投稿者アーカイブ:岡本全勝

東京は、また雪

2010年3月9日   岡本全勝

今日9日の東京は、寒い一日でした。三鷹では雪が降り、夜には積もりました。明日10日は路面が凍って、大変だと思います。

ほめてやったら、喜んで終わり?

2010年3月8日   岡本全勝
先日、消防庁の広報誌「消防の動き」に、職員教育について小さな文章を書きました。そこで、山本五十六元帥の名言「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」を引用しました。すると、それを読んだ知人から、次のような便りが来ました。
・・この言葉を、私も意識して職場で活用していますが、最近悩んでいるのは、「ほめてやったら喜んで終わり」、の若者への対処方法です。フィードバックして、次に生かす意識を育てることが出来ません。何かよい方法はないものでしょうか?・・
うーん、難しいですね。動物の親は、子どもにえさの取り方を教える場合に、簡単な事例から少しずつ難しい事例に、難度を上げていくことがあると、聞いたことがあります。手間暇をかけるしか、ないのですかね。

日本はどこへ行くのか・その6

2010年3月7日   岡本全勝
日本の国民とリーダーが克服しなければならない課題に、もう一つのものがあります。それは、現代社会の不安です。これは日本に特有の課題ではなく、現代の世界の先進国に共通の課題です。
現代社会の不満と不安は、豊かになったことで生まれてきました。豊かになったことで見えてきた不安であり、課題です。貧困が人類の最大の敵だった時代は、貧困との闘いがその他の課題を隠しました。しかし、豊かになったことで、経済成長は幸せのすべてではなくなりました。
近代とは、産業・科学技術・経済が進めば幸せになるという思想の時代でした。そして、イエ(血縁共同体)、ムラ(地域共同体)、身分といった「前近代」の束縛から、解放され自由になることでした。さらに進むと、疑似家族であるカイシャ(会社、職場)から自由になることでした。
それは、家族、親族、地域共同体、会社などの絆を希薄にしました。そこに見えてきたのは、不安な個人です。束縛や伝統は不自由ですが安心をもたらします。自由は個人の才能を発揮させますが、不安をもたらします。近代が進むにつれて、近代はバラ色ではなくなったのです。
これをどのように、克服するか。近代・現代社会が、私たちに突き付けている大きな課題です。
2 政府とリーダーの役割=痛みの明示と負担の配分
このように、戦わなければならない大きな課題は、「日本人の思考形態」と「近代社会の不安」の2つです。もちろんその他にいろいろな課題がありますが、その基底にはこの二つがあるのです。
そこで、政府とリーダーは、何をしなければならないか。まずは、痛みを国民に理解してもらうことです。
今までの政治は、右肩上がりの経済社会を背景に、利益を配分することでした。さらに、低成長になってからは、負担を先送りしています。しかし、今のままでは、財政と年金は破綻します。世代間の大きな不公平を、生み続けています。高度成長期の思考から、抜け切れていません。
これまでは所得再分配と言っても、既存所得を取り上げるのではなく、増分から拠出してもらいました。それを、貧しい人に配りました。痛みは少なかったのです。しかしこれからは、増分が大きくないと、既存所得から拠出してもらうことになります。不利益の配分なのです。
そして、その他の改革にも、痛みが伴います。多くの社会集団は、これまでの仕組みの中で存在し、利益を上げてきました。利益を失う改革には、反対します。
二回の転換期には、不利益を被った人たちも、たくさんいました。明治維新に際しては、武士階級は一夜にして失業しました。人口にして、6~7%もの人と家族です。新しい商工業が入ってきて、商人や職人のなかに、仕事を失った人も出ました。戦後改革の際には、軍人は失業し、地主や富裕層は財産を失いました。それを、国民に納得してもらわなければなりません。
戦後半世紀、日本は大成功したが故に、このような不利益の配分や改革の痛みを知らずにすみました。政治は、痛みと負担を国民に示したことがないのです。
開国による痛みには、このほか国際貢献の負担、一国平和主義から脱却するに際しての痛みもあります。
抜本的改革を唱える人が多いですが、その際には不利益を被る人がいること、負担を求められることを、説明してもらう必要があります。そしてリーダーには、その国民の不満を回収・吸収することが求められます。
国民の多くは、これまでの成功体験を捨てることは、できません。
最近の記事に、日本が中国に追い抜かれることを、取り上げた記事が目につきます。それは、日本がこの150年の間に、追い抜くことはあっても、新興国に追い抜かれることはなかったからです。日本特殊論、日本異質論は、それによって日本が成功したという説であっても、だから日本はダメなのだという説であっても、心理は同じです。「日本人は優秀であり、世界に認めて欲しい」ということでしょう。その自負を持ちつつ、新たな展開が必要です。(この項続く)

