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社会

子どもの留守番禁止条例案への反応

10月30日の朝日新聞夕刊GLOBE+に、「子どもの自立と安全、日本とドイツを比べ考えた 「条例」の前にやるべきことは」が載っていました。
子どもを1人にすることは虐待? 埼玉県の「子ども留守番禁止」条例案をめぐって異論が噴出しましたが、ドイツでは大人に厳しい監護義務が課されるそうです。サンドラ・へフェリンさんのコラムです。

・・・先日、埼玉県の自民党県議団が、小学校3年生以下の子どもだけで公園で遊ばせたり留守番させたりすることを「子どもを放置する虐待行為」とみなして禁止する、いわゆる「留守番禁止条例案」(正式には埼玉県虐待禁止条例改正案)を県議会に提出したところ、保護者などから「子育てをしている人の立場を理解していない」「現実的ではない」という声が多数上がり、撤回されました・・・

・・・ドイツでは昔からAufsichtspflicht(監護義務)という言葉を日常生活でもよく使います。「子どもが自分自身や他人に対して危険な行為をしないための責任は大人にある」という共通認識があるため、基本的に子どもが幼稚園や学校に通っている以外の時間帯については保護者が監護義務を負います。
具体的な罰則規定はないものの、ドイツの社団法人「子育てアドバイスに関するドイツの相談所」(Bundeskonferenz fur Erziehungsberatung)では「4歳から7歳未満は、30分以上1人にしてはいけない」「7歳から12歳未満は、2時間以上1人にしてはいけない」「12歳から14歳未満は、4時間以上1人にすることも可能」「14歳以上は自由」としています。
同じ年齢であっても、その人格や成長過程によって、親が臨機応変に対応することは許されているものの、ドイツでは「1人で行動する子ども」について、日本よりも(親に対して)厳しい視線が注がれがちです。
「子どもは未熟な存在である」「世の中は危険」と考えられているのです。

取り下げが決まった埼玉県虐待禁止条例改正案ですが、条例が禁止しようとしていた「放置」の内容には小学校3年生以下の児童が「子どもだけでおつかいに行く」「子どもだけで公園に遊びに行く」「不登校の子どもが日中家にいる状態で、親が買い出しや仕事に行く」「ゴミ捨てに行くため留守番させる」「小学校1年生から3年生だけで登下校する」「18歳未満の子と小学校3年生以下の子が一緒に留守番をする」「車などにどんなに短時間であっても残していく」が含まれていました。
「全体」を見ると、「現状では非現実的な内容」だと言わざるを得ません。
共働きの夫婦に子どもがいる場合、常にどちらかの親が子どもについていることは、今の日本だと実質的に不可能です。
前述のように「小さい子どもには保護者がついているべきだ」というのがドイツでは共通認識ですが、ドイツの労働時間は日本人よりも20%短く、役職がついている男性でも時短で働くことが少なくありません。
夫婦で時短勤務をしていれば、「親のどちらかが子どもと一緒にいる」ことも非現実的ではありません。それがままならない場合、ドイツでは積極的にベビーシッターを使います・・・

私は、条例案に対する「反対の合唱」の方に違和感を感じました。提案者の意図は悪いものではないでしょう。「非現実的だ」と言って葬り去るのではなく、ではどのようにしたら子どもの安全が守れるかを議論すべきでしょう。

本と書店の生き残り戦略

11月1日の朝日新聞オピニオン欄「本と書店 生き残りは」、永江朗さんの発言から。

・・・本の出版流通は、百年ぶりの大転換期にあります。
書籍と雑誌が同じ運送便で全国の書店に届く現在の配本の仕組みは、関東大震災後に原型ができました。雑誌は、出版社にとっては販売と広告で二重に利益が出るビジネス。書店も大半は雑誌の販売で成り立ってきました。しかし人口減とデジタル化で雑誌という経済的基盤が崩れ、雑誌にうまく乗っかってきた書籍も苦境に立たされています。

現在の出版流通の仕組みは、書店が利益を出しにくいものです。新刊は1日平均200点も出るので、多くの書店が、配本を担う出版取次会社に仕入れる本の選定も頼っています。しかし取次は、規模や立地に応じて機械的に選んだ本を送るので、各店の客層に合わない本も多い。その結果、平均で雑誌40%、書籍30%ほどが返品されます。無料で返品できる委託販売制度を利用する書店が多いですが、リスクを負わない分、取り分は価格の2割ほどと少ない。日本には、紙の書籍は定価販売するという再販制度があり、戦略的な値引きもできません。
利益率の低さは書店員の生活を直撃します。大手書店でも正社員は一握り。正社員でも、生活に不安があると転職する方もいます。

