カテゴリーアーカイブ:社会と政治

オリンピック開催の判断の意味

2021年6月16日   岡本全勝

6月12日の朝日新聞オピニオン欄「五輪はどこへ」、佐藤俊樹・東大教授のインタビュー「中途半端な国、日本」から。
――「やると決まっているからやる」に見えます。
「日本社会は『撤退戦』がとても苦手です。日中戦争や第2次世界大戦もそうです。撤退や方向転換した方がよい状況になっても、やめられずに損害を出し続ける。何かをやるときには損得勘定をきちんとした上で、『どういう状況になったらやめるか』を明確にする必要があります。でも、『そういうことをちゃんと考えていますか?』と聞くと、後ろ向きな消極派呼ばわりされます」

――政治家の能力の問題でしょうか。
「一つは、日本の公共部門の小ささでしょう。迅速にデータを分析し、政策に反映するという作業をする態勢は弱体化しています」
「もう一つは、政治家が『やるべきこと』の変化に対応できていないからだと思います。長い間、政治はパフォーマンスが重要で、有権者もそれに反応してきました。『政治ショー』が通用したのは、政治がどうあれ、社会の一定の秩序や豊かさが維持される前提があったからです。だから政治家も本当に『命にかかわる重大な決定』をやらずにすんできた。ところが新型コロナによって、政治家の決定は、生活や命に直結するものになった。でも与野党ともにそういう経験がなく、従来の『政治ショー』のスタイルをやめられないようです。東日本大震災でも、当時の民主党政権は党内の政争に明け暮れ、有権者の怒りを買いました」

――五輪や新型コロナ対策についても、政治に対して厳しい目が向けられました。
「問題の深刻さを共有しているように見えないことが、不信感の大きな要因でしょう。今の日本にとって五輪開催と新型コロナ対策はそれぞれ、国の総力をあげて取り組むしかない大きな課題です。両方やろうとすれば『二兎(にと)を追う』ことになる。だから、政府や自民党が『開催』にこだわればこだわるほど、感染対策に本気で取り組んでいないように見えます。そもそも、今の日本には、二兎を追うことは難しい」
――なぜですか?
「日本はもはや、大国ではありません。高度成長期であれば、もしかしたら二兎を追うことも可能だったかもしれません。でも、少子高齢化が進み、公務員の数を欧米よりも抑え、増税にも踏み切れない。お金も人も、余裕はないのです。その現実を、正面から受け止めなければなりません」
「それは政治のせいだけではなく、有権者の選択でもありました。もともと日本は公共部門の小さい国だったのに、ちゃんと数値も見ずに『ムダを追及する』といってさらに縮小させた。公立病院は2019年までの10年間で74も減り、明らかにコロナに影響しています。民間病院に公立病院並みのコロナ治療をやれというのが本末転倒で、まず『公立減らしは誤りだった』と認めるべきでしょう。『減量策』自体を否定しているわけではありませんが、選んだのだから結果も自己責任。二兎を追うことは、最初からすっぱり諦めるべきだったんです」

デジタル時代の自己情報の所有権

2021年5月23日   岡本全勝

5月14日の読売新聞、トーマス・イルベス・エストニア前大統領の「私のデータ 私に所有権」から。
・・・エストニア人は半世紀にわたり、ソ連という警察国家で全体主義的に統制され、プライバシーを侵害された。だから、(1991年の独立後に進めた)行政のデジタル化では、透明性を確保して国民の信頼を得る必要があった。

全ての国民は健康や徴税、財産など自分に関する全てのデータの所有権を持たなければならない。具体的にはまず、誰があなたのデータを見たか知ることができなければならない。自分のサイトで、誰があなたの情報を見たのかが分かるようにする。
誰がどのデータを見れば合法的で、誰がどのデータを見れば違法になるのかも決める。例えば、私は自分の医療データを見ることができるが、医者以外の人は見られない仕組みにする。警察は私の交通違反の記録を見ることができるが、健康に関する記録は見られないようにする。

