3月16日の読売新聞言論欄、小松夏樹・編集委員の「「秘密」の定義 際限なき拡大」から。
・・・2005年に個人情報保護法が全面施行されてから20年がたつ。同法には個人情報の利活用を図る目的もあるのだが、急拡大したデジタル空間は情報悪用への懸念という「体感不安」を増大させ、重点は保護に傾いた。「私的な秘密」といった意味合いだった「プライバシー」も、氏名など基礎的な個人情報と同一視されはじめ、その概念の肥大化が進む。そこに負の側面はないのか・・・
・・・個人情報は、氏名などそれ自体か情報同士を照合すると個人が識別できるものを主に指し、範囲は広い。人種、障害、病歴など差別や偏見を生みかねない「要配慮個人情報」は特に扱いに注意すべきだ。住所、電話番号などの基本的情報や、登記簿など公開情報もある。
個人情報やデータは社会生活や、国・自治体、企業の活動を円滑に運ぶために不可欠だ。個人情報保護法は情報を適正に流通させるための“保護利活用法”でもある。ただ利活用の面は一般には理解されにくく、医療現場で患者情報が共有できない、災害の行方不明者が公表されないなどの過剰反応を招いた。影響は今も続く。
同法は、情報化社会の進展を追って改正を繰り返しており、私たち個々人に関するきまりなのに、全容を把握しているのは一部の専門家くらいに思える。複雑さや難解さは「個人情報には触らない方がいい」という短絡的思考を招く。
報道、著述、宗教、政治の活動の場合、個人情報を正当な目的で授受するのは本人の同意がなくても同法の適用除外だが、これも広く知られているとは言い難い。
同法は「自己情報コントロール権」に基づくとの考えもあるが、最高裁は明示していない。的確に定義しないと、政治家が「私の情報はすべて私がコントロールする」などと主張しかねない・・・
・・・「個人情報=プライバシー」ではない。だがネット空間では名前すら「秘すもの」になってきた。
個人情報保護法により、ネット空間での保護も進んだはずだが、肌感覚は違う。日本プライバシー認証機構が昨年行った「消費者における個人情報に関する意識調査」では、企業などの個人情報の取り扱いに不安を感じる人が約7割に上った。
これは企業と個人が持つ情報の巨大な格差や、一種の「情報搾取」が一因だろう。電子機器が必須の生活では、例えばスマホのアプリの利便性と引き換えに個人情報を差し出さざるを得ない。総務省によれば、米、独、中国に比べ、日本人は自分のデータを提供しているという認識が薄く、半ば習慣化している。そしてテック企業は膨大なデータを保持する。
蓄積されたデータは瞬時に世界に拡散し、生成AIは情報を大量に取り込んでいる。情報の悪用と被害も絶えず、名前を隠したい、と考えるのも無理はない。
悪用する側は闇サイトで名簿を売買するなど、個人情報保護を歯牙にもかけない。他方、まっとうな企業や医療・介護・教育現場は個人情報の遺漏なきよう人手やシステムに多大なリソースを割き、業務が圧迫される・・・