カテゴリー別アーカイブ: 自然科学

新型コロナウイルスの教訓、アメリカと日本

10月25日の読売新聞「米科学政策と日本の行方(下)」に「新たな感染症 対策急務 医療格差 コロナの教訓」が載っていました。

・・・新型コロナウイルス感染症への対策で、米国はワクチンや治療薬の開発を強力に進めた。一方、コロナ禍による死者は日本に比べ圧倒的に多かった。

米国のコロナ対策の「顔」となった米国立アレルギー感染症研究所長(当時)のアンソニー・ファウチ氏は、トランプ前大統領との対立も目立った。トランプ氏は、根拠のない治療法を推奨するなど、科学軽視の姿勢を繰り返したためだ。
ファウチ氏は2021年1月のバイデン政権発足後もコロナ対策の先頭に立った。記者会見で前政権との違いを問われると、「(バイデン政権は)透明、オープンで正直だ。全て科学とエビデンス(証拠)に基づく」と答え、前政権からの様変わりを印象付けた。
バイデン大統領は、22年3月、自身のワクチン接種の様子を公開し、国民に接種を呼びかけた。
その4か月後、バイデン氏はコロナに感染する。指針に従って自主隔離に入り、治療薬を服用した。「私の前任者はコロナに感染し、病院にヘリコプターで搬送された。私はホワイトハウスで(隔離期間の)5日間、仕事をした。私が受けた検査、ワクチン、治療薬は大統領でなくとも無料で受けられる」。22年7月、回復後の演説でバイデン氏は皮肉を込め、現政権の対策をアピールした。

ただ、世界保健機関(WHO)によると、今年9月29日時点で米国のコロナの累計死者数は約120万人で世界最悪だ。2番目に多いブラジルの1・7倍、日本の17倍で、バイデン政権下でも70万人以上が亡くなった。
惨状を招いた要因として、▽医療格差が大きく、低所得層が必要な医療を受けられなかった▽州ごとの方針がバラバラで統一した対応を取れなかった――などが指摘されている。米カリフォルニア大サンフランシスコ校のモニカ・ガンジー教授(公衆衛生学)は「公衆衛生当局の信頼は低下しており、改善は急務だ」と述べ、次のパンデミックへの危機感をあらわにする・・・

記憶はデジタルより紙が有効

9月23日の読売新聞に「デジタル教科書、巨額予算で推進ありき…学習効果の検証置き去り」が載っていました。ここで紹介するのは、その記事についていた囲み記事です。

・・・「記憶「紙が有効」研究も デジタル操作「認知負荷」高く」
学習の定着には、デジタルよりも紙を使った方が有効だとする研究データがある。専門家は「まずはデジタルの長所、短所を検証することが必要だ」と指摘している。

東京大などの研究チームは、日常的なスケジュール管理を再現する実験を実施。被験者を3グループに分け、〈1〉紙の手帳にペンで書く〈2〉タブレット型端末に専用ペンで書く〈3〉スマートフォンに入力する――の三つを比較した。その結果、紙の手帳にスケジュールを書き留めた方が、電子機器を使う時よりも短時間で記憶できることがわかった。手帳に書き込んだグループの脳の状態を見ると、言語、視覚、記憶に関わる領域の血流が増え、活動量が増えていた。

研究チームの酒井邦嘉・東大教授(言語脳科学)は「紙の本は(情報が載っている)位置関係など、記憶の手がかりが豊富にあるが、デジタル画面では限定的だ。学習効果の根拠がないままデジタル活用の議論が進めば、学力低下を招きかねない」と危惧する。

群馬大の柴田博仁教授(認知科学)によると、子どもにとってデジタル機器の操作は、思考を中断させる「認知負荷」が高くなる傾向が見られるという。柴田教授は「デジタル教科書のデメリットを含めた検証が足りておらず、デジタルだけに偏るのは時期尚早だ」としている・・・

奄美大島でマングースを駆除

奄美大島で、マングースが駆除されました。
9月4日の朝日新聞「外来マングース、奄美大島で根絶 ハブ対策不発、捕獲30年
・・・鹿児島県奄美大島で駆除を進めてきた特定外来生物マングースについて、環境省は3日、「根絶宣言」を発表した。ハブ対策などの目的で持ち込まれて約半世紀。いったん定着したマングースがこれほど大きな島で根絶されたことはなく、「世界的に前例のない、生物多様性保全上の重要な成果」としている。
南アジアなどが原産のマングースはハワイなどにも持ち込まれたが、定着後に完全排除できたのは面積約1平方キロ以下の島だけ。奄美大島は712平方キロもある。奄美大島は21年、世界自然遺産に登録。その審査でも事業が評価されていた・・・

