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社会

「芸人のクセに作家気取り」

日経新聞夕刊「人間発見」、「芸人・又吉直樹さんが語る「普通とは何か」表現手段としてのお笑い、文学」。4月27日の「「芸人が芥川賞」の偏見」から。

・・・受賞後「芸人のクセに作家気取りですよ」などとテレビ番組で発言されたことがあります。そうした偏見は驚きません。驚いたのは、一部の文学者の反応でした。
性別や年齢や国籍や職業などあらゆる事柄が平等であるべきだと言ってきたのが言論人です。ところが「芸人が小説を書いた」という面だけを切り取って語る文学者がいたのです。失望しました。それは「今の時代、差別はダメです」と形式的に言うのと同じです。差別はいつでもダメに決まっている・・・

「庶民感覚」が商売の足を引っ張る

ある人が高級料理を食べたりすると、「そんな高いものを食べて。庶民感覚とは違いますね」と批判する人がいます。先日、天然ウナギの鰻丼を食べた大臣に対して、「生活必需品が値上がりする中で、嫌みを言いたくなる」と発言した人がいました。大臣はたぶん自費で払っているのですから、鰻丼を食べても問題ないでしょう。大臣でなくても、多くの人が鰻丼を食べているでしょう。財布の事情に応じて。だから高い鰻丼も売れるのです。

世界第3位(かつては第2位)の日本で、「そんな高い料理」「庶民感覚とズレている」という発言は、いささか変です。貧しい人から見ると、「そんな高い料理」は手が届かないでしょう。他方で、それを求めている人もいて、それを提供している店もあります。
日本料理やホテルなどは、世界の金持ちからすると、とても安いようです。「安い方が良い」という発想はもっともなことですが、その行き過ぎがこの30年間の給料が上がらない経済を生みました。
「国民が安い物を求める」→「売り上げが伸びない」→「店の従業員の給料が上がらない」→「その従業員が安い物を探す」→(負の連鎖)。そして、会社は安い給料の非正規職員を雇います。彼ら彼女らは給料が安いので、安い店を探します。

自由主義経済では、ある程度の貧富の差は生まれます。もちろん極端な差は、社会を分断し、不安定にするでしょうが。努力して金を儲けた人が、高価な物やサービスを求めることは自然であり、それが経済を発展させます。
「そんな高いものを食べて、庶民感覚とは違いますね」は事実としても、努力して成功した人が儲けた金で高いものを食べることを批判するのは、おかしいと思いませんか。提供しているお店も、悪いことをしているのではなく、必要な経費にもうけを乗せて売っているのです。
努力した人の足を引っ張るのではなく、ほかの人もそのように努力しようと考えて欲しいです。「庶民感覚」は、くせ者です。

増える中途採用、4割近くに

4月20日の日経新聞1面は「中途採用比率、最高37% 今年度、7年で2倍に」でした。新卒一括採用、転職しにくいという日本型雇用慣行が、変わりつつあります。

・・・日本経済新聞社が19日まとめた採用計画調査(最終集計)で、2023年度の採用計画に占める中途採用の比率は過去最高の37.6%となり、16年度から7年で2倍に上昇した。中途採用計画人数は22年度実績比24.2%増で、増加率は過去最高だ。日本の標準だった新卒主体の採用慣行は、生産年齢人口の減少を背景に限界が近づいている。
主要企業5097社に採用計画を聞き、4月4日までに未確定とした企業も含め2308社を集計した。新型コロナウイルス禍の収束に伴い流通・サービス業など現場・対面の業務が多い企業の積極姿勢が目立つ。ただ、人手不足の深刻化による奪い合いは激しくなっており、計画の人数を確保できるかは不透明だ・・・

『縛られる日本人』2

縛られる日本人」の続きです。本の6ページと21ページに、次のような日本人の発言が紹介されています。
「日本は、人間ファーストではなく、労働ファーストです」

これは正鵠を得ています。
貧しい時代は働かないと食べていけないので、多くの日本人は、百姓として朝から晩まで働きました。会社勤めになっても、その勤勉さを持ち込みました。勤勉は、日本人の美徳です。

