊張したり怖いときでも、強く振る舞うべきだと教えた」割合についても、同じく若い方から順に27.9%、27.7%、35.2%と、中高年齢層でのみ高い。そして「人生の個人的・感情的な問題について気軽に話せる友人がいる」割合は、65.0%、52.0%、48.6%と、高い年齢層ほど直線的に下がるのだ。
同調査では、「男らしさ」の規範と社会関係資本の量との関係を直接的に分析しているわけではない。あくまで年齢層を媒介項とした間接的な関連ではあるが、日本の中高年男性における社会関係資本の少なさや性別分離の背後に、「男性性」の規範の問題が根強くあることの確実性は高いといえそうだ・・

・・・われわれが関心を払うべきは、これまで述べてきた日本の男性、特に中高年男性に見られる特異性である。「男らしさ」に縛られ、コミュニケーションや人間関係から疎外されがちな日本の中高年男性たちは、日本が抱えるもう一つの巨大な「ジェンダー・ギャップ」だといえるだろう・・・

宗教団体、居場所のない人の受け皿

7月31日の朝日新聞「元首相銃撃 いま問われるもの」、島薗進・東大名誉教授へのインタビュー「旧統一教会 政治と依存し合う」から。

――政治と宗教の関係をどう捉えればいいのですか。
日本国憲法に定められた政教分離とは、国家と宗教が結びついた戦前の国家神道の反省に立ち、思想・信条、信教の自由を守るための制度であり、宗教の政治的機能を排除するものではない。例えば、政治に格差是正を求めたり、環境破壊の是正を求めたりする宗教団体もある。公共空間における宗教の役割を重視する、そういう政治への関与はポジティブに捉えてもいいと考える。
だが、多くの被害者を生む宗教団体に政治家がメッセージを送ること、さらには支援することが、宗教団体の維持や勢力拡大につながるのは由々しい問題だ。特定組織の利益、ひいては市民に被害を及ぼす団体の利益のために政治が使われることになる。

――問題がある宗教団体に人々はなぜ入るのですか。
フランスはカトリック教会、北欧はルーテル教会、英国は国教会など伝統的な主流宗教が確固とした勢力を持つが、日本にはそれがなく新宗教が大きな勢力を持つ。
日本では、70年代くらいから「孤立しやすい個人」という傾向が強まり、若者が生きていく意味の空虚さに悩まされた。こうした「よるべない個人」が布教の格好の標的になった。
そのころから、社会との接点が薄くなりがちな、こうした人たちを対象に、勢力をのばす宗教団体が増えた。旧統一教会やオウム真理教がその代表だ。
現代社会でも、私利の追求を肯定する資本主義的競争を、社会全面に及ぼす新自由主義が広がっている。強い者勝ちの肯定、能力主義一辺倒と受け止められる。その結果、いつしか個人が孤立し、社会との接点を持てずに居場所がないと感じがちな社会になった。そこをある種の宗教団体につけ込まれると、一遍に深入りするという構造がある。

学者やマスコミの責任もあると思う。旧統一教会が多くの被害者を生み出してきたことを十分に啓蒙し、報道してきたか。政治的に強い側を味方につけている団体については、害悪があっても伝えにくいと社会から見られても仕方がない。

大谷翔平選手、104年ぶりの快挙

アメリカ大リーグ野球で、大谷翔平選手が、投手として2桁勝利、打者として2桁本塁打を達成しました。ベーブ・ルース以来、104年ぶりのことだそうです。すごいです。うれしいことです。

8月6日の日経新聞、安田秀一さんの「日本人が持つ可能性 なぜ大谷が生まれたのか」に次のような文章があります。

「なぜ日本からiPhoneが生まれなかったのか?」日本の昨今の経済の低迷を語る上で、象徴的に語られる言葉です。縦割り社会、官僚的体質、顧客目線より上司目線、などなどその原因は様々ですが、いまだに解決できていないからこそ、なかなか経済は発達しません。
では、「なぜ日本から大谷翔平が生まれたのか?」という視点でモノゴトを見てみるのはどうでしょう?!
勤勉さや真面目さが取りえの日本人が、器の大きなリーダーのもとに正しく最新の情報に触れて、懸命な努力を続ける。弱みが強みに変わり、大谷選手のような存在が各界から次々と生まれるのではないか?!
常識にとらわれない。上下関係をつくらない。世界の最新情報を手に入れる。若者の真の意見を聞く。
政財界のリーダーの方々には、「大谷翔平を見ろ! 日本の大空にキラキラ輝いているじゃないか!」という言葉をささげたいと思います。

この文章の前には、次のようなことが書かれています。

前回のこのコラムで僕は、「後進的と思われる日本のスポーツの現場からその競技をリードするような若者が現れているのはなぜだろう」と問題提起しました。いろいろ考えてみましたが、こんな仮説を考えています。
「日本人の特性とされる勤勉さ、真面目さにその理由があるのでは?!」
礼儀正しく真摯に野球に取り組む大谷選手の人柄からは、日本人の特性や美意識を強く感じます。我々日本人は自己中心的な考え方や感情的なふるまいを好みません。新型コロナウイルスの感染対策でも、欧米では法律で規制しましたが、日本はマスク着用を「お願い」するだけで、みんなが従いました。僕は、これまで日本のスポーツが追いつけなかったフィジカルで肩を並べたとき、こうした日本人らしい真面目さが優位に働いてくるのでは?と考えています。

ただ、そうした特性は自己主張や個性を嫌う同調圧力にもつながり、社会の進化を妨げる側面があることも否定できません。このコラムで僕はその弊害を何度も指摘してきました。つまり、もろ刃の剣なのです。一つ間違えれば我々の弱点となるこの特徴を、有効な武器として働かせるにはどうしたらいいのか?!
僕は、一にも二にも「情報」だと思っています。情報が入りづらかった島国の日本ですが、今はインターネットやスマホでいつでもどこでも世界の最新情報が手に入れられます。あふれるほど情報化が進んだ現代ではありますが、大谷翔平選手や佐々木朗希投手、あるいはボクシングの井上尚弥選手ら今までの常識を覆すような選手たちが、キラキラ輝くスポーツ界の北極星になるはずです。つまり、世界で活躍するトップアスリートたちが、正しい情報を見定める絶対的な基準になっていくと思っています。

スポーツ界を見ていると、情報統制型のリーダーは成果を上げられない時代になったことがよく分かります。既存の価値観にとらわれず、みんなで常に新しい情報をアップデートし、みんなで共有して試行していく。帝京大学ラグビー部の岩出雅之前監督がその筆頭ですが、そんな器の大きなリーダーがスポーツ界では結果を出しています。