カテゴリー別アーカイブ: 復興10年

災害時ドローン事前登録

12月14日の読売新聞夕刊に「災害時ドローン事前登録 能登教訓 迅速派遣へ新組織」が載っていました。

・・・ドローンの普及に取り組む一般社団法人「日本UAS産業振興協議会(JUIDA)」(東京)は、災害時にドローンを迅速に活用するための体制作りに乗り出す。1月の能登半島地震で初動が遅れたのを教訓に、災害時に派遣可能な全国各地の機体をあらかじめ登録し、速やかに被災地に送り出せるようにする。運用にあたる民間防災組織を近く設立する。

JUIDAによると、能登半島地震ではドローンを扱う計約30の企業・団体が地震から約1か月間、石川県奥能登地方に入り医薬品の輸送や家屋の被害状況の把握などを担った。だが、対応可能な企業・団体の選定や自治体との調整に時間を要し、実際にドローンを飛ばして活動を始められたのは地震から4日後だった。
これを踏まえ、JUIDAは災害派遣の調整役を担う民間防災組織を新たに設立する。ドローンを所有する全国の企業・団体に派遣可能な機体の登録を呼びかけ、被災自治体からの要請に応じ、利用目的に合った機体や操縦士を迅速に派遣できるようにする。行方不明者の捜索や被災状況の調査、物資の輸送などの利用を想定し、参加企業・団体による合同訓練も行う・・・

民間団体の力で、災害対応が進化する話です。良いことですね。

浪江復興米

今年も、おいしい浪江復興米ができました。
原発事故被災地の浪江町の田んぼで、舞台ファームと東京農業大学が協力してくださっています。
東京農大の田植えの様子」「東京農業大学学生対象の農業実習
今年は「にじのきらめき」という品種だそうです。

舞台ファーム専務の独り言「面白い品種名」(11月8日)は、面白いです。「ミノタウルス」「さつきみどり」「インドジン・ウソツカナイ」など。へえ~と、笑えます。

石巻市の災害遺構

先日、東松島市で講演をした際に時間があったので、石巻市の災害遺構を見てきました。
石巻南浜津波復興祈念公園は、国が3県に作った祈念公園の一つです。周辺を含め、国と県と市が分担して、整備し管理しています。「みやぎ東日本大震災津波伝承館」「石巻南浜津波復興祈念公園
私は構想過程から見ていて、中心施設もできたときに見ています。今回も、見てきました。見学者も多いようです。

石巻市震災遺構門脇小学校」に入るのは、今回が初めてです。津波に襲われ、火災が発生した生々しい状態が残されています。また、学校に避難した人たちが、機転を利かせて裏山に避難した状況もわかります。

当時を知らない人には、良い勉強の場となっています。
街は見事に復興し、歩いているだけでは、あの被害がわかりません。石巻市の中心から近くにあります。石巻に行かれたら、ぜひ立ち寄ってください。

舞台ファーム専務の独り言

このホームページでしばしば紹介している、原発被災地で農業支援をしてくださっている「舞台ファーム」。ありがとうございます。
専務取締役の伊藤啓一さんが、ホームページで「ひとりごと」の欄を作られました。専務といっても、ネクタイを締めてソファーに座っている職業ではありません。「47歳で、この世界では若手」の農業従事者です。

「日本農業の歴史や、我々も含めた農家の考え方、農業関連の法律や農政、植物生理に関すること、海外の農業と日本農業の違い、そしてこれからの農業について」説明してくださるとのこと。
農業従事者数は、全産業の3%まで減っています。農業現場を知らない人も多いでしょう。ご関心ある方は、お読みください。
レタスのキモチ」(9月26日)も面白いですよ。

国会事故調査委員会のその後

9月10日の朝日新聞オピニオン欄に、東京電力福島第一原発事故に関する国会事故調調査統括を務めた宇田左近さんへのインタビュー「原発事故後、変わらぬ日本」が載っていました。

東京電力福島第一原発事故で時限設置された国会事故調査委員会のメンバーが今夏、「同窓会」を開いた。日本社会に突きつけた課題が、干支が一巡してもほとんど改善していないことを憂えた集いの名は「変わらぬ日本と変わる私たち」。調査実務を統括した宇田左近さんに、問題の所在と解決の糸口を聞いた。

――2011年の原発事故を受け、政府・国会・民間・東電と、いくつもの事故調査委員会ができました。その中で国会事故調は、どんな存在でしたか。
「当事者からの独立性は、政府と東電の事故調は弱く、国会と民間の事故調は強かったといえます。一方で調査権限は、民間と東電は弱く、政府と国会の事故調は強く広範だった。つまり、独立性と調査権限を兼ね備えていたのが国会事故調でした。だからこそ、その結論は海外からも信頼されました」
「委員10人は各党推薦で、私を含め調査実務を担った約80人は全員民間からの参加でした。政治家や政府関係者による接触も制限し、独立性を担保。調査権限では、いざとなれば国会に国政調査を要請できることが効き、広く協力が得られました」
「省庁の審議会と違い、結論ありきではありません。調査結果に基づき、委員全員が全体に責任を持つ形で報告書をまとめました。その結果、歴代の規制当局と東電の間で、津波や地震、過酷事故などの対策を見直す機会が何度もあったにもかかわらず、してこなかったことから『人災』だったと結論づけたわけです。また、いつしか規制当局が圧倒的に情報量が多い電力事業者の言いなりになってしまっていたことを『規制の虜』という言葉で指摘しました」

――その後への提言もありましたね。
「提言は(1)規制当局に対する国会の監視(2)政府の危機管理体制の見直し(3)被災住民に対する政府の対応(4)電気事業者の監視(5)新しい規制組織の要件(6)原子力法規制の見直し(7)独立調査委員会の活用――の七つでした。国会事故調は、実質半年で報告をまとめることが法律で定められており、12年7月に報告書を両院議長に提出すると翌日には解散しました。以降のボールは国会にあると考えています」

――提言の実施状況を、どう見ていますか。原子力規制委員会という独立性の高い規制組織は整備されたものの、事故や原子力のあり方について国会に検証や監視・議論を続けていくことを求めた提言は、ほとんど実現していないようにみえます。
「提言(1)に沿い、衆院原子力問題調査特別委員会が13年に設置されましたが、実質的な議論の機会は限定的に思えます。何を実施したのか、しないのならばその理由などを、国民に明らかにすべきです。関係者の証言記録を含め、集めた膨大な調査資料は、今も非公開のまま国会図書館に眠ったままです。提言の背景や趣旨について国民の理解を深めてもらうためにも、扱いを早急に判断すべきです」
「米国では、スリーマイル島の原発事故の際に民間人を活用した独立調査委員会が報告書をまとめ、規制当局と原子力事業者の関係見直しにつなげています。英国は、狂牛病やイラク戦争などの重大事には独立委員会で政府対応を検証し、批判も含めて報告書にしています。日本の国会も、政府が言ったことだけを議論するのではなく、自分たちで対案を出して議論していくということが大いにあっていい。そうでないと、世界の信頼はなかなか得られません」