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生き様-生き方

自己肯定感の低い日本の若者

日本の若者は自己肯定感が低いというのは、通説になっています。NHKウエッブサイトが、就活に関して、この問題を取り上げています。「自己肯定感は、低いとダメなの?高い方がいいの?」6月2日掲載

詳しくは読んでいたただくとして。根拠のない自信も困りますが、やたらと卑下するのは健康的ではありませんよね。
なぜ日本の若者は肯定感が低いのか。専門家は次のように指摘しています。
・・・おそらく日本人は「自分が主体的に行動したことを評価してもらい、自分でもこれでいいと思えた体験」が少ないのではないかと思います。
また、日本では同調圧力があって「自分のやりたくないことにはっきりノーと言いにくい」ですよね。
それと比べると、海外ではノーと言っても受け入れられやすくて、自己肯定感を保つことができるという部分もあるかと思います・・・

・・・例えば自己肯定感が低いと、「精神的にも、肉体的にもつらい状態」ですから、そこから離れようとするんですね。
具体的には、「何か/誰かに依存する」ってことが起こりえます。ゲームとか、アルコールとか、信頼できる人とか。
そうやって安定を保とうとするんですが、相手はそのつもりじゃなくても一旦冷たくされたって感じてしまうと相手が信じられなくなって、安定した人間関係が築きにくくなってしまうこともあります・・・

・・・海外の心理学者によると、子どもの自己肯定感が育まれやすいのは、「ほめると叱るのバランス」が3対1か4対1くらいだそうです・・・

賢人の知恵、離れて見る

5月4日の朝日新聞、デイビッド・ブルックスさん(ニューヨークタイムズ)の「賢人が持つもの 自己を引いて見つめる力」から。
ブランダイス大学社会学教授モリー・シュワルツ氏と、かつての教え子ミッチ・アルボムと対話、『モリー先生との火曜日』について。ちなみに同書は、1500万部以上売れたそうです。

・・・シュワルツ氏の鋭い洞察に目を向けると、実はそれほど特別なことは言っていない。「できることもできないことも素直に受け入れよ」。シュワルツ氏が素晴らしかったのは、注意力の質だった。私たちはみんな、今を生きるべきで、瞬間の充足感を味わうべきだと知っている。だがシュワルツ氏は、それを実行できる人だった・・・
・・・私が実際に出会った賢人たちも、みんな似ている。人生を変えるような言葉を発するのではなく、他人をどのように受け入れるかが大事なのだ。知恵といえば、人里離れた所にいる近寄りがたい年老いた賢者を思い浮かべることが多い・・・しかし、私が体験したのは、知識体系よりも、人との向き合い方だった。秘密の情報を授けてくれることよりも、自分自身で気づきが得られるようにしむけてくれるような関わり方なのである。

知恵は、知識とは違う。フランスの思想家モンテーニュは、他人の知識で物知りにはなれるが、他人の知恵で賢者になることはできないと指摘した。知恵には、具現化した道徳的要素が含まれる。自分自身がもがき苦しんだ経験から、他者の弱さに対する思いやりある配慮が生まれる。
賢人は、何をすべきか教えるのではなく、物語を見つめることから始める。私たちの話や理屈を聞き、価値のある苦闘をしている存在として見てくれる。私たちの心の内側と、自分では見えない外部からの両方の視点から見る。私たちが「親密」と「自立」、「管理」と「不確実性」といった人生の弁証法的問題にどう取り組んでいるかを見て、現状が長く続く成長における一つの地点であることを理解してくれる・・・

・・・人は、自分が理解されたと感じて初めて変わることができる。本当に信頼でき、知恵を求める相手は、賢人よりも編集者に似ている。彼らはあなたの物語を理解し、あなたが過去と未来との関係を変えられるように再考を促す。あなたが本当に望むものは何か、あるいはどのような重荷をおろしたいと思っているのか、などを明らかにしようとする。そして、あなたがその人に相談した表面的な問題の根底に横たわる、深い問題を探るのだ。
自分自身の結論へと歩む、巧みで忍耐強いプロセスこそが知恵と感じられるものだ。おそらく、だからアリストテレスは倫理を「社会的行為」と呼んだのだろう。

