6月27日の朝日新聞、「佐伯啓思さんが見る戦後80年 「ごっこの世界」は終わらない」から。断片的に紹介しますが、意味が取りにくいので、原文をお読みください。
・・・この8月15日で戦後80年を迎える。それにしても、いつまで「戦後○○年」といい続けるのだろうかとも思うが、理由は簡単で、いまだにあの大戦の意味づけが確定できないからであろう。
戦争の意味づけができなければ、戦後という時代を見る確かな尺度も存在しない。戦争の意味づけとは、いいかえれば歴史観であるが、それなりの歴史観がなければ、「戦後」の歴史解釈もまた不確定なままであろう。
にもかかわらず、戦後の日本は、冷戦下での米国への追従によって、世界史の中でもまれに見る平和と経済発展を遂げた。戦後の最大の課題である、生存の確保と生活の安定、つまり平和の維持、およびその延長上にある経済的な豊かさはほぼ達成した。そのためには「過労死」などという言葉が英語になるほど、日本人はよく働いた。自民党政権が言い続けてきた「平和と繁栄」はおおよそ実現したといってよい。
だがそれで何かをなしとげたという自信や確信があるかといえば、どうも心もとない・・・
・・・少し象徴的にいえば、私は、ある意味で、1970年に「戦後」はひとまずの区切りをもっていたと思う。現在、大阪・関西万博が開催中であるが、70年には、日本で初の万国博が大阪で開催された。それは日本の戦後復興の完成であり、高度成長の頂点であった。同時に、この時代は、思想的には左翼全盛期であり、左翼学生運動の最終幕であり、また、かねて、沖縄返還がなければ戦後は終わらない、と宣言していた佐藤栄作首相のもとで返還が実現した時代である・・・
・・・それを江藤は「ごっこの世界」と呼んだ。たとえば、左翼系の学生運動はせいぜい「革命ごっこ」であり、自民党の唱える自主防衛もまた「自主独立ごっこ」でしかない。三島由紀夫の「楯(たて)の会」も「軍隊ごっこ」である。
そこには、厳しい現実に直面した身を切るような経験がない。皆が「ごっこ」に参加させられている。そしてその理由は、防衛にせよ、経済にせよ、戦後日本の基本構造は、あくまで米国によって作り出され、また支えられてきたからである。
米国は、日米安保体制によって日本の安全を維持するとともに、日本を冷戦下で共産主義に対する前線基地とみなした。また、日本の経済復興を支えると同時に、日本を米国の重要な市場ともみなした。つまり、戦後日本の「平和と繁栄」は米国の支えなしにはあり得ず、それはまた、日本が米国の国際的な戦略に編入されることを意味していた。
端的にいえば、戦後日本の「平和と繁栄」は、米国の「力」への追従と無関係ではない。その意味では、もっぱら「平和」を唱えた左翼護憲派も、他方で「繁栄」を主張した自民党的保守派も同じことである。両者による戦後日本の対立軸も、結局、米国の軍事力と世界戦略のもとでの「対立ごっこ」であった。
こういう世界では、本当の政治的課題は存在しない。なぜなら、真に重要な政治課題とは、自らの意思と手で「日本という国家」を造形するものであり、それこそが「公的なもの」だからである。しかし、「ごっこの世界」には真の「公的なもの」は存在しない。
江藤のいい方を借りれば、公的なものとは、自分たちの共通の価値の自覚にあり、それは、自らの生を共同体の運命として引き受けることである。だから「公的なもの」の方向指示器を米国に委ねれば、日本の政治から「公的なもの」という感覚が失われるのも当然であろう。その結果、日本の政治にあっては、もろもろの「わたくしごと」が政治空間を占拠した。
これが70年に江藤が述べたことである。ところで、彼は、論考の後半で、戦後日本の「ごっこの世界」はいまや終わりつつあるという。「ごっこの世界」とは、リアルな現実に直面しない一種の楽園であるが、この楽園の出し物はもう終わりを迎えつつある・・・