今日12月16日の日経新聞に、内閣府が発行していた「国民生活白書」が、ここ2年間発行されていないこと、そして来年度も発行されない見込みであると、報道されていました。
この白書は、結構良いテーマを取り上げていて、私もしばしば勉強させてもらいました。家族、暮らし、ボランティアなど、社会生活を取り上げる数少ない書物でした。
この白書は、内閣府(旧経済企画庁)の国民生活局が、作っていました。ところが、2009年に消費者庁ができた時に、国民生活局が廃止されたのです。しかし、消費者庁の所管範囲は、かつて白書が扱っていた暮らしのすべてをカバーしていません。消費生活以外の暮らしが、宙に浮いてしまったのです。
内閣府には、近いものとして、このホームページでもしばしば取り上げている共生社会政策統括官があります。私は、消費者庁、食品安全委員会、共生社会統括官、男女共同参画局と、厚生労働省の家庭や子どもを担当している部局を統合して、一つの省「暮らし省」あるいは「国民生活省」を作るべきだと考えています。これからの行政は、社会資本整備や産業振興以上に、国民の暮らしを重点にすべきだと思うからです。
「政治の役割」カテゴリーアーカイブ
行政-政治の役割
政権交代の先進国
今日は、明治大学菊地瑞夫先生のお招きで、東アジアにおける「政策形成過程にける高級公務員の役割に関する調査研究」に出席しました。台湾国立政治大学(National Chengchi University)のChung-yuang Jan教授、Evan Berman教授との意見交換です
私にとっても、大変勉強になりました。先生方の関心事項は、この表題の通りなのですが、意見交換していく内に、焦点がわかりました。それは、政権交代後の高級公務員と政治家の関係、日本でいう「政と官のあり方」です。
日本は、1年前に初めて政権交代がおきましたが、台湾と韓国は日本より先に、政権交代を経験しています。特に台湾は、2度の交代を行いました。もちろん、両国とも、権威主義的独裁から民主化を実現した上でです。
台湾でも、最初の政権交代後に、新政権は「官僚は敵だ」と主張したそうです。もっとも台湾では、それまでの高級公務員は、日本と違い政治任用だったようです。また、官僚が国会議員と接触することについても、かなり違いがあります。
勉強になったというのは、次のようなことです。日本では民主主義のお手本は、イギリス、アメリカ、ドイツ、フランスでした。そして、アジアでは日本だけが、民主主義を実現したと自負していました。ところが、アジアで民主化に成功した国が出てくるとともに、政権交代に限れば、日本より先に経験した国が、お隣にあったのです。お手本は、ご近所にありました。
政権交代をした時に、何をすればよいか、何をしたら良くないか。政策の転換や官僚との関係について、西欧先進国はお手本になりませんが、ご近所にお手本があったのです。なぜ私たちは、それを勉強しなかったのでしょうか。経済と同様、日本だけが成功したという慢心でしょうか。今からでも遅くありません。政治家、マスコミ、研究者が勉強すれば、有意義だと思います。
Jan教授は、公務員評価担当大臣も経験しておられます。台湾でも韓国でも、公務員制度改革に取り組んでいます。もっとも必ずしも順調ではないようです。しかし、これらの経験も、日本にとって大いに参考になると思います。日本では、目標による管理を導入したのが、まだ2年前ですから。
農業政策の反省
11月25日の朝日新聞オピニオン欄、松下忠洋経済産業副大臣の「市場自由化と農業、国際化意識した改革急務」から。
・・私は国民新党に所属しているが、かつては自民党農林族として農産物自由化反対の旗振り役を担ってきた。1993年にはガットのウルグアイ・ラウンド交渉でのコメ自由化案に反対して国会前で座り込み、ガット本部前でも韓国の国会議員と共闘して自由化反対を叫んだ。だが、こうした主張が結果的に国内農業の体力を落としてしまったことを痛切に反省している。
米作農家保護のため、94~2000年に投入されたウルグアイ・ラウンド対策事業費は6兆円。主な内訳を見ると、農業農村整備事業費(灌漑施設、農道空港など)3兆1750億円、農業構造改善事業費など(加工出荷施設、温泉施設など)1兆2050億円ーで、約7割は公共事業、施設整備に消えた。受益者の中心は農家や農業よりも建設業者だったことになる。
この間、農家1戸当たりの農業所得は年159万円から108万円に減り、食料自給率も約3%下落した。何のための6兆円だったのか。農家を直接支援して生産額と販売価格の差額を補填し、集落営農の推進や後継者育成策に回すべきだった・・
就農者の平均年齢は66歳。このままでは10年後に担い手がいなくなる・・
詳しくは原文をお読み下さい。
進まない規制改革
11月14日の日経新聞「検証、ニッポンこの20年。長期停滞から何を学ぶ」は、「内需産業はばたかず。医療・農業・・規制の壁厚く」でした。
・・高齢化やグローバル化を乗り切るためには、医療や農業など規制に守られた内需型産業を経済のけん引役に変身させなければならないーこう言われ始めたのは、1990年代だ。だが、医療も農業も成長の源泉になるだけの地力を発揮していない。業界団体は規制に安住し、その構造を政治が温存してきたことが、成長産業への脱皮を阻んできた・・
日本の自動車産業も、かつては保護の対象でした。情報通信や金融は、保護から自由化に大きく転換しました。規制による保護では、勝ち残れません。消費者・利用者にとっても、供給者にとっても、長い目で見ると損失でしょう。
もちろん、そのようなことを言っても、現在規制に守られている供給者にとっては、今の生活がかかっています。その人たちのうち勝ち残れる人を応援し、残れない人に対し別途支援する。それが、政治の仕事だと思います。改革には、痛みが伴います。
わが国成功の負の遺産
3日の読売新聞は、読売国際会議「明日への責任」で、消費税の引き上げと社会保障のあり方を、大きく取り上げていました。4日の日経新聞は、国際シンポジウム「安保改定50周年、どうなる日米関係」を、大きく紹介していました。
私は、戦後日本が成功したことの「負の遺産」の代表は、国民に負担を問わなくて良かったこと=負担を考えないことと、戦争がなかったこと=外交と防衛を考えないことの2つだと考えています(拙稿「行政構造改革」では、負担を考えないこと、国際貢献を考えないこと、自分で考えないことの3つを上げました)。
経済成長がある時は、税負担を増やすことなく、行政サービスを拡大できました。成長が止まってからは、国債と地方債で行政サービスを続けています。そして、社会保障支出は確実に増えています。サービスを増やすには負担が必要。これができないのが、今の日本です。税負担だけでなく、貿易の自由化をすると農業に負担が来る、これをどう解決するか。これからの政治は、税制も社会保障も「負担の配分」です。国際貢献も、お金とともに人を出さないと、評価されません。「危険だから嫌です」は、通用しません。
近隣諸国は友好的で、善隣外交をしておれば平和が保てるという信仰も、幻想でした。いよいよ、日本の政治、国民の政治意識が問われる事態になりました。もっとも、バブルがはじけて20年が経ち、第一次湾岸戦争で巨額の資金を出しながら感謝されなかった時からも20年が経ちます。