岡本全勝 のすべての投稿

続・日本はどこへ行くのか

26日の日経新聞経済教室に、小宮山宏前東大総長が、課題先進国日本の戦略について書いておられました。小宮山先生の「課題先進国」は、このHPでも何度か紹介しました。「海外に出て行かなかった日本」「輸入商社としての東大と官僚」など。
日本や韓国の例から見て、中国の高度成長は今後5~10年しか続かない。新興国の需要は、いずれ飽和する。需要には、飽和に向かう「普及型需要」と、まだ姿を見せていない需要である「創造型需要」がある。日本は、自らの課題解決をする中で創造型需要を掘り起こし、新産業を生み出し、世界に輸出して、先行者利得を得ることを目指すべきだ。低炭素社会と活力ある高齢社会が、重要分野になる。
・・これまでの日本は、所得倍増計画に代表されるように、政府主導で産業を導入し、GDPを増やして国民の暮らしをよくするという途上国型の体制で歩んできた。導入する産業がなくなった時点で、この体制は破綻している。今必要なのは、課題解決に向けて「日々の暮らし」を自ら創る、その結果新産業が生まれるという逆向きの流れである・・
詳しくは原文をお読みください。

救急車の出動・続き

昨日(救急車の出動、消防大学校の機関誌「消防研修」を紹介しました。その中に、樋口範雄東大教授の論文があります。「救急活動と法の役割~奈良地裁判決を契機として~」です。
2009年4月27日に出た判決です。事案は、2006年11月に起きました。警察署の駐車場で、未明に男性が顔から血を流し酔った状態で、警察署員に保護されました。駆けつけた消防の救急隊員が、緊急性がないと判断し、男性の家族が到着したので、家族が男性を自宅に連れて帰りました。その後、男性は脳挫傷などがわかり、昏睡状態になりました。男性が、消防組合を相手取って提訴し、地裁は消防組合に1億4千万円の支払いを命じました。
いくつか興味深い論点があり、先生も指摘しておられるのですが、1点だけ紹介しておきます。
裁判で争われた大きな争点は、搬送すべき義務があったかです。そして、判決が敗訴で確定すると、救急隊員は次回から、軽傷であっても、なるべく搬送するように行動するようになるでしょう。しかし、誰でも運ぶとなれば、軽傷者が運ばれ、その間に後回しにされた重傷者が手遅れになる場合もあります。一方で、救急車にも限りがあるのです。
損害賠償請求裁判は損害の補填が目的ですが、その結果が、救急現場の問題解決にならないのです。先生はこの点を指摘し、解決策も提示しておられます。なお、公刊物として、樋口先生の「医療と法を考える―救急車と正義」(2007年、有斐閣)が参考になります。

救急車の出動

消防大学校は、「消防研修」という専門誌を発行しています。平成22年3月号は、「消防と救急医療」が特集です。
救急車は、皆さんもよく見かけるでしょう。救急車は全国に約6,000台あります。平成20年の1年間に、510万件も出動し、468万人を運んでいます。6秒に1回の割合で救急車が駆けつけ、国民の27人に1人が運ばれている計算になります。国民の期待に応えるように、この分野でも改善が続けられています。救急救命士という専門資格を持った職員が乗るようになり、救急車も大型になりました。
しかし、救急車を呼ぶ人が増えていること、救急車を呼ぶほどの状態でないのに救急車を呼ぶことで、本当に運ばなければならない人を運べない場合があること、受け入れ病院が決まらず時間がかかる場合があることなどの、問題が出ています。
ちなみに、1991年には、出動件数は約290万件でした。約20年の間に、これだけも増えているのです。事由の内訳では、交通事故(約60万件)などは横ばいか減っているのですが、急病が140万件から310万件に倍増しています。病人がそれほど増えたとは考えられないので、救急車を呼びやすくなったということでしょう。
軽傷の方には救急車でなく自分で病院に行ってもらうこと、そのために電話で相談にのることや、病院との連携を改善することなどが、取り組まれています。本号では、法令改正の概要、医療から見た問題点、現場での実情と改善方法、判決の問題点など多面的に解説しました。結構良くできています。内容が専門的なのと、各消防本部や関係機関にしか、配布していないのが残念です。

消防の国際交流

今日は、消防大学校に、中国政府公安部消防局長(日本の消防庁長官に相当)と、北京市公安局消防局長(日本の東京消防庁消防総監に相当)がお見えになりました。日中消防交流の一環です。
2008年5月の四川大地震の際には、日本からも国際緊急援助隊が、駆けつけました。これまで大学校では、中国や韓国からの消防職員も、受け入れています。また、東京消防庁を始め、いくつかの消防本部はいろんな国に技術援助に行っています。

書棚の整理

4月からの大学院への出講準備のために、連休中に、書棚を整理しました。新しいファイルボックスを入れるために、スペースを作らなければならないのです。最近買った本は、本棚をあふれ出し床に並んでいるので、スペースを確保するためには、何かを捨てなければなりません。
そこで思い切って、これまでに行った講演会大学の資料を捨てました。各回ごとに、大判の紙封筒に入れて、日付と表題をつけて整理してあります(封筒を使った資料の整理術)。それぞれの封筒から、レジュメや配付資料を出すと、懐かしい思い出が一緒に出てきます。ここにも呼ばれてしゃべりに行ったよなあ、こんなこともしゃべっていたのだ、こんな資料もあったなあ・・と。ファイルボックス3箱分なので、かなりの数の封筒になりました。
発行せずに終わった「三位一体改革の記録と総括」の原稿も。連載をまとめる作業の途中で、本業が忙しく、挫折してしまいました。1冊の本にする直前まで進んでいたので、かなりの分量でした。泣く泣く処分。その時々に、本にしておかなければ、残りませんねえ、反省。