便利になるのか複雑になるのか・テレビの進化

2010年3月6日   岡本全勝

今日土曜日は、朝からケーブルテレビの切り替え作業でした。アナログ放送が来年停止します。デジタル放送だけになるのを前に、ケーブルテレビ会社が、機能を切り替えるそうです。わが家は、15年も前のテレビですが、一度修理しただけできれいに映ります。ある電器メーカーの製品ですが、修理に来たメーカーの方が、「これが、日本で作った最後の型のテレビです。当分きれいに映るでしょうから、大切に使ってください」とおっしゃいました。その後、故障もしないので、来年のデジタル化に合わせて買い換えようと思っていました。
ところが、ケーブルテレビだと、チューナーも会社が換えてくれるので、テレビを買い換えなくても、今日からデジタル放送を見ることができます。うーん、悩ましいところです。
ところで、今回またリモコンが大きくなり、ボタンの数が増えました。困ったことです。私は、国営放送のニュースと「ダーウィンが来た」くらいしかテレビを見ないので、たくさんチャンネルがあっても困るのです。
夕方からは、総務省の後輩の結婚式に出席。スピーチをして、新郎を褒めてきました。二人で幸せな家庭をつくってください。

数字にできるもの、できないもの

2010年3月4日   岡本全勝
例によって、放ってあった本を、布団の中で読みました。坂上孝ほか著「はかる科学」(2007年、中公新書)です。この本にも紹介されていますが、クロスビー著「数量化革命-ヨーロッパ覇権をもたらした世界観の誕生」(2003年、紀伊國屋書店)を読んだ時は、目を開かれた思いをしました。ヨーロッパが世界に先駆けて「進化」したのは、時間(時計と暦)、空間(地図、海図と天文学)を数量化し、さらには音楽(楽譜)や簿記といったものを発明したことに起因すると述べていました。時間、距離、重さ、量などを、数字化したのです。その他、温度や明るさ、早さ、地震の大きさ、血圧に尿酸値など、科学技術はたくさんのものを、測るようになりました。
一方、測ることができないものも、たくさんあります。そして、表現しにくい、伝えにくいものも。
感情は、測ることも、伝えることも難しいです。悲しさ、うれしさは、「死ぬほど」とか「飛び上がるほど」と言いますが、その程度は本人しかわかりません。いくら同情されても。「あなたなんかにわからない」です。と言いつつ、時間が経つと、本人もその程度を忘れてしまいます。「死ぬまで忘れない」という恨みもありますが。
モノの価値はお金で計るようになりましたが、喜びや満足は、なかなかお金では測ることはできません。「金に換えられない」という言葉があります。「人の値打ちは金で計れない」とか、「かけがえのない命」も。
奥さんの優しさなども、数字で表せないですよね。「1キョーコ」「2キョーコ」といった単位があれば便利ですが。「私がこんなに愛しているのに・・」と言われてもね。夫の愛情を、指輪のダイヤモンドの大きさで測る女性もいるようですが。
音の高低や長さは数量化されましたが、メロディの心地よさは数量化されていません。人によって好みが違います。絵画もそうです。フィギュアスケートは、採点します。しかし、美しさを直接測ることはできないので、いくつかの採点基準を決めて測ります。
肌の痛みは、ある程度、各人に共通です。注射針の痛みは、たぶん共通でしょう。でも、「1注射」あるいは「3痛み」なんていう単位は、まだないのでしょうね。
客観的で、みんなが「触ることができる」ものでも、数量化できていないものもあります。匂いが代表でしょう。ワインも、フルーティだとか干し草のようなとか、比喩でしか表現されません。日本酒の「辛さ」は数量化されましたが、おいしさそのものは数量化されていません。ビールののどごしも。肌触りも、伝えにくい、数量化できないものでしょう。暖かい毛布の肌触り、冷たい金属の表面、ぱりっと乾いたタオル・・。