「政治の役割」カテゴリーアーカイブ

行政-政治の役割

安倍内閣の成長戦略評価 

10月4日の読売新聞1面「地球を読む」は、吉川洋・立正大学長の「アベノミクス後 成長戦略 矢は届かず」でした。

・・・読売新聞が9月上旬に行った世論調査では、安倍内閣の実績について、「大いに」と「多少は」を合わせて、実に74%の人が「評価する」と答えた。支持率も前回8月7~9日の37%から52%へと、15ポイントも上昇した。記事には「首相の辞任表明後、支持率が大幅に上昇するのは、過去の内閣と比べても異例だ」とのコメントが添えられていた。
アベノミクスの下で、日本経済の実績はどうだったのか。残された数字は、世論調査の結果と必ずしも平仄が合うものではない。 日本経済は、2012年11月を景気の「谷」としてその後「拡張期」に入った。その1か月後に誕生した第2次安倍内閣は、景気が上り坂に入ったその瞬間に誕生したのだから、こと経済に関する限り、運のよい内閣だったのである。

それでも、12年10~12月期から、新型コロナウイルスの感染が拡大する直前の19年10~12月期まで、7年間の実質国内総生産(GDP)成長率は年率平均0.9%と、1%に届かなかった。身近な個人消費の平均成長率は0.04%と、ほぼゼロ成長である。
同じ期間、世界的に経済の「長期停滞」が語られる中でも、米国の消費は平均2.7%伸びた。悪いと言われていた欧州連合(EU)でも消費は平均1.4%のペースで増えた。日本の消費ゼロ成長は、先進諸国の中で際立って悪い・・・
この項続く

安倍政権の位置づけ、激変した世界の中で。その2

佐伯啓思先生「安倍政権の位置づけ、激変した世界の中で」の続きです。では、この大変動の中で、どうすればよいか。

・・・100年ほど前、文明論者のオルテガは、既存の価値観が崩壊し、しかも次の新たな価値観が見えず、人々は信じるにたる価値を見失って、社会が右へ左へと動揺する時代を「歴史の危機」もしくは「危機の時代」と呼んだが、まさしく、2010年代は、小規模な「危機の時代」である。グローバリズム、リベラルな民主主義、市場中心主義、米国流の世界秩序といった「冷戦後」の価値が失墜し、しかもその先はまったく見通せないのである。
安倍政権が誕生したのは、まさにこの「危機の時代」であった。この不安定な時代には、次々と問題が発生する。人々の不満は高まる。民主主義は政治家に過度なまでの要求を突きつける。安倍政権は、確かに、次々と生じる問題にその都度、対処しようとした。「仕事」に忙殺される。しかし何をやっても経済はさしてうまくゆかず、いくら外交舞台で地球上を飛び回っても、国際関係は安定しない。外交で、安倍氏個人への信頼は高まっても、今日の複雑に入り組んだ国家間の軋轢や経済競争は容易には改善されないのである・・・
・・・安倍政権が、大きな課題を掲げることができなかったのは当然であり、またその「仕事」が大きな成果を生み出せないのも当然である。もはや、この時代には、経済成長主義も日米同盟による安全保障も自明ではなくなってしまったからである。焼け跡の復興から始まった日本の戦後が、まだまだ上昇機運にある時代には、大きな課題、つまり将来へつながる国家目標を掲げることができる。しかし、世界状況がこれほど混沌(こんとん)とし、人口減少によって経済成長も困難となり、おまけに自然災害や疫病までが襲ってくる時代には、何を掲げればよいのであろうか・・・

・・・最高の地位にある政治家は、また行政のトップでもある。最高の行政官は、国民の要求に応えなければならず、また国家の直面する目前の問題に対して現実に対処しなければならない。まさに身を粉にして「仕事」をしなければならない。「仕事」をすれば支持率はあがる。だが、政治家とは、世界状況を読み、その中で国家の長期的な方向を示すべき存在でもある。「旗」をたて、その旗のもとに結集すべく人々を説得する「指揮官」でもある。
今日、「国民の要求に応えるべく必死で仕事をする」というのが政治家の決まり文句になり、人々もそれを求める。だがそれはあくまで行政官としてであって、政治家とは、人々にその向かう方向を指し示す指揮官でもなければならない。時代の困難さはあれ、安倍氏がこの意味での政治家であったとは思えないのである。その同じ課題は次の指導者にも求められるだろう。この不透明な時代にあって、たとえそれがどんなに困難なことだとしても、である・・・