・・・マングースは1910年にまず、沖縄島に導入された。環境省によると79年ごろ、その子孫が奄美大島に放たれた。島民を悩ませた毒蛇ハブと、農作物を荒らす外来ネズミの対策が狙いだった。
だが、昼行性のマングースは、夜行性のハブではなく、アマミノクロウサギやケナガネズミなど島在来の希少種を襲った。自然保護関係者の危機感に押され、90年代前半に駆除が始まった。
2000年度からは環境庁(当時)と鹿児島県が取り組みを本格化。05年に外来生物法が施行され、マングースが「特定外来生物」に指定されると、同じ年度に「駆除のプロ」として専従12人の「奄美マングースバスターズ」が発足した。
「誰も経験がなく、手探りの連続だった」と発足時の隊員、山下亮さん(52)。おびき寄せるエサは何がよいか。魚肉ソーセージ、唐揚げ、ツナ缶、チーズなどを試し、たどり着いた一つが、豚の脂身の塩漬け。島の保存食を参考に森でも長持ちするようにした。
捕獲用には、塩化ビニール製パイプを使った小型の筒ワナを改良。中のエサをマングースが食べようとすると、首のあたりでひもが締まる。駆除が進んだ07年には、「切り札」として先進地ニュージーランドから探索犬を導入した。
張りめぐらせたワナは島全域に約3万個。マングースの推定生息数は、ピークの00年の1万匹から20年には10匹以下に。姿を見るのが難しいほど減っていた希少種も戻ってきた。環境省は、18年4月の最後の捕獲から6年がかりで慎重に確認し「根絶宣言」に踏み切った・・・

ハブ対策に導入したマングースですが、ハブを襲わず、黒ウサギなどを襲ったのです。人間の浅知恵でした。かつて、ハブとマングースを戦わせる見世物がありました。マングースは輸入品なので、負けないように、ハブを弱らせていたと聞いたことがあります。

沖縄県で、ウリミバエの根絶に成功したことがあります。農薬散布でなく、不妊の虫を大量に放って、子孫を残さないようにするのです。中公新書で読んで、感激したことを覚えています。今は絶版になっているようです。伊藤嘉昭著『虫を放して虫を滅ぼす―沖縄・ウリミバエ根絶作戦私記』(1980年)

タンポポの綿毛

タンポポの綿毛は、皆さんご存じですよね。軸の下に種がついていて、風に乗って飛んでいきます。子どもの頃、吹いて飛ばしました。
でも、あの花からは、想像もつかない形です。どのようにして、あの黄色い花びら(一枚が一つの花です)が、綿毛に変化するのか。綿毛が生育する姿など、見たことがありません。

先日から疑問に思って、道ばたの花を観察していました。花が終わった後、顎が閉じているように見えます。でも、よくわかりません。
インターネットで検索したら、よい映像がありました。NHKの教育素材です。「タンポポの花とたね
なるほど、こうなっていたのですね。黄色い花びらは、落ちてしまうようです。
植物の進化は素晴らしいです。神様でも、こんなことは思いつかないでしょう。

気象神社

3月17日の日経新聞日曜版に、天気予報が特集されていました。記事に、気象神社が出てきます。
次のようなことが、書かれています。
「現代では祈る内容も多種多様だ。結婚式当日の好天を祈るカップルが多いが、エアコン会社は猛暑を、タイヤメーカーやスキー場の運営会社は降雪を、使い捨てカイロの製造会社は厳冬を祈る」

稲作時代はみんなで、田植えの時期に雨を、それ以外は晴れと適度な雨を祈ったのでしょうが。これだけ多様な、かつ相反するお願いをされると、神様も大変でしょうね。

気象神社は高円寺駅前、氷川神社の境内にあります。氷川神社が我が家の氏神になるので、初詣などに行きます。説明によると、「気象神社は、1944年(昭和19年)4月、大日本帝国陸軍の陸軍気象部(杉並区馬橋地区)の構内に造営されました。軍にとって気象条件は戦略、作戦を講じるのに大事な要素であったため、科学的根拠に基づいた予報がされていましたが、予報的中を祈願するなど、気象観測員の心のよりどころとされていたそうです。
その後、戦後の神道指令で撤去されるはずの気象神社でしたが、調査漏れにより残存。先々代宮司の山本実が受入を決断して、高円寺氷川神社に遷座されることになりました」とのこと。

陸軍気象部は戦後、気象研究所となり、それが筑波に移転した跡地が馬橋公園になっています。孫と遊びに行く場所です。