カテゴリーアーカイブ:政治の役割

曽我記者、「政局」はもういいかもしれない

2020年11月15日   岡本全勝

朝日新聞ウエッブ「論座」に、曽我豪・編集委員が、「「政局」はもういいかもしれない」を書いておられます(11月11日掲載)。

・・・「政局」という言葉の意味、みなさんはわかりますか? 自分には謎だった・・・思えば、この数カ月間、政界は「政局」ばかりだった・・・世間に向けて発信する論戦よりも、身内の多数派工作が優先される様は、与野党に共通する。あっちもこっちも「政局」なのである・・・

・・・ただ、それらはいずれも表の論争に依らぬ、水面下の隠微な「多数派工作」に過ぎない。自民党と立憲民主党という二大政党が、明快な政権公約と連立政権構想を有権者に掲げ、政権選択を仰ぐという本来の政党政治のあり方からは、なんとも程遠い「政局」である。
そもそも、自分が投じる一票が、結果としてどのような政権を生むのか、それが十分に可視化されないままでは、安心して投票所に向かうことなどできないのではあるまいか・・・

・・・それにしても、都構想の住民投票にせよ、米大統領選にせよ、事前の予想のいかに空しいことか。
何が争点であり、勝敗によって何が起きるのか、投票に向けてそうした基礎情報を十分に提供するのがメディアの本務であるはずなのに、勝敗の事前予想ばかりが世間を賑わせる。論議が生煮えのまま投票自体がポピュリズムに流れ、なおかつ結果が僅差で終われば、残るのは分断されたという感覚だけ。主権者たる有権者が直接、重要政策や政権を決めることができる民主主義の方策が、かえって対決の火種を残す皮肉な結果となる。

しかも現在は、新型コロナウイルスという未体験の危機の真っ只中である。感染の再拡大が続く諸外国の状況を見ても、拡大防止と経済活動維持の二つの課題を同時に解決する処方箋は簡単には明示できておらず、だからこそ、局面ごとにその都度「最適解」を探り当てる繊細な政策遂行の技術と、国民からの信用が必要となろう・・・政治家も政治記者も、「政局」ばかりを模索し、書いている場合ではない・・・
原文をお読みください。

政治家の資質を語る

2020年11月2日   岡本全勝

10月29日の朝日新聞オピニオン欄、曽我部真裕・京都大学教授の「政治家の資質を語ろう」から。
・・・アメリカ大統領選挙が佳境を迎えている。先月から今月にかけて、大統領候補者同士のほか、副大統領候補者同士のディベートも行われた。その様子は日本でも大きく報じられ、様々にコメントされた。この機会に限らず、大統領候補者は、予備選挙の段階から長期間にわたり、実に多くの機会に国民の視線にさらされ、自らの資質を明らかにすることが求められる。

翻って日本ではどうか。先ごろ行われた自民党総裁選挙で圧勝し、その後首相に就任した菅義偉氏は、就任早々、日本学術会議会員任命問題が生じても記者会見を開かず、その代わりに開かれたと思しき異例の「グループインタビュー」では、下を向いて原稿を読むことに終始する様子が批判された。そもそも首相になってから「たたき上げ」かどうかが論議される有り様であり、要するに新首相は、国民がその来歴や人物像、政治観などをたいして知らないまま最高権力者の座に就いたのである。
直接選挙による選出ではないとはいえ、民主主義国家において、これは戦慄すべきことではないだろうか。

考えてみれば、新聞やテレビ報道で、政治家の資質に関わる情報が伝達されることは少ない。広く視聴される番組で取り上げられるのは、アイドル的人気を博して興味が寄せられる場合のほか、耳目を引く過激な発言をしたり、不祥事を起こしたりした政治家のことなどである。他方、しっかりした討論番組も確かに存在するが、視聴者層に広がりを欠く。
また、新聞ではそもそも政治家、とりわけ今後のリーダーと目される人物にフォーカスした記事が掲載されること自体が稀であるようである。