結果として得られる知識は個人的であり、文脈的だ。一般論ではなく、名言集に載るような格言でもない。このような視点に立てば、プレッシャーから自由になり、自分が置かれている状況から少し距離をとり、希望を持てるようになる。
シュワルツ氏のような賢人が感銘を与えるのは、沈着冷静ですばらしい自己認識をもっているからだろう。彼らは他者を観察することでそれを身に付けたのではないだろうか。他人のために判断を下す方が、自分のために何かを決めるより簡単だ。賢人は、第三者として考えるスキルを身に付けて、鏡にうつる自分という相手にそれを適用しているのかもしれない。たぶん、自己認識とは、内面での熟考ではなく、自分のことを誰かほかの人のように見ることで大部分ができているのではないか・・・

スポーツ選手、センスと努力

4月15日の日経新聞スポーツ面、権藤博さんの「松山と野茂の共通点」。
二人がセンスの塊であり、練習の仕方がうまい(天才とも違う)と評価した後、次のような話が紹介されています。

・・・さて、次は・・・。大谷翔平(エンゼルス)の番だ。日本代表で一緒になったとき、「オフは何をしている?」と尋ねると、「やることがないから練習してます」。彼も努力とセンスの人だ。努力が報われて、投打ともに、とんでもないことをしでかしそうな気がする・・・

妬まれたら、心の中で相手の幸せを祈る

3月6日の日経新聞「なやみのとびら」、「年下の同期から妬まれている」についての、中園ミホさんの回答です。

(相談)
同期が私への妬(ネタ)みを直接言ってきます。「大卒だから給料が高くていいわね」「英語が話せていいわね」など、大半は言いがかり。「比較されて気分が悪い。大嫌い!」とまで言われました。相手の方が年下なので定年まで一緒と思うとしんどいです。(愛知県・50代・女性)

(回答)
妬みはコンプレックスから生まれるもの。いろいろ言ってくる人はどこにでもいます。このようなタイプの人とは、何を言われても取り合わないのが賢明です。相談者さんもよくおわかりだと思います。ただ、相手が同僚であれば、やっかいですよね。
私は元占い師なので、こういう悩みをたくさん聞いてきました。対人関係の理不尽なトラブルは大概、妬みやひがみから発生している気さえしました。占いの視点から言わせていただくと、相手の悪い感情が飛んできたときは、その人の幸せを祈ることに尽きます。
「また言いがかりをつけてきた」と思ったら、「どうか、あの人にいいことが起きますように」と祈るのです。私はそうアドバイスしていました。うれしいこと、楽しいことが起こって相手の精神状態が良くなれば、こちらを攻撃することはなくなります・・・

・・・とにかく、自己防衛に徹することです。相手の言動にとらわれてイライラしていたら、相手にも空気が伝わり攻撃に拍車がかかってしまいます。反対に相談者さんがいつもニコニコしていたら、馬鹿らしくなって、対象が変わるかもしれません。仲良くなりましょうとは決して言いませんが、関わらないことです・・・
今度、何か言われたら、「どうかお幸せに」と心の中でつぶやいてください・・・

原文をお読みください。

モンテプルチアーノ

11月22日の日経新聞文化欄、 坂井修一さんの「うたごころは科学する ワインの力」は、次のような書き出しで始まります。
・・・私は今、一杯の赤ワインを呑みながら、ノートPCでこの原稿を書いている。葡萄はモンテプルチアーノ。イタリアの大衆ワインだ・・・

小説「モンテ・クリスト伯」で脱獄した主人公が、モンテ・クリストという島にたどり着いて飲んだ酒が、モンテプルチアーノなのです。このワインを飲む度に、モンテ・クリスト伯が獄中で抱いた絶望と希望など主人公の心が、坂井さんの心の中でよみがえってくるのだそうです。

私は小説のことは知りませんでしたが、モンテプルチアーノを気に入っています。かつてイタリアのシエナを訪れた際に、食事に出てきたのがこれでした。街中のレストラン、天気も良く、仲間とも話が弾み、とてもおいしかったのです。
日本の酒屋さんでも置いてあります。値段はいろいろありますが、安いので、時々、日本酒から浮気して飲みます。おいしいのですが、あの日の味は再現できません。モンタルチーノは、よく似た名前のイタリアワインですが、こちらの方は高いようです。