カテゴリーアーカイブ:連載「公共を創る」

連載「公共を創る」第240回

2025年11月13日   岡本全勝

11月13日に、連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第240回「政府の役割の再定義ー新自由主義的改革の功罪」が発行されました。1990年代に行われた政治改革の限界について述べています。

当時の改革は政治過程で見るなら、入り口(選挙制度)の改革と、出口(内閣による統治)の改革であって、その間にある最も重要な「あんこ」(国会での政策議論)は手付かずだったのです。当時の私たちは、改革が制度だけの問題ではないということに、気が付きませんでした。選挙制度改革と内閣改革を行えば、政治主導が実現すると思い込んでいたのです。記事では、図をつけて解説しました。
内閣と官僚機構に議論が集中していますが、現在の日本政治の機能不全は、政治家が政治家の役割を果たしていない、政党が本来の役割を果たしていないという問題なのです。問題は、内閣ではなく、国会にあるというべきでしょう。

振り返ってみると、20世紀第4四半期の言論空間にも、その原因を求めることができます。国民の思考や言動が世間の通念に縛られるように、政治改革論も「流行の言説」に目を奪われ、議論が制約されていたのではないでしょうか。この時期の政治議論は、新自由主義的改革が中心となり、政府の機能向上に集中しました。
先進諸国では経済が行き詰まり、政府の財政赤字が拡大し、その対策として新自由主義的改革が流行しました。「小さな政府論」です。併せて、行政サービスの質の向上という方向にも進みました。その際には、「新公共経営論」(ニュー・パブリック・マネジメント)が理論的支柱となりました。民間企業における手法を導入することで、効率的で質の高い行政サービスを提供しようという考え方です。
政治については、それまでの考察が政府(ガバメント)を対象としていたのに対して、統治(ガバナンス)という概念に広がりました。行政については、役所(アドミニストレーション)に、経営(マネジメント)という概念が入ってきました。

しかし、企業統治においてガバナンス論が変化をもたらし定着したことに比べ、政府論においての影響は明確ではありません。もう一つの問題は、当時の社会がこの流行の言説に目を奪われてしまい、何のために公共や行政が使われるのかという議論を隠してしまったことではないかと思います。政治の議論が政府の効率化に集中し、その範囲を出ませんでした

連載「公共を創る」第239回

2025年11月7日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第239回「政府の役割の再定義ー制度改革では実現していない政党間の政策競争」が発行されました。
連載ではここまで、政治主導がうまくいっていないということを、3つの項目に分けて議論してきました。その一「政治家と官僚の役割分担がうまくいっていないこと」(第204回~207回)、その二「政治家が政治主導を使い切れていないこと」(第207回~225回)、その三「政治家と官僚の関係がうまくいっていないこと」(第226回~前号)です。ここでは、それらに整理できなかった論点を挙げておきます。

その一つは、現在の政治主導を「政治家の官僚化」と捉える見方です。野口雅弘・成蹊大学教授が『忖度と官僚制の政治学』(青土社、2018年)で主張しておられます。現在の官僚制における「忖度」の問題は政治主導に起因する現象ではなく、政治が「行政化」していることに由来すると指摘します。
カウンタビリティ(説明責任)には二つのものがある。第一は官僚のアカウンタビリティで、行政の執行手続きが公正・中立に行われていることを意味する。第二は政治家のアカウンタビリティで、自らの立場の持つ党派性を明確にしたうえで、その立場に基づいて対抗勢力との論争を行うことを意味する。1990年代以降の日本では、このうち官僚のアカウンタビリティが主流になります。本来は野党との論争を主たる役割とするはずの政権与党の政治家たちが、政策決定を行う際、自らの党派性を前面に出すのではなく、客観的で中立的なものだという、あたかも官僚のような論理を用いるようになったのです。

もう一つは、前田健太郎・東京大学大学院教授の次のような指摘です。
1990年代以降に展開した政治主導のための諸改革の行き過ぎが忖度の問題を生み出したのではない。むしろ問題は、政治主導が、政治家同士の論争を通じた政策決定ではなく、首相の権限強化を通じたリーダーシップの行使と理解されたことにある。その帰結として、与野党間はもちろん、与党や官僚制内部においても政策を巡る論争が低調になったのである。

中央省庁改革は、首相を中心とした内閣の政治主導を強化するもので、内閣の運営の主導権を官僚から政治家に取り戻そうという改革でした。選挙制度改革も国会議員を選ぶ方法を変えることであり、同時に行われた政党交付金創設と政治献金規制は政治家が政治資金集めにかける多大な労力と弊害を減らそうという趣旨でした。これらによって、政治家が政策論争に集中できる条件を整備しようとしたのです。政治過程としてみるなら、その入り口(選挙)の改革と出口(統治)の改革であって、その間にあるべき最も重要な「あんこ」、すなわち国会や政党の現場での政策議論の部分は手つかずでした。政党間の政策競争は、制度改革で実現するものではなく、政治家による日々の運用によってなされるものです。当たり前のことですが、内閣における政治主導も、国会での政党の競い合い(政党政治)も、制度を変えれば実現するというものではなかったのです。

