「経済対策と産業政策の違い」の続きです。
バブル経済崩壊後、度重なる経済対策にかかわらず、景気は良くなりませんでした。巨額の不良債権の処理、過剰な設備などの解消を行い、規制改革、市場開放などの供給拡大策も取られました。しかし、2010年代以降も、日本の経済は復活しませんでした。
これら以外の要因があったのです。一つは、国際競争です。日本が生産し輸出していた製品、代表は電気製品です。まず、工場が海外に移転し、国内産業が空洞化しました。次に、アジア各国の追い上げで、市場を奪われました。それは海外輸出だけでなく、国内市場でも負けました。いくつかの家電企業が倒産したり、外資に買われました。
アメリカはそのような経験(日本がアメリカの電器や自動車産業を負かした)をしたのですが、新しい分野で発展を続けました。情報通信、バイオ、映像などです。韓国や中国も、それらと競争するように、新しい分野でも力をつけました。日本は、世界の先頭を走っていた半導体産業でも、負けるようになりました。
日本も挑戦はしたのですが、アメリカに追いつけず、いくつかの分野では韓国、中国、台湾にも置いて行かれるようになりました。
この状態を作ったのは、日本の産業界です。世界第二位の経済大国になって、「経済一流、政治は二流」と豪語していたのに、その後の凋落ぶりは悲しいものがあります。
政策論に戻りましょう。
ケインズ経済学は需要に着目した景気対策であって、供給側(産業や国際競争)の視点が欠けています。供給側も入れた経済学・経済政策が必要なのです。その点では、日本は規制改革、市場開放などの供給拡大策は取ったのですが、産業政策だったのです。
日本がこの間に産業政策に消極的だったのは、新自由主義的改革思想にも原因があります。経済成長に成功し、従来の産業保護振興政策は終わったとの認識がありました。政府の市場への介入はなるべく減らすべきだという主張です。
それ自体は間違っていなかったのですが、産業界が「認識不足」「力不足」の場合は、政府が介入すべきだったのでしょう。課題はその手法です。産業が幼稚な時代(明治時代など)は、政府による技術導入や支援、国営企業の払い下げ、資金支援、関税による保護などが行われました。現在では、どのような産業にどのような手法を使えば良いのでしょうか。
現在、半導体産業をてこ入れしようとしています。ただし、政府や官僚に、どこまで産業の未来を見抜く能力があるかは、未知数です。
「日本経済低下の責任」