「飛行機はなぜ飛ぶか」という問に対する答えは、航空工学の範囲です。しかし、「飛行機を飛ばせる」となると、どれだけの分野が関係してくるか。先日、本屋で航空工学の棚を見ていて、東京大学航空イノベーション研究会著『現代航空論―技術から産業・政策まで』(2012年、東大出版会)を手に取りました。
目次を見てもらうと、飛行機が飛ぶためにどれだけの仕組みが関係しているかが、わかります。
第1章、航空機の技術と製造。第2章、航空輸送とその安全。第3章、空港政策の変遷と今後。第4章、航空交通システム。第5章、航空機ファイナンス。
飛行機の機体を作るだけでなく、運行するためには、空港、客室乗務員、地上の職員(整備、給油、機内食)、予約と発券と料金徴収の仕組み、航空管制、会社の経営など、様々な仕組みが必要です。そして、それら民間会社だけでなく、安全のための規制、さらには乗り入れの国際交渉など、政府も関わってきます。
飛行機の機体の周りに、目に見えるサービス関係者と、目に見えない仕組みがたくさん張り巡らされています。
私は、『新地方自治入門』で地域の財産を分類して、公共施設の他に、制度資本を取り上げました(そのほかに、関係資本と文化資本も)。例として、水道の蛇口を示しました。蛇口だけを持って帰っても、水は出てきません。その後ろに、膨大な仕組みがあるのです。取水、濾過殺菌、配水、料金徴収と。航空機関連産業も水道関係組織も、もの作りと運営のために、組織があります。そしてその組織を効率よく動かすために、職員の採用、育成、給料支払い、福利厚生と、職員管理組織が必要になります。また各組織を管理運営するための、管理組織が必要になります。
目に見えるモノの後ろには、目に見えない膨大な仕組みがしかも複雑につながって、支えています。
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米英の論壇に挑む努力
12月21日、読売新聞解説欄「日本の対外発信」、赤坂清隆フォーリン・プレスセンター理事長、元国連事務次長(広報担当)の発言。
・・今の世界の論調を支配しているメディアは、米国の二ユーヨーク・タイムズ紙、ワシントン・ポスト紙やCNN放送、英国のBBC放送やエコノミスト誌などであるという点だ。米国の外交専門誌フォーリン・アフェアーズも影響力がある・・
日本の発言力を強めるには、国内からの発信だけなく、こうした有力メディアに日本人の意見や主張がもっと載るようにすることが重要だ。だかそれができる人材は本当に少ない。例えば、この20年でフォーリン・アフェアーズに論文が載ったのは山崎正和氏、榊原英資氏、船橋洋一氏など数えるほどしかいない。
日本の文系の学者は何をしているのかとも思う。日本語で立派な論文を書き、高度な議論をしているが、国際的な影響力を強める努力が不十分ではないのか。理系の学者は世界の土俵で戦っているのに、文系の学者は「ガラパゴス化」しているように感じる。もっと世界にメッセージを発してほしい。言葉の壁は大きいが、あらゆる分野でそんな人材を育てるべきだ・・
私は、「日本語という非関税障壁に守られた世界」と呼んでいます。国内では評価されている(されていた)が、世界ではそうでもない。新聞、官僚、法学部などが、それに当たるでしょう。日本は、エリートが英語ニュースを読まなくてもすむ国、医学教育や大学院教育を英米独露でない自国語でまかなえる数少ない国です。これは、誇るべきことです。幕末以来150年間、欧米の学問と制度を輸入してきた成果です。
しかし、世界のトップグループに入ったとき、「翻訳と国内での消化」は、終わるべきでした。アジアの国々が経済発展で追いかけてきたとき、グローバル化が進んだときに、情報の輸入だけの一方通行では、世界で伍していけません。発展途上国の発想を、転換すべきだったのです。目標を達した際に、次の目標を設定することに失敗した。勝者のおごりでしょう。
産業界は世界に打って出、理系はノーベル賞を代表に世界で戦っています。文系が、いまだに鎖国・輸入状態なのです。
新聞、官僚、法学部は、アジアにもっと貢献できると思います。欧米に留学させるだけでなく、アジアから留学生や研修生を受け入れるとか。アジア各国に助言にいくとか。何か仕組みを作る必要がありますね。「アジア貢献庁」を作るのはどうでしょうか。良いアイデアは、ありませんかね。
(自らの反省を込めて言えば、私の若い頃は、田舎では、東京がゴールで、東大を出て官僚になるのが一つの目標でした。今は、東京や官僚はゴールではありません。)
インターネットで売れるのはB級のネタ?
