宇野重規著「〈私〉時代のデモクラシー」(2010年、岩波新書)を読みました。現在の日本や先進国で、自由と平等が達成できたことが、社会の不安と不満を生んだことを、極めて明快に分析しておられます。個人を縛り付けていた、イエや宗教といった「伝統」から自由になることを目指したのが、近代でした。また、身分や所属する団体による不平等を撤廃することを目指したのが、近代でした。それを達成した「後期近代」になって見えてきたものは、あらゆることを自分で判断しなければならないという負担であり、その選択に責任を持たなければならないという不安です。また、中間集団の希薄化は、個人の砂状化とともに、政治への回路をなくしてしまいます。ここにに、従来の政党は、不満の吸い上げと利益の配分に機能しなくなります。
私は「新地方自治入門」で、個人・社会・政治にとって、中間集団が大きな機能を果たしていること、そして従来型のイエ・ムラが希薄化し、新たな中間集団が必要なことを論じました(p210)。また、自由・平等・豊かさを達成した日本において、次なる理想は何か、戦うべき「敵」は何かを議論しました(p308)。さらに、いま大学院で講義している「社会のリスク」の項目の一つに、「社会関係の不安」をいれているので、非常に参考になりました。
新書というサイズには、大きなテーマですが、わかりやすく書かれています。ここではすべてを紹介できないので、ご一読をお勧めします。