大学、社会との関わり方の変遷、2

ところで、自然科学系(理系)では、このように語られる社会との関係ですが、社会科学系(文系)では、どうだったのでしょうか。
まず、政治学、経済学、社会学などで、日本を研究対象にすることで、「輸入業」からの脱皮を進めました。もっとも、西欧の理論や思想を紹介する「輸入業」は、なお続いています。それが一方通行(入超)なら、昔と変わりません。双方向(日本の議論も、国際的な場で一緒に議論する)なら、「国際化」と評価できるでしょう。毎年、外国の専門書がたくさん日本語に翻訳されますが、日本の研究成果はどの程度、外国で知られているのでしょうか。
また、日本の研究者は、国際的な学界でどのような評価を得ているのでしょうか。それとも、そもそも社会科学の世界では、各国で閉じていて、国際的な学界は少ないのでしょうか。
もう一つ、社会との関わりについてです。
先に紹介した文章で、馬場教授は、科学者を社会との関わり方によって次の3つに分類しておられます。
・自然現象を科学的に追求し研究成果を活用することにあまり興味がない「ニールス・ボーア型」
・発明した技術が社会でどう役に立つかに情熱を傾ける「エジソン型」
・その両方を行い、真理を追究しながら社会貢献にも積極的に関与する「パスツール型」
自然科学においてこのような分類があるように、社会科学にあっても、このような分類は意味があると思いました。現在日本が抱えている課題に直接取り組む研究やそれに役立つ研究「実践型研究」と、過去や外国を対象とする「純粋型研究」とに分類するのでしょうか。現在の日本社会を対象としていても、単なる分析にとどまっては、実践型研究にはなりません。
社会との関わり方の一つの事例が、政府や行政との関わり方だと思います。政策にどのように参画するか、提言や審議会委員として発言することも、社会貢献の一例です。
さて、社会科学においては、マックス・ウェーバー(ヴェーバー)が唱えた「価値判断から独立した研究」が、一時もてはやされました。しかし、それでは、社会科学は現実社会の役に立たないのではないでしょうか。
また、これとも関係がありますが、社会科学の多くは、過去の分析に力を用い、未来を語りません。かつて、東京大学出版会のPR誌「UP」2005年6月号で、原島博教授が「理系の人間から見ると、文系の先生は過去の分析が主で、過去から現在を見て、現在で止まっているように見える。未来のことはあまり語らない。一方、工学は、現在の部分は産業界がやっているで、工学部はいつも5年先、10年先の未来を考えていないと成り立たない」といった趣旨を話しておられたことを紹介しました。