カテゴリー別アーカイブ: ものの見方

制服の機能

8月4日の読売新聞「戦後75年」は、桂由美さん(ブライダルファッションデザイナー)の「颯爽と見えた軍服姿」でした。

・・・終戦後、しばらくして学校が再開しましたが、通学途中の光景は、耐えがたいものでした。
あちこちにできた闇市には、みすぼらしい服装の男性がたくさんうろついている。薄汚れた軍服を着ている人もいました。戦時中、颯爽としていると思っていた軍人の姿は、いったい何だったのだろうか。あまりの変わり果てた姿から、目を背けるしかありませんでした・・・

制服の機能が、良く現れています。着ている本人でなく、着せている組織を表現しているのです。
もっとも桂さんは、戦時中に颯爽と見えた軍服が、敗戦後にはみすぼらしく見たと書いておられます。その内容なら、表題は「颯爽と見えた軍服姿が・・・」でしょうか。

人をつなぐ施設が分断する

先日、新宿駅に行ってきました。東西自由通路ができたのを確認するためです。
これまで構内の通路だったのが、改札が取り払われ、自由に通ることができるようになりました。これは便利です。
かつては、西口から東口に行くには、地下鉄丸ノ内線の上の地下通路を通る必要があったのです。そのためには、1階下へ降りる必要があります。ところが、近くにエスカレーターやエレベーターがないのです。
この不便さは、依然として解消されていません。地下鉄とJRのそれぞれの駅の中にはありますが。「新宿駅にはエレベーターとエスカレーターがない

多くの駅で、東西自由通路がなく、あっても不便なことがあります。福島駅もそうです。身体の不自由な人、大きな荷物を持った人、ベビーカーを押している人には、冷たい施設です。鉄道は、遠くとはつながるのですが、足下では分断を生みます。
それは、新幹線や高速道路も同じです。遠くには早く行けるのですが、近くに行く普通列車は少なく、高速道路は降り口まで降りることはできません。
なかなか難しいです。

内海健著『金閣を焼かなければならぬ 林養賢と三島由紀夫』その2

内海健著『金閣を焼かなければならぬ 林養賢と三島由紀夫』」の続報です。村上陽一郎・東大名誉教授が、7月25日の毎日新聞に書評を書いておられます。

「一読、巨きな一幅の絵を見た思い。システィナ礼拝堂の天井画、アダムの指先のリアルさにまがう、細部のリアルさは細密画の如く、しかし、全体が訴えるものは大きくて深い。読み終わって、魂に木霊するような静かな亢ぶりがある」で始まり、「確かな書物を読んだ後の魂の亢ぶりは、まだ続いている」で終わります。

村上先生による極上の評価です。私の説明は、控えめでしたね。

内海健著『金閣を焼かなければならぬ 林養賢と三島由紀夫』

内海健著『金閣を焼かなければならぬ 林養賢と三島由紀夫』(2020年、河出書房新社)を紹介します。

産経新聞7月18日、文芸評論家・富岡幸一郎さんの書評「苦悩する魂の秘密に迫る」から。
・・・本書は、70年前に金閣に火を放った青年僧の生涯をたどり、著者専門の精神病理学の視座から、彼がなぜ金閣を焼くに至ったのかを追究する。
青年の生まれ故郷、禅僧の父、息子の犯行直後に自殺した母、彼自身の鹿苑寺金閣での修行の日々、犯行後の精神状態。鋭利な分析は推理小説のようにスリリングであるが、驚くべきは現実界の青年が、いつしか小説の主人公に深く交差し、作者・三島由紀夫の天才の病理へと結びついていくことである。
そこに現れるのは、人間の心の深淵であり苦悩する魂の秘密である。三島の衝撃的な自裁もくまなく解明される。精神科医による文学論などではない。著者自身の実存を賭して描かれた、類いまれなノンフィクションの傑作である・・・

ノンフィクションというと、事実に基づいた創作小説を指すようですが、この本はそのような分類より、精神科医による、金閣寺放火犯とそれを題材に小説を書いた三島由紀夫の精神分析といった方がわかりやすいでしょう。事実と二人の生い立ち、三島については彼の小説を手がかりに、二人の心を開けて見せます。推理小説に近いかもしれません。分裂病やナルシシズムなど、そのための基礎知識も得ることができます。私は、そのような感想を持ちました。

著者は、東大医学部卒の精神科医です。というか、私にとっては、高校の同級生です。いつもいただく本は難しいのですが、これは読むことができました。

責任を取る方法4

責任を取る方法3」の続きです。
この項では、失敗した場合の責任の取り方にはどのようなものがあるのかを、考えています。あわせて、何をすることが、被害者や社会への償いになるのかを考えています。

8 償いとは何か。
表に整理した、Aあやまることや、C職を辞める・組織を解体することは、事故を起こしたり不祥事を起こした社長の記者会見でも、中心主題になっています。しかし、それで観客の溜飲は下がるにしても、B原状復旧・被害者支援やD償いに比べ、被害者や社会に対しては実益はありません。特に、責任者を辞めさせることや組織を潰すことが、責任を取ったことになるのか。そこを、問いたいのです。

A「お取りつぶしのパラドックス」
東電の場合は、「とんでもない事故を起こしたので会社を潰せ」という意見もありました。しかし、被害に遭った人に賠償をさせるために、国有化もして存続させました。そして、現在も(今後も)お詫びを続け、社会奉仕を続けるのでしょう。また、2度と事故を起こさない努力をするのでしょう。

他方で、原子力安全・保安院は廃止されました。原子力規制業務は、環境省に原子力規制委員会・原子力規制庁がつくられ、そこに移管されました。原子力安全・保安院が廃止されたことで、事故を起こした責任と償いの主体が不明確になったのではないでしょうか。国としての責任は逃れられないのですが、政府のどの組織が所管するかです。
新しく作られた原子力規制庁は、今後起こる事故を防ぐための組織であり、福島原発事故の後始末は所管ではないようです。もし、原子力安全・保安院が存続していたら、被災地での避難者支援や復興に責任をとり続けたと思います。原子力規制庁に所管が移ってないとすると、原子力・安全保安院を所管していた経済産業省に残っているのでしょう。

日本陸軍と海軍も廃止されたことで、組織として「責任を取る」「償いをする」ことがなくなりました。国家としては、ポツダム宣言の受諾と占領による政治改革、東京裁判とその刑の執行、関係国への賠償などはあります。
個別の組織が存続していたら、戦争を遂行した組織としての「残されたものとしての責任」を果たすことがあったと思います。それは、記録を残すこと、原因の究明、再発防止策、そして「償い」です。陸海軍は廃止されることで、これらが途絶えてしまったのではないでしょうか。

B 戦後の混乱を生きた人たち
極東軍事裁判で、戦犯は死刑などの刑罰に処せられました。「命をもって償った」のです。
しかし、戦災に遭った国民もまた、つらい目に遭いました。一家の大黒柱をなくした人、家を焼け出され無一文になった家族、両親や家族を失った戦災孤児・・・。この人たちは、戦後の混乱を生き延びるために、想像を絶する苦労をしました。命を落とした人も多かったのです。また、日本だけでなく、海外においても同様の被害を与えました。
この人たちに対して、戦争責任者と陸海軍はどのような償いをしたのか。すべきだったのか。きれいに整理できませんが、このようなことを考え続けています。
過去の記事「事故を起こした責任と償い