安倍政権の位置づけ、激変した世界の中で

9月25日の朝日新聞オピニオン欄、佐伯啓思先生が「この7年8カ月の意味」で、安倍政権の世界史的位置づけをしておられました。世界の状況が大きく変わる時期に、総理は何ができるか、何をしなければならないかです。
私は、連載「公共を創る」で、日本社会の激変を背景に、行政が変わらなければならないこと、日本人の意識も社会のしくみも変えなければいけないことを議論しています。佐伯先生の論考は、さらに世界の変化の中で、日本の進むべき道を議論しておられます。ここでは一部を紹介します。ぜひ全文をお読みください。

・・・間違いなく安倍氏は、次々と出現する問題に現実的に対処し、行政府の長として、近年にない指導力を発揮したといってよい。浮気性の世論を相手に、8年近くもそれなりに高い支持率を維持すること自体が驚くべきことである。
にもかかわらず、それが成し遂げたものとは何かと問えば、明瞭な答えはでてこない。すべてが、何か中途半端であり、その成果はというと確定しづらく、評価も難しいのである。いったいどうしたことであろうか。
私には、その理由は、この10年ほどの世界状況と、その中における日本の立場そのものに由来するように思われる。しばしば安倍政権には遺産(レガシー)がないといわれるが、それこそがまさに、今日の時代を映し出している・・・

・・・こう見てくると、戦後から冷戦終結あたりまで、日本の各政権にとっては大きな課題設定が比較的容易であった。その理由は簡単である。戦後日本の国家体制の基軸は、「平和憲法」と「米国による日本の安全保障」とそのもとでの「経済成長」の3点セットだったからである。いわゆる「吉田ドクトリン」である。
それを前提にしつつ、日本の国家的自立を少しでも高めるというのが、岸にせよ佐藤にせよ中曽根にせよ、戦後の日本の政治的課題であった。また、池田のように、その枠組みのもとで経済成長を追求すればよかった。それが可能だったのは、あくまで日本もまた、自由主義陣営のなかで冷戦体制に組み込まれていたからである。これが日本の「戦後体制」である。
だが、世界状況は、冷戦後、まず一つの歴史的屈折点を迎える。冷戦体制の崩壊は、自由主義陣営の勝利を意味し、それは米国流の価値観の世界的拡大を意味していた。グローバリズム、市場中心主義、リベラルな民主主義、といった価値観の世界化である。もちろんその中心に座るのは米国である。

では日本は、冷戦後の世界状況にどのように対処したのか。皮肉なことに、冷戦の勝者であったはずの日本は、バブル崩壊後、長期の経済低迷に陥っていった。そこで、平成日本の課題は、経済再建となり、そこに、グローバリズムと市場中心主義を唱える構造改革が出現する。だがこれはまた、米国流の価値観による日本社会の大変革であり、その最終段階が小泉改革であった。
ところが、この「冷戦後」の時代は、20年ももたずにうまくいかなくなる。2001年のアルカイダによる米国中枢部へのテロは、米国流の世界秩序への攻撃であり、イスラム主義と欧米的価値観の対立であった。08年のリーマン・ショックから09年以降のギリシャ財政危機へ、そしてその後のEU(欧州連合)の危機は、リベラルな民主主義や市場中心主義を決定的に揺さぶるものであった。
さらに、あろうことか、冷戦の敗者であったはずの共産主義の中国が、米国の地位を脅かす大国となったのだ。先進国は軒並み、大規模な金融緩和と財政政策にもかかわらず、低成長にあえぎ、また経済格差の拡大に苦しむ。その結果がトランプ大統領を生み出したのである・・・

