1991年のバブル崩壊から始まった、日本経済の低迷。それは、しばらくして「失われた10年」と呼ばれ、続いて「失われた20年」と呼ばれました。「日本が特別だ」と、内外の識者は指摘しがちです。しかし、広い視野から見ると、そんなに特別なことは起きていません。
1990年代後半からのデフレについて、諸外国は日本の対応を批判しました。しかし、現在は、欧米各国もまた、金融不安、低成長、失業に、日本以上に悩んでいます。ロバート・マッドセン、マサチューセッツ工科大学シニアフェローは、次のように指摘しています(「衰退する日米欧経済」フォーリン・アフェアーズ・リポート2013年1月号)。
・・数字だけをみれば、日本の国力(パワー)がこの失われた20年で低下したわけではない。経済規模は、1990年代初頭と比べて大きくなっているし、防衛力も、大規模な投資と着実な技術改善によって強化されている。
だが、パワーは相対的なものであり、(その強さをはかる)重要な基準は、他国の人々や政府を、自国が望ましいと考える行動をとるように説得する手段をもっているかどうかだ。この基準でみれば、日本の影響力は明らかに低下しているし、今後もこのトレンドは続くだろう。
だが、日本がこの点で特異なケースというわけではない。それどころか、日本の影響力の低下は欧米を含む先進世界の変化の前兆だったとさえみなせる。いまや、あらゆる先進諸国の立場と影響力が形骸化しつつある・・
1990年代末までには日本脅威論は姿を消し、欧米諸国は経済を再生できずにいる日本政府を批判するようになった。ここにおける大きな皮肉は、日本政府にさまざまな注文を付けてきた欧米諸国が、いまや、日本経済の後追いをしてしまっていることだ・・
日本の「失われた20年」の経験から、なにがしかの教訓を学んでいた各国の中央銀行と政府は、危機を前に積極果敢な金融政策と財政政策を実施し、「自分たちは日本の二の舞にはならない」というメッセージを市場に送った。
だが、欧米の当局者の考えは甘かった。結局のところ、欧米経済がこの5年間で経験してきたことは、1990年代の日本の経験と非常に似ている・・
1991年から20年間続く、日本の経済低迷。そこには、2つの要素がありました。一つは、前半に起きた日本独自のもの、もう一つは後半に起きている先進国共通のものです。
日本独自のものとは、追いつき型経済成長の終焉です。欧米先進諸国を目標に、最先端の技術を輸入し、より安い賃金と優秀な技術力で、世界を席巻しました。しかし、先進諸国に追いつき追い抜いた時点で、このモデルは通用しなくなります。1990年代、時あたかも、アジアの各国が、30~40年前に日本がたどった道を急速に追いかけてきました。それまでの成功が大きかっただけに、急停止との差も大きかったのです。バブルの生成と崩壊が、この変化を増幅しました。
これら新興国が、もっと早くに日本型経済成長路線を歩んでいたら、日本の一人勝ちはなく、日本特異論は起きなかったでしょう。かつて日本企業が、欧米のカメラ、時計、電器、鉄鋼などの産業をなぎ倒したように、アジア各国特に韓国、台湾、中国の企業が、日本の産業をなぎ倒しています。でも、この半世紀の世界経済の歴史から見ると、特異な光景ではありません。歴史は繰り返される、です。日本独自と言いましたが、アジアの新興国が日本の道をたどっている以上、早晩、これらの国も、日本の1990年代と同じことを経験するでしょう。日本独自というのは、この時期に日本だけが経験したという意味です。
他方、先進国共通のものは、つぎのようなものです。経済の成熟、成長の鈍化、新興国の追い上げ、グローバル化、国内での高齢化と社会保障費の増大などに悩まされ、多くの国で経済が低迷しています。日本の低成長とデフレを批判した諸外国が、日本以上に低成長や失業の増大に悩んでいます(グローバル化と国家の役割)。日本は、先進国が経験したことのないデフレに悩みました。処方箋が、経済学の教科書に載っていないのです。日本が世界とは切り離された独自の世界で、独自のことを行っているのではありません。グローバル化した世界経済の中で、悩んでいたのです。日本の悩みは、世界共通の要素があったのです。