21日の東京新聞(中日新聞)「時代を読む」で、ロナルド・ドーア英ロンドン大学政治経済学院名誉客員が、「負け組救済、本格議論を」を書いておられました。その最後のところで、次のように書いておられます。
「・・元自治省役人の岡本全勝氏が、最低賃金制を論じたそのブログにこう書いている。『生活保護を下回る賃金は、憲法違反といえないでしょうか。生活保護費との差を公費で補填すべし、という議論が出てこないのでしょうか。』 まさに出てこないのは不思議だ」。
これは、9月9日に書いた「最低賃金」です。なお、私はその前に、「生活保護が国民としての最低限度の基準とすれば、それを下回る賃金は・・」と書きました。詳しくは、「最低賃金」をお読みください。
ドーア先生は、その著作を通じてしか存じ上げませんが、ありがたいことです。私のHPをご覧になっているとは思えないので、どなたかが先生に吹き込んでくださったのでしょうか。
今朝、何人かの人から、この文章を教えてもらいました。
ある人曰く、「インターナショナルになりましたねえ・・」「また、新聞に出ましたね。大丈夫ですか・・」
「ところで、『元自治省役人』とありますが、退職して評論家になったと思われているのでしょうか」
うーん、現職公務員だと不都合があると、先生は配慮してくださったのかも知れません。
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キャリア官僚の責任
武蔵野の変貌
伊藤滋著「面影の街・追憶の家」に、昭和初期の中野の町の暮らしが、書かれていました。先日古本屋で見つけた本で、定価が書いてないので非売品なのでしょう。その後、出版社ぎょうせいから、「昭和のまちの物語」として発売されているようです。
家の近くなので、興味を持って読みました。そして今日、そこに載っている先生の手書きの地図をたよりに、「探検」に行ってきました。地下鉄丸ノ内線の、新中野駅と中野富士見町駅にかけてです。先生が住まわれたのは、昭和6年から18年までです。田畑が宅地化され、住宅が広がっていったとのことです。
道路はかなりその当時と同じなので、ほぼ位置はわかりました。しかし、ビルやマンションが建って、風景はまったく違っています。70年で、これだけの変化があるのかと、びっくりしました。そのあたりは、銀座や新宿といった盛り場、商業地ではありません。武蔵野の畑と住宅地だったのです。それでも、これだけ変化したのです。これが東京の、そして日本の近代化と繁栄の現れなのですね。杉並区の人口は、大正14年に7万人、昭和5年に13万人、10年には19万人になっています。5年ごとに6万人増えています。昭和40年には54万人で、現在は53万人です。
わがふるさとだと、70年前とそう違わないと思われる風景が広がっています。もちろん、道路は広くなり、学校や役場も立派になってはいますが。町の風景と田舎の風景の違い、エネルギーの違いを感じます。
さて、そこから地下鉄で2駅のところにあるわが家は、新築後2年検査を受けました。このあたりも、70年前とは大きく違っているのでしょうね。これから70年後は、どうなっているのでしょうか。私は、それを見届けることができませんが。
金融危機から10年
2007.10.20
今日は、4回目の授業。だんだん乗ってきたのですが、来週からは、早慶戦や祝日などで、3週続けて休講です。春学期は連休に、小さな宿題を出しました。今回もいろいろ考えたのですが、やめました。