本を書くのは自分のため

本棚を眺めていて、水谷三公『王室・貴族・大衆』(1991年、中公新書)が気になって、取り出しました。あとがきに、次のような記述がありました。
・・なにかわからないことがあったら、それについて本を1冊書いてみるのがよい。ヨーロッパにはこんな格言があると、『ヨウロッパの世紀末』(新潮社)のあとがきで、文芸評論家の吉田健一氏が紹介されている。してみると、ヨーロッパでは、本はまず読者のために書かれるというより、著者自身のために書かれる場合が多いと推測して、大過ないのかもしれない・・
「そうだったけ」と、今度は吉田健一『ヨオロッパの世紀末』(1994年、岩波文庫)を引っ張り出すと、確かに「・・そのヨオロッパに、何か解らないことがあったらそれについて1冊の本を書くといいという格言がある。これは本当であるようであってヨオロッパについて今度これを書いているうちに始めて色々なことを知った気がする・・」とあります。
うーん、読んだときには頭に残らず、問題関心を持って読むと、なるほどと思うことが多いですね。また、本の方から呼んでくれるというのも、本当ですね。本棚には前から積んであったのに、なぜ今の時期に取り出そうと思ったのか。自分でも不思議です。実は、この本に限らず、大論文執筆中に、いろんな本が連鎖的に出てきます。「そういえば、あの本にもこんなことが書いてあったな」と。
さて、私の原稿書きは、まさにこの格言に相当します。書いて行くうちに、自分の考えが整理されるだけでなく、いろんなことを調べるので、ようやくすこし解ってきます。