これらを保障するためには、データがどのように入手されたかが記録されていなければならない。こうした透明性の確保やデータ保護を進めるかどうかが、民主主義国家と権威主義国家の大きな違いだ・・・

法治国家、日本の形

2021年5月21日   岡本全勝

東大出版会宣伝誌「UP」2021年5月号、内田貴さんの「書かれざる法について」が興味深いです。民法のうち契約に関する部分の改正についてです。明治初期に制定して以来、121年ぶりに改正されました。これも驚きですが。
日本がお手本にしたドイツやフランスでは、21世紀に入って次々と現代化しているのに、日本では反対が強かったのです。法曹界だけでなく、経済界からの抵抗が大きかったそうです。

焦点の一つが、事情変更の原則です。第一次世界大戦後、ドイツではハイパーインフレに襲われ、貨幣価値が1兆分の1まで下落しました。債権が額面では無価値になり、裁判所は「合意は守らなければならない」という原則を変更し、増額を認めました。これが事情変更の原則です。
日本でも、学説上も判例も確立しています。そこで、法務省が民法現代化の一つとして、この法理を明文化しようとしたのです。ところが、最後まで経団連の反対を超えることができず、条文化は断念されました。
既にできあがっている原則を明文化することに反対する???
法文より、裁判官を信頼してるようです。しかし法律は、裁判官が恣意的な判決をしないように縛るためのものでもあります。

内田先生も指摘しているように、日本の民法をはじめ法律は、条文だけで完結しておらず、背後に書かれていない規範があります。法治国家といっても、欧米(たぶん国ごとにも違うのでしょうが)と、日本では効果が違うようです。
新型コロナウイルス感染拡大防止についても、象徴的なことがあります。
各国が、法律で国民の行動を制限しているのに、日本は要請ですませています。法律で制限しているのは、事業者の営業についてです。
日本には、欧米流の「法治国家」と伝統的な「世間の目」という、二つの社会があります。「戦後民主主義の罪、3

企業による表現の自主規制

2021年5月19日   岡本全勝

5月12日の日経新聞オピニオン欄、ファイナンシャルタイムズのジョン・ソーンヒルさんの「SNS無規制が招く危険 表現の自由、企業に任せるな」から。

・・・米フェイスブックの監督委員会が同社SNS(交流サイト)からトランプ前大統領を「追放」した会社側の対応を支持したことについて、トランプ氏の支持者は恥ずべきことだと語る。トランプ氏反対派の多くは、同氏が選挙後に首都ワシントンの暴動をあおったことに対する適切な処罰だと言う。
だが、それ以上に大きく重要な問題は、フェイスブックが構築し、委員を任命し、運営資金を出している監督委員会が果たして、そうした判断を下すのに適した団体なのかどうかだ。表現の自由の境界線を引くために、フェイスブックの「最高裁判所」と呼ばれる疑似公的機関の創設が民間企業に委ねられたのは、一体なぜなのか・・・
・・・かつて、認知科学者のジョージ・レイコフ博士はかつて、問題を特定の枠組みにはめることで都合よく政治・社会的な課題の結論を導き出せると説明したことがある。「どういう枠組みを設定するかによって問題が定義され、問題をどこまで話せるかも決まる」と同氏は述べている。
独自の監督委員会を創設することで、フェイスブックは表現の自由という問題の枠組みを巧妙に規定した。そうすることで、自社の業務慣行とビジネスモデルを暗に是認し、原因ではなく結果を重視する仕組みにしたのだ。だが、監督委自体が先日論じたように、これはフェイスブックが責任を回避できるということではない・・・

