カテゴリー別アーカイブ: 政治の役割
行政-政治の役割
首脳のブレーン
古くなりましたが、16日の日本経済新聞が国際面で、各国首脳の経済ブレーンを取り上げていました。
・・世界経済に不透明感が強まるなか、各国首脳の知恵袋となる経済ブレーンの存在感が高まっている。自らは経済通とはいえない首脳が、政権の安定維持を狙い、経済政策の微妙なかじ取りを一段と重要視してきたためだ・・
記事では、アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、韓国の例が載っています。学者、議員、民間エコノミストなど、経歴はさまざまです。
経済分野に限らず、総理や大統領もスーパーマンではありませんから、すべての分野に通暁することは不可能です。そして、とてつもなく忙しいのです。どれだけ補佐官や官僚を使いこなせるか、それがリーダーには求められます。もちろん、彼らの意見を鵜呑みにするのではなく、是非を判断し、優先順位をつけるという仕事は、リーダーに残されています。
国家政策の転換、理念と手順
細谷雄一著『倫理的な戦争――トニー・ブレアの栄光と挫折』(2009年、慶應義塾大学出版会) を読み終えました。この本は、読売・吉野作造賞を受けたので、覚えておられる方も多いでしょう。
先生の趣旨は、次のようなものです。これまでの戦争は国が国家の安全と利益のために闘うものでしたが、コソボやルワンダ内戦で人道に基づく介入「倫理的戦争」が新たに出てきました。1997年にイギリスの首相になったトニー・ブレアが、その考えに基づき、イギリスの外交政策を転換します。そして、アフガニスタンやイラクで、アメリカと共に闘ったことを取り上げています。しかし、人道的介入の立場に立つブレア・イギリスと、国益から闘うブッシュ・アメリカとの軋轢は、最後に破綻します。これ自体が、大変大きなテーマなのですが、それとともに私が関心を持ったのは、次のようなことです。
ブレア労働党党首が保守党から政権を奪取した時に、従来のイギリス政府の外交安全保障政策を転換します。その際には、自らの労働党の政策をも、大胆に変えるのです。そこには、ブレア首相個人の哲学が大きな要素になりますが、彼はアドバイザーの意見を聞き、外務省や国防省の考えを転換させ、議会で自らの考えを述べて賛同を得ます。さらに、欧州やアメリカでその考えを主張し、国際的な賛同も得るのです。
すなわち、歴史的背景と現実の国際状況を踏まえ、自らの政策を作ります。そしてそれを実現するために、政策コミュニティでの議論、各省での説得と転換を行い、さらに外交安全政策ですから、ヨーロッパ各国やアメリカなどの説得も必要です。それを彼は、信念と情熱と手順を使って実現していくのです。政策の実現、政策の変更とはこういうものかと、改めて考えさせられます。
中国人の日本認識の改善
8月3日の朝日新聞オピニオン欄で、小島寛之国際交流基金北京日本文化センター副所長によると、中国での日本旅行熱が高まり、また、青年知識層を中心に都市住民の日本への関心が、幅と厚みを増しているそうです。
新聞の世論調査では、15~20歳の若年層が、最も好きな国として日本を第1位に挙げたそうです。国民全体でも、最も好きな国で5位、最も行きたい国で3位です。中国大手旅行社の調査では、海外の人気旅行先で、日本は台湾と並んで3位です。しかも、1位の香港と2位のマカオは中国領ですから、日本が第1位ということです。
北京では、高級寿司店や日本料理屋、日本のファッションブランド店、日本人経営の美容院などが、中国人客でにぎわっています。今回のサッカーワールドカップ決勝トーナメント、日本対パラグアイ戦で、巨大スクリーンの前で、中国の人たちが日本を応援してくれたとのことです。急速に、対日感情が変化しています。
韓流ドラマが、日韓関係改善に果たした役割もありました。政府による努力も重要ですが、市民の間での相手国認識の好転の効果は大きいです。それには、人の行き来が増えることや、モノやサービスが売れることが重要です。
自己責任か社会の責任か
田端博邦著『幸せになる資本主義』(2010年、朝日新聞出版)を読みました。この表題だけではわからないのですが、内容は、市場と社会(公共や政府)の関係を論じたものです。それを、自己責任と社会の責任という観点から、分析しています。市場原理を重視すると、自己責任の領域が増えます。しかし、それでは人は生きていけない、幸せになれないことから、公共や政府の役割が重要になります。
市場原理では、失業は個人の責任です。よりよい収入や職業を目指して、各人が努力する。それが、市場を活性化し発展させます。努力しない人は、職につけません。しかし、一定の失業率が発生するなら、全員が努力しても、必ずや失業者が出ます。それは個人の責任とは言えません。マクロ的には、完全雇用を目指して経済政策がとられます。ケインズ政策です。他方、個人に着目すると、失業手当や再就職支援を行います。
それは、所得を十分に得ることができない人たちに対する生活保障(高齢者、障害者)、医療、教育、住宅などの公的保障に広がっています。個人責任だとして放置せず、社会の責任として引き受けるのです。
近代市民社会憲法は、個人の自由・個人の責任という原理から出発しましたが、自由だけでは、実質的な生存の自由を保障できないことがわかったのです。この観点から見ると、近代の歴史は、市場に対し政府が介入を進める過程であり、自立できない個人を国家が救う歴史であり、自己責任から社会の責任へ転換していく歴史です。
近年のネオ・リベラリズムとそれに対する批判、経済の自由主義的改革やグローバル化と金融危機・金融規制は、そのせめぎ合いが現れている局面です。