カテゴリー別アーカイブ: 連載「公共を創る」

連載「公共を創る」第31回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第31回「社会的共通資本 文化資本がつくる社会の違い」が、発行されました。
私たちが暮らしていく際に必要な、「社会の装置や環境」を考えています。施設資本や制度資本は、既に学問でよく取り上げられています。それに対し、関係資本や文化資本は、ソーシャル・キャピタルとして近年取り上げられるようになりました。その意義や機能についての議論は、まだ少ないようです。

国によって、経済状況や治安状態が違います。なぜ豊かな国と貧しい国が生まれるのか。安全な地域と危険な地域が生まれるのか。そこでは、政治制度や経済制度の違いだけでなく、関係資本と文化資本が重要な役割を果たしています。

それらに関する学問として、文化人類学や社会人類学があります。中根千枝先生の『タテ社会の人間関係』は読まれた方も多いでしょう。これら先達の成果も参考にしつつ、日本社会を考えます。
執筆に当たって、かつて読んだ本を思い出し、引っ張り出しています。その時々に書いて残してあった文章やメモが頼りです。内容はうろ覚えなので、確認する必要があります。書棚で見つからない本は、仕方なく、アマゾンで中古を買っています。

連載執筆状況報告。第2章2(3)

さて、恒例の「連載執筆状況報告」です。前回報告

年末年始に苦労しただけのことはあり、続きを書くことができました。第2章2(3)です。かなりの分量になりました。
既に右筆に提出して、右筆2号の確認はすみ、右筆1号が半分ほどを見てくれました。その間、私もいくつかの手直しをしています。
ゲラになった分が今月で底を突くので、新たに執筆した分が2月掲載になります。

引き続き、第3章「転換期にある社会」に、着手しています。
書くべき素材は、ばらばらと集まっています。私が体験した時代の変化なので、書きたいことは一杯あります。しかし、混沌としています。
いつもの例えにすると、さまざまな色のパスタ(素材となる項目や文章)が、こんがらがった状態です。どのような視点から分類するか。いま、色ごとにパスタをより分け、小皿に盛る作業中です。

定性的な部分は考えれば書けますが、定量的な部分は、数値の確認に時間を要しそうです。既に、いくつかの項目については、協力者に発注して、調べてもらっています。ありがとうございます。

連載「公共を創る」第30回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第30回「社会的共通資本 資本の継承により安定社会が持続」が、発行されました。
前回から、社会の財産を説明しています。私たちが社会で暮らしていく際に必要な、「装置や環境」です。

これらの社会の財産を、社会的共通資本として整理しました。
すると、自然資本(自然環境)、施設資本(いわゆる社会資本、インフラ)、制度資本(各種サービス)、関係資本(ソーシャル・キャピタル)、文化資本(気風や助け合い精神、民主主義を支える精神など)と、分類することができます。
そこには、目に見えるもの、これまで行政が力を入れてきたものの他に、重要なものがあります。

連載「公共を創る」第29回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第29回「社会的共通資本 地域で安心して暮らす条件とは」が、発行されました。
第2章では、「暮らしを支える社会の要素」を議論しています。その1は「公私二元論から官共業三元論へ」でした。今回から、その2「社会的共通資本」に入ります。

私たちが社会で暮らしていく際に、どのような「装置や環境」が必要かを、いろんな面から考察します。
その1では、社会を律する決まり、仕組みの違いから、見てみました。そこでは、従来の公私二元論ではなく、官共業三元論の方が、私たちの社会をより良く理解できました。

その2では、町の暮らしに必要な要素を詳しく見てみます。第1章で、津波に流された町を再建するには、インフラだけでなく、サービスや人間関係も必要だと指摘しました。
そのような視点から、まず「社会の財産」を列挙し、分類してみます。「個人の財産」(といっても、建物や預貯金だけでなく、資格や友人を含めたもの)や「地域の財産」という考えを、社会に広げてみます。
今回載せた図表「社会の財産の分類」は、かつて『新地方自治入門』や大学の授業で「地域の財産の分類」として使っていた物を、拡充したものです。右筆1号、2号から、重要な指摘をもらい、わかりやすくなったと思います。右筆に感謝です。

これで、年内の掲載は終わりです。4月から連載を開始して、29回になりました。よく頑張りました。1月分は原稿を提出して、ゲラになっています。ところが、その続きに難渋しています。冬休みは、原稿と格闘しますわ。

連載「公共を創る」第28回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第28回「公私二元論から官共業三元論へ 中間集団の意義」が、発行されました。

前回、民間非営利活動として、NPOを取り上げました。今回は、その他の中間集団のもつ意義について説明しました。
近代の政治思想では、市民は自立し、政府や市場と向き合います。経済学でも、個人は自ら合理的な選択をします。しかし、個人はバラバラな砂のようなものではなく、政府もまた、個人を別々には把握しません。

中間集団の政治的機能を考える際に、中間集団を嫌う政治体制を考えると、わかりやすいです。
一つは、大革命後のフランスです。そこでは、結社は禁止されました。
もう一つは、全体主義国家、ナチスドイツ、戦時中の日本、現在の中国です。そこでは、中間集団は否定されず、促進されることもあります。ただし、国家は、それらの組織を通じて国民を把握し、国家や党の意に添わない集団は禁止されます。

これまで最も身近にあった、助け合いの中間集団は、地域コミュニティです。しかし、都市においても、田舎においても、地域共同体は小さくなりました。他方で、ムラの代替をした会社も、助け合い機能は低下しています。
今後、どのようにして、孤立する個人を共同で支えるか。新しい時代の課題になっています。