これがおかしくなったのは、バブル期から平成時代です。「24時間戦えますか」と栄養ドリンクの宣伝が流行ったのは1989年でした(もっとも同時期に「5時から男」も流行っていました)。経済成長期の象徴である「サザエさん」では、波平さんもマスオさんも家で晩ご飯を食べています(時々、駅前で飲んでいますが)。

長時間労働は、霞が関の官僚の代名詞でした。それはまた、一部のエリートの「自己満足」でもありました(私もそうでした。が、年がら年中長時間残業をしていたのではありません。そうでない時期もある「季節労働者」でした)。「エリートなんだから仕方ない」と、本人も家族も社会もそう考えていたのです。
ところが、その長時間労働が、従業員一般に広まったのです。従業員は、勤勉さを会社に対して主張させられたのです。美徳どころか、家庭や私生活を犠牲にするという、変なことがまかり通るようになったのです。これは「男社会」でしかできないことであり、家族を泣かせていたのです。経営者たちが、それを変だと思わなかったことに、問題があります。
もちろん、これは都会の会社などに当てはまる事象であって、地方で家庭と仕事を両立させている人もたくさんいます。

私は官民を問わずエリートは存在し、その人たちは時に長時間労働が避けられないと考えています。しかし、それを従業員一般に求めることは間違いです。またエリートが残業するのは、意味がある目的のために行うべきで、無駄な仕事で残業するのはやめましょう。

『縛られる日本人』

メアリー・C・ブリントン著『縛られる日本人 人口減少をもたらす「規範」を打ち破れるか』(2022年、中公新書)を紹介します。著者は、ライシャワー日本研究所の教授です。
宣伝には、次のようにあります。
「人口が急減する日本。なぜ出生率も幸福度も低いのか。日本、アメリカ、スウェーデンの子育て世代へのインタビュー調査と、国際比較データをあわせて分析することで、「規範」に縛られる日本の若い男女の姿が見えてきた。日本人は家族を大切にしているのか、男性はなぜ育児休業をとらないのか、職場にどんな問題があるのか、アメリカやスウェーデンに学べることは――。」

日本人が過去の規範に縛られて、幸福度が低くなり、子どもの数も減ってきていると主張します。
「私が思うに、日本が直面している問題の根底には、二〇世紀後半の行動経済成長期に確立された制度や社会規範の多くが人々のニーズに適合しなくなったという事情がある。「普通」の家族、「普通」の働き方、「普通」の男女の役割とはどのようなものかという点に関して、既存のモデルに従うことができない、もしくは従いたくない人たちは、日々の生活でさまざまな苦労を強いられる。そのような人が増えているのに、そうした人たちのニーズが満たされていないのである。」(7ページ)

「日本の出生率が一向に上がらず、結婚する人の割合が低く、多くの日本人が職業生活と家庭生活で満足感を味わえずに漠然とした不安をいだいている状況は、男女の役割に関する硬直的な社会規範が原因だと、私は考えている。仕事の構造や文化を通じて強化されてきた社会規範が原因で、日本の若い世代は、充実した職業生活と家庭生活を築くうえで手足を縛られており、男性も女性も社会と経済に存分に貢献できずにいる。」(8ページ)

現在の日本社会の不安や問題の基礎には、経済成長期にできた通念が私たちの暮らしの変化に追いついていないことを、拙稿「公共を創る」で説明しています。この本は、題名に(過去の規範に)縛られる日本人と掲げていて、私の主張と共通しています。連載第101回ほか。日本の変化については第39回から第70回

ところで、アメリカ人による日本人論では、エズラ・ボーゲル著『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(1979年)が有名です。それから約40年。日本への賞賛は同情に転換(転落)したようです。