この項続く

李登輝・元総統の政治哲学

9月5日の読売新聞、橋本五郎・特別編集委員の「誠は物の終始なり」は、台湾の元総統李登輝の評価です。
・・・李登輝さんは私が出会った政治家の中で五指に入る偉大なリーダーでした。なぜなのか。
第一に、李登輝さんには信仰がありました。敬虔けいけんなクリスチャンでした。総統という重責を担った期間は「毎日が闘争だった」と振り返っています。
そんな困難な事態に直面したとき、必ず『聖書』を手にし、まず神に祈りました。そして聖書を開いて自分が指さしたところを一生懸命読み、自らどう対処すべきかを考えました。ただその信仰は決して排他的ではありませんでした。「他の宗教を信仰しているなら、その神に祈ればよい」という立場です。

第二に、李登輝さんには哲学がありました。著書『「武士道」解題 ノーブレス・オブリージュとは』(小学館文庫)には哲学的思索の歩みが綴つづられています。青春時代の魂の遍歴過程で最も大きな影響を受けたのは、ゲーテの『ファウスト』と倉田百三『出家とその弟子』、カーライル『衣装哲学』だそうです。『ファウスト』を読み、この世の真理とは大きな愛であることを知ったといいます。

第三は、良き日本人の精神を持っていたことです。李登輝さんは、台湾でもっとも愛されている日本人の一人、八田與一さんを通して日本精神を説明しています。八田は灌漑かんがい事業で不毛の地を豊かな農地に変え、台湾の農民に希望を与えました・・・

・・・政治的リーダーについて李登輝さんがもっとも強調したのは「誠」でした。中国の古典『中庸』には「誠は物の終始なり。誠ならざれば物なし」とあります。一切は誠から始まり、誠に終わる。誠は一切の根元だという意味です。李登輝さんにとって誠とは「相手にわかる言葉で説く」ということです。
李登輝さんは「私は権力ではない」という権力観の持ち主でした。権力とは困難な問題の解決や理想的な計画を執行するための道具にすぎない。それは一時的に国民から借りたもので、仕事が終われば返還すべきものである。いつでも手放す覚悟がなくてはいけないのです・・・

コロナウィルス対策、強制と自粛

8月27日の日経新聞経済教室、大林啓吾・千葉大学教授の「自由・安全のバランス考慮を コロナと緊急事態法制」から。

・・・では第2波以降に備え、どのような改善が必要だろうか。換言すれば、第1波の対策では何が問題だったのか。第1波に直面した際、政府は新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言を出し、自粛ベースの対策をとった。多くの国民がそれに応じて外出や営業を自粛したので、感染者や重症者の数は減少に転じた。政府が強制力を行使しなくてもうまくいった成功例のようにみえる。

しかし特措法は自粛の結果生じた損失に対する補償規定を置いていなかったこともあり、休業要請に従わない業者が一部存在した。政府は持続化給付金などの対応はとったが、営業損失そのものに対する補償はせず、補償の要否は自治体の対応に委ねられた。また自粛警察の横行や、自粛しなかった業者や県外移動者への嫌がらせなど、同調圧力により事実上服従を強いられたという問題も起きた。

そのため強制的措置と補償を巡る課題が浮上し、全国知事会は強制力と補償をセットで設ける法改正をすべきだと政府に提言した。確かに強制力を行使する代わりに補償をするという制度にすれば、責任の所在がはっきりする。また同調圧力による事実上の強制の問題も回避できるだろう。

他方で、日本のような穏健的対応で強制措置とほぼ同等の効果が得られたのであれば、権利制限の側面が強くなる法改正は必要ないといえる。実際少なくとも第1波についていえば、日本の対応は強制的に対応した国と比べてもそれほど遜色のない効果を得られた。
仮に強制と補償を盛り込まないとしても、緊急事態宣言発令に伴う自治体への支援措置を充実させる必要があろう。実際に強制的対応をとるのは自治体であることが多いからだ。外国でも緊急事態宣言は強制力の行使の発動ではなく、自治体への支援を始動するという仕組みをとる国がある・・・