少し古くなりましたが、11月3日の朝日新聞オピニオン欄「ネットで文字は売れるか」、中川淳一郎さん(ネットニュース編集者)の発言から。
・・先月末、元AKB48の前田敦子がツイッターを始めたところ、あっという間に何十万ものフォロワーがつきました。元モーニング娘。の辻希美のブログには、何万人もの読者がついています。
一方、2008年に朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞が立ち上げた「あらたにす」というサイトは、今年2月末に閉鎖されました。1面の記事や社説を読み比べできるのが売り物でしたが、世の中の人は、社説より女性タレントのつぶやきに関心があるんです。
なんでそんなものにと思うかも知れませんが、思う方がおかしい。パチンコ屋に朝から並び、おバカタレントの珍回答に大喜びしている日本人がなんと多いことか。各社の社説に関心があるなんて人の方がマイノリティーです。
私は、ネットにニュースをアップする編集者です。言葉は悪いですが、あえて言います。日々の仕事は、押し寄せるバカとの闘いです。恐ろしいことに、ネットはバカに発信力を与えてしまった。こちらのちょっとした物言いに「傷つく人がいたら、どうするんですか!」と妙な義憤にかられて怒る。騒ぎに便乗し、サイトを炎上させて喜ぶ。以前は無視しとけばよかったが、今はバカの意見が拡散する。結局、まともにやってるこっちが謝罪するはめになる。
私はもう、良質な客を相手に格調高いコンテンツを提供しよう、などと考えるのはあきらめました。まあ、私もバカのひとりだし、ネットは暇つぶしでもあるから、もっと気軽なB級ネタを出すように心がけています。絡んでくる人がいても、ページビューを稼いでくれる、いい客だと思うことにしています・・
読んでもらうためには、女性タレントのブログやツイッターにコメントを寄せて喜んでいる人たちが食いつくレベルまで下げること。たとえ、それが下品であってもB級に徹することです・・
う~んと思いますが、事実なのでしょうね。学者や評論家が理想論やお堅いことおっしゃっても、多くの日本人はいえ世界中で、そうなのでしょう。さて、どうするか。
意見が違う者の間の同調と理解
平田オリザ著『わかり合えないことから―コミュニケーション能力とは何か』(2012年、講談社現代新書)を読みました。表題にあるように、最近コミュニケーション能力が求められるけれども、わかり合うとはそんなに簡単なことではないことが、書かれています。
私流に理解すると、次のような主張です。
100人いれば、100人それぞれ考え方に違いがあります。いえ、2人でも、考え方が違います。夫婦の間ですら、嗜好に違いがあるのですから。洋食が好きか、和食が好きかとか。
その違いを無視して、相手のことをすべて理解しようとするのは、無理です。すべて理解する、あるいは理解してもらうのは、相手またはその集団に「同一化」「同調」することです。かつての、日本のムラ社会や会社への同調です。自己主張を殺して、大勢に従います。あるいは、奥さんの言うことに異論を唱えず、「服従すること」です(笑い)。
中高年の管理職が若者に求めるコミュニケーション能力は、実は「俺が言わなくても察してくれよ」「場の空気を読んで、反対意見を言うなよ」という、組織への同調です。意見が異なるものの間での、コミュニケーションではありません。
平田さんの主張に関しては、このHPでも取り上げました。「会話と対話と論戦と」(2012年7月14日の記事)。
私が考えるコミュニケーション能力とは、まず、自分の考えや好き嫌いを発言することです。黙っていて、「察してくれ」は、永年一緒に暮らしている夫婦でも難しい場合があります。次に、相手の主張を聞くことです。それを聞かずに、先回りして準備しても、間違っている場合があります。そしてお互いの意見を言い合った後、ここは同意するが、そこは同意できないということを、お互いに認識することでしょう。その後に、どちらの主張に合わせるかは、力関係によって決まります。会社では、部下は上司の意見に従い(いやなら辞める)、夫婦の場合は、夫が妻に従います。通常は。
大学入試は何のため
10月23日の日経新聞1面連載「大学開国」は、「入試は変わるか」でした。
・・多くの生徒が難関大に進む高校から、現行入試への疑問の声が相次ぐ背景には、時代が求める能力と入試で測られる力のズレがある。
「高校の国際化の障害は入試だ」。埼玉県立浦和高の関根郁夫校長は言う。英国のパブリックスクール(私立名門校)と交換留学協定を結ぶ同校。過去6人の生徒が渡英し、全員がケンブリッジなど英有力大学に進んだ。
課題は、受け入れだ。英国生徒の来日は、2008年度が最後。「高校の授業は、日本の大学にしか通用しない入試対策が中心。生徒同士の議論などが少なく、海外の高校生にはつまらない」と同校長。知識の活用力も問う入試への転換を提言する・・
う~ん。国内で勝負するか、世界で勝負するかのズレですね。