連載「公共を創る」第238回

2025年10月16日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第238回「政府の役割の再定義ー議員と官僚、公的な「組織と組織」の関係に」が発行されました。前回から、野党と官僚との関係について説明しています。

私が自治省財政局交付税課長補佐の時の主要な仕事の一つが、野党議員との接触でした。毎年度、算定の根拠となる地方交付税法の改正案を作り、国会を通すことが必要です。国会質疑のかなり前から議員と接触し、法案の概要を説明し、疑問に答えることを始めます。審議日が決まると、それら議員の事務所に、質問を取りに(教えてもらいに)行くのです。 国会審議の時期になると、役所にいる時間より、議員会館にいる時間の方が長かったのです。
当時野党の社会党の五十嵐広三・衆院議員に呼ばれ、どのようにしたら分権改革が進むかを、2人で考えたこともありました。

私は、議員に呼ばれ地方財政の説明をすることを、うれしく思いました。地方行政の理解者を増やすことになり、また新聞やテレビで見た国会議員、国権の最高機関の構成者に会うことができるのですから。「××議員と親しい」ことを、誇りに思っていました。
しかし、だんだんと疑問が湧いてきました。官僚は府省の職員であって、政党の職員でもなければ、政党の関係者でもありません。国会議員の質問案を作成することは、「与党の下請け」とも違った、「議員の部下」の仕事ではないだろうかということです。

国会議員が政策を勉強する際に、官僚を呼ぶことは理解できます。しかし、国会議員には政策秘書が付き、各党には政策審議の事務局があります。まずはその人たちと勉強すべきではないでしょうか。そして、各議員がバラバラに官僚を呼ぶのではなく、政党という組織として役所を呼んでもらうべきではないかと考えています。それは、質問主意書についても言えます。
疑問があれば官僚を呼ぶということを続けている限り、議員と政党は官僚に依存することになり、政党の政策審議能力は向上しません。

連載「公共を創る」第237回

2025年10月9日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第237回「政府の役割の再定義ー官僚の使い方」が発行されました。

前回から、与党と官僚とのおかしな関係を議論しています。それは、内閣の部下である官僚が、与党の部下として働いていることです。特に問題なのは、政府案の与党への説明や調整を、政治家ではなく官僚が行っていることです。
大臣や副大臣、政務官という内閣側にいる与党政治家が、関係の与党議員や与党機関に説明に行き調整するという形にすれば、与党の責任という点では問題は生じません。

野党との関係では、「与党の下請け」のような「野党の下請け」は起きません。ところが、与党の場合は政府案を作成する過程で、官僚機構を実態としてあたかも「部下」「下部組織」のように使うことができますが、野党が政策を立案する際には、このような官僚機構の組織的対応はありません。
官僚機構は、日本一のシンクタンクとも呼ばれます。それぞれの所管範囲について最も詳しいのは各府省です。政党が政策を立案する際には、与野党を問わず、一定の決まりの下で官僚機構を使っても良いと思うのですが。

現状では、野党のヒアリングは政策立案のための勉強過程ではなく、内閣や与党の既定決定事項への攻撃が多くなっているように思います。野党が政権奪取を目指し、政府・与党案に対抗する政策を検討するなら、与党と同じように官僚機構を使えるようにすることも考えられます。もっとも、各党が政策立案組織を充実させ、そこで議論することが本筋でしょう。また、さまざまな研究機関やシンクタンクと連携することや、支援を受けることも考えられます。
与党だけが官僚機構を「使うことができる」という現状が正しいのか。疑問を呈しておきます。

連載「公共を創る」第236回

2025年10月2日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第236回「政府の役割の再定義ー成熟社会における対立・亀裂」が、発行されました。

政治主導の時代には、政党の役割も大きくなります。ところが日本の政党は、十分にその役割を果たしているようには見えません。前回は、現在の政党の機能不全の理由の一つ目として、政党の努力不足を説明しました。これは、政党自体の問題です。
今回はその二つ目、社会の変化によって対立軸が複雑になり、不明確になったことを説明します。これは、外部環境によるものです。

昭和後期の日本政治の対立軸は、自民党と旧社会党の対立(55年体制)でした。思想的には資本主義と社会主義の対立、保守対革新の対立でした。社会階層間の対立も代表していました。ところが経済成長を達成し、「一億総中流」という言説ができたように、階級差が消滅しました。他方、ソビエトと共産主義陣営の崩壊で、資本主義対社会主義の対立も消滅しました。

では、社会の対立や問題はなくなったのか。実際には、そうではありませんでした。本稿では、豊かさと自由と安心を達成したと思ったら、隠れていた社会の問題が顕在化したこと。その後に長い経済停滞に入り、新しい問題が生じていること。それに対し政治と行政が的確な対策を打てずにいることを論じています。
私は新しい不安として、三つの亀裂を挙げています。正規労働者対非正規労働者、昭和を懐かしむ保守と社会の変化を認める革新、排斥と包摂です。

この三つの対立・亀裂は、切り分けられたそれぞれが集団になりにくく、集団としてまとまっていません。困っている側の人たちは、組織化し得ない人々です。だから、対立軸の発見が遅れてきたとも言えます。政党も、それを拾い上げることに失敗しています。