コロナウイルス、相互理解の衰弱促進

8月4日の日経新聞経済教室「アフターコロナを探る」、猪木武徳・大阪大学名誉教授の「相互理解・連携の衰弱一段と」から。
・・・パンデミックが歴史の転換点となりうるとしても、これまでの変化を加速させるのか、あるいは変化の方向を反転させるような力を持つのかを見通すのは難しい。ここでは2月以来、筆者が注目してきた点をいくつか述べるにとどめたい。

まず第1は、感染への恐れから人との直接的な接触が少なくなり、相互理解の努力をしつつ連携(associate)しようとする精神が弱まるのではないかという問題だ。過去四半世紀の技術革新、特に情報通信技術の進展は、わずか一世代で社会生活のスタイルを大きく変えた。それは人と人の直接の接触を減らす方向への変化であった。今回のパンデミックはその傾向をさらに強めると考えられる。
われわれはフェイス・トゥ・フェイスの接触を通して、人とのほどほどの距離感と公共意識を学び取ってきた。だが先端技術による社会的交わりの手段の多くは、人との距離感覚を鈍化させるような不確かで不安定なものが多い。タブレットやスマホでの映像や短い言葉のやり取りが人と人との連携を生むのだろうか。
デモクラシーは本来的に人々を個人主義的にし、バラバラにさせる力を持つ。そこへ「社会的距離を取る」というマナーが加わると、人々の匿名性が高まり公共精神を育む力は弱くなるであろう。公共精神の衰弱は健全なデモクラシーの屋台骨を切り崩しかねない・・・

・・・科学と技術のハードウエアの教育だけでは、社会の改善は望めない。その一つの歴史的根拠として、ジャスティン・リン北京大教授の次の指摘は興味深い。
中国社会では羅針盤、火薬、紙、印刷、鋳鉄技術など様々な発明が生まれた。にもかかわらず、産業革命という大転換は起こらなかった。それは中国が科学という社会システムとしての「文化」を生み出せなかったからだと言う。知的廉直さを厳守する社会システムが存在しない限り、科学という「文化」は生まれない。個別具体的な発明は散発的に現れても、科学という「文化」は中国には形成されなかったとリン教授は指摘する(米経済学者ポール・ローマー氏の引用による)・・・