23日(土曜)24日(日曜)と、仙谷官房副長官のお供をして、宮城県気仙沼市、亘理町、山元町、福島県相馬市に、行ってきました。現地を見せてもらい、市町長さんたちの要望を聞き、当方の問題関心をお伝えすることが主な用務です。
これらの町は津波被害が大きく、がれき(災害廃棄物)がたくさん残っています。400トンのマグロ船が、陸に上がっていたり。町の100年分の廃棄物があるという町もありました。これは難物です。田んぼの中の大きながれき、例えば家の残骸とか自動車は片付けても、地中にガラス片や金属片が残っていて、田としては使えないところもあると、おっしゃっていました。
首長さんたちは、それぞれ実情にあった対策を、知恵を出しながら行っておられました。市町長さんが何に気を遣っておられるか、良くわかりました。失礼な言い方ですが、各首長さんの競い合いです。「つらいけど、いつまでも後ろ向きじゃ、復興しないから」と、おっしゃいます。「まずは、産業復興だ。それがないと、町の将来はない」とも。「今回津波が来た地域は公園にして、市街地は高台に上げるつもりだ」とか、どんどん絵を描いておられます。
私の関心の一つは、避難所の条件改善です。今回おじゃました各避難所は、市町職員や応援に来た自治体職員が、避難所住民代表らと良く連携を取って、運営しておられました。食事も、住民参加で調理しておられたり、自立に向けて踏み出しておられます。同じ市内でも、間仕切りのある体育館と、無い体育館がありました。「足らなかったら送りますよ」と聞いたら、「いいえ、間仕切りがあると疎遠になるので、皆さんが『要らない』と言うんです」という答でした。
物資は、ほぼ行き渡っています。「最初の頃は、物資が来なくて困った。そのうちに国が手配をしてくれて、食事や石油が届いた」と、お礼を言ってもらえました。人手が足りないという所もあったので、「避難所で元気な人を雇って、作業をしてもらう仕組みがあるので、それを使ってください」と、お願いしてきました。仮設住宅建設も着実に進み、旅館などへの一次的避難(ショートステイのようなもの)も、利用の準備が進んでいました。
避難所では「早く働きたい」という声、漁港では「早く漁に出たい」という声が大きかったです。そのお気持ちは、良くわかります。私たちも、同じ予算金額で、生活のための失業手当のようなお金を出すより、働いてもらって賃金を渡す方が、個々人の満足度は上がると考えています。そして、復旧復興につながる仕事をしてもらうと、「一石二鳥」以上の成果が出ます。
旧知の市長さんや副市長さんもおられ、ご活躍ぶりが良くわかりました。それぞれに、自宅を無くされたり、職員を失ったり、つらい目にあっておられます。帰りに、福島県庁に寄って、原発事故対策に当たっておられる内堀副知事や、避難所担当の杉浦課長さんに、お話を伺ってきました。ご苦労をされておられます。