企業経営者に関しては、ビジネス雑誌等が盛んにインタビューを行い、その来歴、経営哲学、愛読書等々が数多く記事化されるのとは対照的である。もっとも、インタビューは難しい。熟練の聞き手がしっかり準備した上でないと、単なる宣伝の場と化してしまうからだ。
メディア以外に目を向けると、もちろん政党は、人材の発掘・育成、リーダーの選抜に大きな責任を負っている。メディアを含め、外部の目にはどうしても行き届かないところがあり、政党内部の同僚議員からの評価は非常に重要である。多角的で公正、かつ長い目で政治家を育てる姿勢が政党には求められる・・・

参考「最高裁判事の任命

政策の階層

2020年10月14日   岡本全勝

9月25日の朝日新聞、佐伯啓思先生の「この7年8カ月の意味」の続きになります。「安倍政権の位置づけ、激変した世界の中で。その2」で、次の文章を引用しました。
・・・最高の地位にある政治家は、また行政のトップでもある。最高の行政官は、国民の要求に応えなければならず、また国家の直面する目前の問題に対して現実に対処しなければならない。まさに身を粉にして「仕事」をしなければならない。「仕事」をすれば支持率はあがる。だが、政治家とは、世界状況を読み、その中で国家の長期的な方向を示すべき存在でもある。「旗」をたて、その旗のもとに結集すべく人々を説得する「指揮官」でもある・・・

各人が精一杯努力してそれぞれに成果が出ているのに、全体としてはうまく行っていない。小は職場や企業から、大は日本の政治と社会まで、しばしば見られる現象です。理由の一つは、求められる成果に対して、違ったことに頑張っているからです。極端な例は、企画案(粗々な原案でよいから)を求められているときに、文章のてにをはを直すことに時間をかけている場合です。暗闇で鍵を落としたのに、そこから離れた街灯の下で鍵を探すとか・・。

では、日本政治ではどう考えたらよいか。私は、次のように考えています。
その1 評価の基準
日本の政治は、いま何をしなければならないか。たくさんある課題から、どれを優先するか。これは難しい判断です。しかし、簡単に言えば、「10年後から振り返って、あの時(2020年)は正しいことをした」と評価できるかどうかです。「毎年、いろいろ頑張ったのに、なぜこんなことになったのだろう」では失敗です。
10年後から振り返るとしても、経済、財政、社会保障、安全などいろんな分野で測ることができます。これまた簡単に言えば、「国力で世界何位にいるか、国民一人あたり国内総生産で世界何位か」が、最もわかりやすいです。もちろん、経済力だけで、国民の幸せを測ることはできません。しかし、平成以来の日本社会停滞の大きな原因は、経済の停滞です。このまま放置すると、中国、アメリカなどに引き離され、韓国や台湾の後塵を拝するでしょう。

その2 政策の階層
では、総理をはじめ責任者は、何をすればよいのか。それを考える際に必要なことが、政策の階層です。内閣も課長も、さまざまな課題に取り組みます。その際に、優先順位をつけることが必要なのです。
それも、一列に並べることではありません。内閣で言えば、取り組まなければならない課題や政策を「総理が取り組むこと」「大臣が取り組むこと」「局長が取り組むこと」の3層に分けることです。
すると、政策の体系・ピラミッドができます。総理がするべきこと、大臣が取り組むべきこと、局長に任せること。これを判断するのが、総理と総理を補佐する人たちの一番重要な任務です。
「明るい公務員講座」56ページでは、ゾウを捕るのかネズミを捕るのかのたとえで話しました。「講座」では一人の職員の任務として話しましたが、組織の場合は課題をゾウとネズミに分類し、誰にどれを分担させるかです。

マックス・ウェーバーが、心情倫理(信条倫理)と責任倫理を分けました。政治にしろ企業にしろ、「頑張りました」だけではだめで、「これだけの結果を出しました」が判断基準です。この項続く