今までも、書店が売りたい本を自ら選んで仕入れることや、仕入れ時に本を買い切ってその分取り分が高くなる取引もあるにはありましたが、少数派でした。ここに来てそれが広がりつつあります・・・

電話による勧誘

勧誘の電話が、かかってくることがあります。先日は、契約している通信会社と名乗り「お得な料金で・・・」とか説明を始めるので、「電話だとわかりにくいので、メールで送ってくれたら読むわ。あるいはホームページを教えてくれ」と言ったら、「この話は電話だけで、メールはないのです」との回答。「新手の特殊詐欺ですか?」と質問したら「いいえ」と言っていましたが。
ほかの商品の勧誘でも、そんな経験があります。なぜ電話で勧誘して、メールやネットではやらないのでしょうか。

知人たちに、聞いてみました。皆さん、似通った経験があるそうです。「0120から始まる電話番号が多いので、それには出ないことにしています」という人も。彼ら意見は次の通り。
・勧誘に引っかかる人がいるから、続けるのでしょう。
・契約関係が続いている人には、電話で話しした方が反応がいいんじゃないですか。
・たまには引っかかる人がいて、メールよりも歩留まりが良い。
・メールなどだと記録が残り、重要なことを説明していないなど、あとで問題になるけど、電話だと記録が残らないからです。
・たいてい平日の昼休み・夕方、週末にかかってきます。かけてくる方からすれば、電話に出てもらうことを前提にして、反応がある分、勧誘活動の効果が分かる。電話させる人の業務管理が楽。どこにどれだけ電話をかけたか、契約実績、相手への受け度合いなどについて、会社側が比較的容易に把握ができるという、売り込み会社側の手前勝手な理由ではないかと思っています。

訂正し歩み寄る

10月27日の読売新聞夕刊、東浩紀さんの「訂正し合い 歩み寄る」から。詳しくは原文をお読みください。

—『訂正可能性の哲学』(ゲンロン)とその入門・実践編の『訂正する力』(朝日新書)と出版が相次いでいます。今、なぜ「訂正」をテーマにしたんですか。
東 とにかく今の日本社会は訂正をしない。政府は公文書を隠し、質問にも正面から答えず、批判勢力も一度方針を決めたら、それを曲げない。そのため変化に対応できず、社会が停滞しているという問題意識がありました。

—「君子豹変(ひょうへん)す」といい、論語の「過ちを改むるに憚(はばか)ることなかれ」といい、訂正は本来いいことなのに、なぜ嫌がられるようになったのか。
東 「論破」したら勝ちという風潮が強まり、意見を変えると矛盾を糾弾するなど訂正に不寛容な社会になっている。SNSの発達で、過去の発言が全部記録できるようになり、意見を変えると叩かれやすくなったことも影響しているでしょう。
—もの言えば唇寒し、では対話する気が失せますね。

東 一方で、批判されることを恐れ、口当たりのいいことばかり言う風潮にも疑問があった。対話というのは、みんながわかり合うことが見えない目標ですが、そこにたどり着くには「ここは違うよ」とか、お互いの発言を訂正しあうことが大事です。だから、東日本大震災が起きた3・11以降、「寄り添う」という言葉が流行したときには違和感がありました。
—というと?
東 相手の言い分を聞いて、「その通りだね」「わかる、わかる」とうなずくだけでは事態は何も動かないじゃないですか。もちろんケアは大事だけど、ここぞのときには、「それは違うよ」と言わないと、対話にはなりません。

「迷惑掛けさせていただきます」2

迷惑掛けさせていただきます」の続きです。読者から、次のような指摘がありました。
・・・「させていただきます」ことばは、相手に毅然とした態度を示して反論させないために使うことがあります・・・

そうですね。時代劇で妻が夫に対し、「実家に帰らせていただきます」と発言する際は、「あなたとは一緒に暮らしていけません。離婚です」と宣告しているのですよね。
「お皿を下げさせていただきます」のように、相手に奉仕をする際に同意を求めるのとは全く違う使い方です。夫がなだめようとしても、「させてやらない」と言っても、妻の決心は固く初志を通すでしょう。
「させていただきます」は、状況によって意味合いが異なるようです。
では、「発売を中止させていただきます」は、相手に反論させない毅然とした態度でしょうか。すると、「殴らせていただきます」も、あり得ますね。

もっとも離婚宣告の場合も、夫が妻に対して「離婚させていただきます」とは発言しないでしょう。これは、かつての男女の役割や地位の違いを反映しているのだと思われます。