御厨貴著『馬場恒吾の面目―危機の時代のリベラリスト』(文庫版、2013年、中公文庫)を読みました。
馬場恒吾は、1875年生まれ、1956年死去。20世紀前半のジャーナリストで、昭和前半を独立した政治評論家として活躍しました。戦後は、読売新聞社長を務めています。
勉強になったか所を、引用しておきます、
・・「戦後」70年近くになるが、今や「政治評論よ、何処へ行く」の感を深くする。55年体制と自民党一党優位体制の確立は、まちがいなく政治評論を不毛にした。では55年体制の崩壊とその後の「政治改革」の20年は、どうだっただろうか。いやいっこうに政治評論ははかばかしくなかった。
55年体制下で紡がれたのは、ミクロな政局の叙述と、マクロな政治の展望との二つに集約される議論であった。ミクロとマクロのつなぎの部分が実はない。ジャーナリズム出身者による政治評論はミクロを得意とし、アカデミズム出身者によるそれはマクロに傾斜した。知らず知らずのうちに、相互不可侵の態勢ができあがり、自己満足以上の成果はなく、現実政治に影響力を与える筆の力はなまくらなまま打ち過ぎた。
政治構造の転換を余儀なくされたこの「政治改革」の20年も、小選挙区・二大政党制・政権交代の三題話に収斂する政治評論しかなかった・・(p3、文庫版まえがき。なぜ今、馬場恒吾か―政治評論の復活のために)
この項続く。