カテゴリー別アーカイブ: 講演

講演

明治大学での講義

今日は、明治大学で講義をしてきました。3年前から約束していたのですが、大震災の仕事に就いて、なかなか時間がとれず、延期を重ねてきました。ようやく、約束を果たすことができました。公共経営学の授業なので、復興から見た公の役割を、お話ししました。夜の授業なのに、たくさんの学生が熱心に聞いてくれました。

The Economist Japan Sammit パネルに登場

今日、ホテルオークラで開かれた、ロンドンのエコノミスト紙主催の「ジャパン・サミット2012」に、パネリストとして出席しました。私の出番は、「大震災からの道のり:未来に向けた道標?」でした。
他のメンバーは、猪瀬直樹(元東京都副知事)、藻谷浩介(日本総研首席研究員)、本間勇輝(東北復興新聞発行人)さん。司会はサイモン・ロング(エコノミスト紙コラムニスト)さんです。聴衆は、半数近くが外国の方とお見受けしました。
50分の短時間、しかも4人ですから、持ち時間はほとんどありません。猪瀬さんの発言を遮ることもできませんし(笑い)。
私が話したこと、話したかったことは、次の通りです。
大災害だったが、インフラも産業も早く復活したこと。津波被害地と原発避難地の方には、大変なご苦労をおかけしていること。日本社会と日本人は、あれだけの大震災にもかかわらず、暴動も起きず略奪もなく、冷静に行動した。日本は、強靱な社会を持っている。高速で走っていた新幹線も、一人もけが人を出さず停止した。この社会と技術をもってすれば、日本は必ず復活し、さらに発展します。

東大での講演

今日は、東大駒場で、90分の講義。かつて私が教えに行っていた、教養学部と大学院総合文化研究科の講座です。現在は、総務省の後輩が講座を持っているのですが、ゲストでしゃべりに行ってきました。
久しぶりに訪れると、駒場キャンパスも新しい建物が建って、様変わりしていました。もう10年も経つのですね。
学生さんが熱心に質問してくれたので、授業は2時間かかりました。

東北大学公共政策大学院で講義

今日は、東北大学公共政策大学院で、2コマ講義をしました。牧原出先生のお誘いです。被災者生活支援本部以来、お呼びがあれば、都合の付く限り出かけていくようにしています。少しでも私たちの仕事を伝え、また私が何をして何を考えたかを伝えることも、重要だと考えています。
今日は、公共政策大学院の学生さんが相手なので、単なる実績や課題を話すだけでなく、学生さんにも考えてもらうように工夫しました。被災地での「制度と現実との間の隙間やずれ」をどう解決するかです。公務員はしばしば「検討しますと言って先送りする」と批判されますが、現場ではそれが許されない場面も多いのです。
さらに、私が悩んだ実例や悩んでいる課題を出して、「被災地で考えるマイケルサンデル」や「あなたが市役所の職員だったらどう考えるか」を、宿題に出しました。
30人を超える学生が、土曜の午後に熱心に聞いてくれました。質疑応答も、しっかりした質問でした。「お客さん」の反応が良いと、やりがいがありますね。
来週の土曜日と併せて合計4コマあるので、結構話せます。レジュメと資料を、ばっちり用意して臨んだのですが、エピソードを挟んだり、関連した実例などに話が飛んで、時間が足りなくなりました。いつもの悪い癖です(笑い)。でも、レジュメと資料を配ってあるので、いくら脱線しても大丈夫。
講義や講演は苦になりませんが、休憩を挟んで3時間しゃべるのは、のどが疲れました。来週もあるので、明日はその準備をしなければなりません。

日中韓人事シンポジウム

今日11月8日、人事院での「日中韓人事シンポジウム」で、基調講演をしてきました。中国、韓国と日本の国家公務員人事担当部局が、毎年持ち回りで会議を開いています。今年が第8回目、日本が開催国です。今年のテーマは、「不測の事態に備える公務の対応」で、私の努めは、東日本大震災での公務員などの動員についてでした。この1年半の経験を、お話ししてきました。
中国からは、国家公務員局の蔡啓明(サイ・チミン)局長、韓国からは高位公務員政策課のユン・ビョンイル課長が出席されました。冒頭、大震災の際にいただいた支援に、お礼を申し上げました。
いつも早口の私も、同時通訳の時は、ゆっくりお話しします。今日も、イヤホンで通訳さんのことばを聞きながら、早さを調節しました。もっとも、中国語と韓国語を同時には聞くことができないので、片方だけでしたが(苦笑)。

ちょうど4年前の秋、麻生総理のお供をして、北京を訪問したり、国際会議に出席したことを思い出しました。リーマン・ショック直後の経済混乱期で、どのようにして1929年の世界大恐慌を防ぐかが、課題でした。アメリカは、ブッシュ大統領からオバマ大統領に代わる時期で、機動的な対応ができず。ヨーロッパは金融危機の震源地で、これまた対応できないときでした。日中韓の3か国が財政出動して、世界経済を救おうという道筋をつけました。日中韓3か国のGDPは、当時、英米仏の3か国の合計より大きかったです(うろ覚えです)。麻生総理が、人民大会堂で胡錦濤主席と、青瓦台で李明博大統領と話し込まれるのを、見ていました。
初めて日中韓首脳会議を定期的に開催することとして、福岡県で開催しました。それまで、この3か国首脳が定期的に集まらなかったことが、私には不思議でした。世界に貢献する日本、アジアとともに発展する日本。欧米ばかりを見るのではなく、この重要な隣国とともに発展しなければなりません。経済だけでなく、いろんな分野での交流が必要ですし、できると思います。