安倍内閣の成長戦略評価 

2020年10月8日   岡本全勝

10月4日の読売新聞1面「地球を読む」は、吉川洋・立正大学長の「アベノミクス後 成長戦略 矢は届かず」でした。

・・・読売新聞が9月上旬に行った世論調査では、安倍内閣の実績について、「大いに」と「多少は」を合わせて、実に74%の人が「評価する」と答えた。支持率も前回8月7~9日の37%から52%へと、15ポイントも上昇した。記事には「首相の辞任表明後、支持率が大幅に上昇するのは、過去の内閣と比べても異例だ」とのコメントが添えられていた。
アベノミクスの下で、日本経済の実績はどうだったのか。残された数字は、世論調査の結果と必ずしも平仄が合うものではない。 日本経済は、2012年11月を景気の「谷」としてその後「拡張期」に入った。その1か月後に誕生した第2次安倍内閣は、景気が上り坂に入ったその瞬間に誕生したのだから、こと経済に関する限り、運のよい内閣だったのである。

それでも、12年10~12月期から、新型コロナウイルスの感染が拡大する直前の19年10~12月期まで、7年間の実質国内総生産(GDP)成長率は年率平均0.9%と、1%に届かなかった。身近な個人消費の平均成長率は0.04%と、ほぼゼロ成長である。
同じ期間、世界的に経済の「長期停滞」が語られる中でも、米国の消費は平均2.7%伸びた。悪いと言われていた欧州連合(EU)でも消費は平均1.4%のペースで増えた。日本の消費ゼロ成長は、先進諸国の中で際立って悪い・・・
この項続く

安倍政権の位置づけ、激変した世界の中で。その2

2020年10月1日   岡本全勝

佐伯啓思先生「安倍政権の位置づけ、激変した世界の中で」の続きです。では、この大変動の中で、どうすればよいか。

・・・100年ほど前、文明論者のオルテガは、既存の価値観が崩壊し、しかも次の新たな価値観が見えず、人々は信じるにたる価値を見失って、社会が右へ左へと動揺する時代を「歴史の危機」もしくは「危機の時代」と呼んだが、まさしく、2010年代は、小規模な「危機の時代」である。グローバリズム、リベラルな民主主義、市場中心主義、米国流の世界秩序といった「冷戦後」の価値が失墜し、しかもその先はまったく見通せないのである。
安倍政権が誕生したのは、まさにこの「危機の時代」であった。この不安定な時代には、次々と問題が発生する。人々の不満は高まる。民主主義は政治家に過度なまでの要求を突きつける。安倍政権は、確かに、次々と生じる問題にその都度、対処しようとした。「仕事」に忙殺される。しかし何をやっても経済はさしてうまくゆかず、いくら外交舞台で地球上を飛び回っても、国際関係は安定しない。外交で、安倍氏個人への信頼は高まっても、今日の複雑に入り組んだ国家間の軋轢や経済競争は容易には改善されないのである・・・
・・・安倍政権が、大きな課題を掲げることができなかったのは当然であり、またその「仕事」が大きな成果を生み出せないのも当然である。もはや、この時代には、経済成長主義も日米同盟による安全保障も自明ではなくなってしまったからである。焼け跡の復興から始まった日本の戦後が、まだまだ上昇機運にある時代には、大きな課題、つまり将来へつながる国家目標を掲げることができる。しかし、世界状況がこれほど混沌(こんとん)とし、人口減少によって経済成長も困難となり、おまけに自然災害や疫病までが襲ってくる時代には、何を掲げればよいのであろうか・・・

・・・最高の地位にある政治家は、また行政のトップでもある。最高の行政官は、国民の要求に応えなければならず、また国家の直面する目前の問題に対して現実に対処しなければならない。まさに身を粉にして「仕事」をしなければならない。「仕事」をすれば支持率はあがる。だが、政治家とは、世界状況を読み、その中で国家の長期的な方向を示すべき存在でもある。「旗」をたて、その旗のもとに結集すべく人々を説得する「指揮官」でもある。
今日、「国民の要求に応えるべく必死で仕事をする」というのが政治家の決まり文句になり、人々もそれを求める。だがそれはあくまで行政官としてであって、政治家とは、人々にその向かう方向を指し示す指揮官でもなければならない。時代の困難さはあれ、安倍氏がこの意味での政治家であったとは思えないのである。その同じ課題は次の指導者にも求められるだろう。この不透明な時代にあって、たとえそれがどんなに困難なことだとしても、である・・・