・・・これだけの質問をみても、フェイスブックが今、社会システム全体にとって重要な情報機関となったことが分かる。かつてラジオとテレビが規制されてきたように、現代におけるコミュニケーションインフラとして、厳しい監視の目を向ける必要があると考える根拠にもなる。
フェイスブックを擁護すると、監督委は確かに、以前と比べるとさらなる透明性とアカウンタビリティー(説明責任)を提供している。
フェイスブックのグローバル問題を担当するニック・クレッグ副社長は先日、本紙フィナンシャル・タイムズのイベント「グローバル・ボードルーム」に参加し、合意に基づく規制がないせいでフェイスブックは自ら空白を埋めるしか手がないと言った。また、監督委を立ち上げるために1億3000万ドル(約140億円)の予算を割り振ったと述べた。
さらに、クレッグ氏は監督委が設立からまだ日が浅いことを認め、フェイスブックとともに絶えず進化を遂げ、外部のパートナーをさらに呼び込んでいくと語った・・・

・・・だが、国連や市民社会が業界全体に対して監視体制を築こうとしている可能性を奪いつつあるとも危惧している。「(監督委は)興味深い仕組みで革新的だが、他の重要な体制づくりの可能性を潰してしまっている」とケイ氏は言う。
フェイスブックほどの巨大なSNSを運営・管理することは気が遠くなるような難題だ。フェイスブックの監督委や3万5000人のコンテンツモデレーター(管理人)、さらには最も優秀なアルゴリズムを駆使しても力が及ばないのは明白だ・・・
・・・オンライン上での表現の自由をめぐる問題には、単純な答えは存在しない。だが、より複雑な答えを探す試みは不毛だというわけではない。ただ、表現の自由というすべての人にかかわる問題について、フェイスブックという一企業が自社に有利になるように枠組みを規定することは許してはいけない・・・

詳しくは原文をお読みください。

商売と人権

2021年5月7日   岡本全勝

5月1日の朝日新聞夕刊、佐藤暁子さん(弁護士・国際NGO幹部)の「人権とビジネス、企業のあり方は」から。
・・・中国の新疆ウイグル自治区や香港、ミャンマーなどをめぐる人権状況が問題視されるなか、ビジネスのあり方が注目されている。日本企業はどう向き合うべきか。弁護士で、人権NGOでも活動する佐藤暁子さんに聞いた・・・

・・・中国の新疆ウイグル自治区のウイグル人の強制労働に取引先が関わっているとして、豪州の研究機関ASPIが、日本企業の名前を挙げていた。自治区を離れてウイグル人が働く工場が対象だ。佐藤さんらは、名前が挙がった日本の衣料品や電機メーカーなど14社に聞き取り調査し、結果を公表した。
答えなかった1社を除く全13社が指摘に反論した。それでも「強制労働の事実が明確に否定できない限り、即時に取引関係を断ち切るべきだ」と訴えた・・・
・・・中国当局は「人権弾圧」を否定している。一党独裁の国で「異論」は御法度。経営者の発言しだいで巨大市場から締め出されかねない。逆に、中国を支持すれば中国以外の消費者から批判を浴びる可能性がある。
話すだけ損だと考え、沈黙を続ける日本企業は少なくない。「政治的な質問にはノーコメント」「人権問題というより政治的な問題だ」。正面からの回答を避ける経営者が目立つ。

佐藤さんは批判する。
「全く的外れ。がっかりしました。強制労働は国際的な人権上の問題であって、『政治的』だから何も言わない、という話ではない。説明しないことは特定の民族への人権侵害の現状追認になってしまう」
米国のパタゴニア、欧州のH&Mなどは、サプライチェーン(供給網)において新疆ウイグル自治区から綿花など素材の調達をやめると表明している。「疑わしきは使わず」だ。
「企業は社会の重要な構成員として、力を持つ。材料の調達から生産、販売など一連の過程で人権の尊重を徹底すれば、多くの人権侵害を避け、また救済もできます」
「経営者は、市民社会に対して自らの価値観や哲学を含めて説明責任を果たしてほしい。そうしなければ、世界の投資家や消費者から批判を浴びることにつながるでしょう」・・・
この項続く