「憲法改正できない国」の続きです。こんなことを考えたのは、新型コロナウイルス感染拡大防止です。コロナウイルスは全世界に広がり、各国が対策を打ちました。その基本は、外出制限です。
日本では、外出制限を「自粛」で行うこととしました。そしてその効果があって、かなり蔓延を防ぐことができました。国民が、政府の自粛要請を受け入れる国なのです。
・都道府県知事により外出自粛要請、施設の使用制限に係る要請・指示・公表等
・一定規模以上の遊技場や遊興施設など多数の者が利用する施設に対して使用制限や催物の開催の制限等を要請。(新型インフルエンザ等対策特別措置法第45条)
ところで、諸外国では法律で外出規制をして、その違反に対して罰金や罰則もあるようです。それに対し日本は、コロナウイルス外出規制を、法律でなく自粛呼びかけで行う国です。そしてそれを、ほとんどの国民が守ります。これは一見すばらしいことです。他方で、法律で個人の行動を制限をできない国なのではないでしょうか。
新型コロナウィルスの蔓延は、国民の生命健康に大きな被害を与え、社会にも被害を与えます。よって、外出制限が求められました。外出という個人の基本的人権を制約するのですから、法律に基づく規制とすべきでしょう。自粛はあくまで本人の自由意思ですから、「私は守りません」という人が出てきたら、防ぎようがありません。それを、周囲の「監視の目」で抑制しようとするなら、これまた怖い話です。参考「コロナウィルスが明らかにすること2」「風営法によるコロナ対策の飲食店立ち入り」「マスク着用、みんなが着けているから」
ここには、法律による行政ではなく、国民の自主規制による行政が見えます。一見、日本社会の素晴らしさと見えます。しかしそれは、憲法が目指した「法治国家」ではないでしょう。自粛しない人を制限できないのです。
また、日本は、国民が政府を信用してない国という見方もあります。例えば、税金です。「税金は国に取られるもの」という意識が強く、増税には強力な反対が出ます。しかし、近年の消費税増税に見られるように、その収入は社会保障に充てられ、国民に還元されるのです。ドイツで選挙の際、消費税増税を公約にした例を紹介したことがあります。参考「国民の信頼がない日本政府」「消費税増税議論」「もはや高負担でないスウェーデン」