カテゴリーアーカイブ:社会と政治

個人防衛、社会防衛

2007年6月6日   岡本全勝

6日の読売新聞「論点」、村上陽一郎先生の「はしか予防接種、社会防衛として理解を」から。
・・免疫を利用する方法は・・外から侵入する病原体に抵抗する要素を、体内に注入したり、生産させるようにするのが、この方法の本質だから、患者の治療や予防といった個人防衛に役立つことは当然である。しかし、もう一つの重要な役割は、あらかじめ人々に接種しておくことで、社会全体の中での流行を抑えることである。
だから、戦後の日本でも1948年に予防接種法を定め、ジフテリア、百日咳、ポリオ、はしか、風疹、日本脳炎、破傷風については、市町村にワクチン接種実施の義務を、国民に対しては接種を受ける義務を科し、罰則規定をも設けたのである。インフルエンザなどは追加的処置となり、結核については法律を別に定めた。その後いくつかの改正があり、76年の改正では罰則規定が削除されたために、実質上国民の義務は、努力義務になったが、このことを明示したのが94年に行われた大改正であった。この改正で、国民の接種義務は法律からは姿を消し、「接種を受けるよう努める」ことが明記された。
ごくまれに起こるワクチン接種の副作用が、患者ならまだしも、本来健康な人への生涯を通じての障害へつながることを怖れての改定であるが、これは予防接種を「社会防衛」ではなく「個人防衛」と見る、という考え方の大転換であった。そのため、世界的に見て、予防接種による社会防衛が行き届いている模範例とされてきた日本の予防接種率は、このところ著しく下がって来ていたのである・・

介護の名付け親

2007年5月30日   岡本全勝

「介護」という言葉は、おむつカバーの会社が発案した名前で、商品登録もしてあるのだそうです(30日付け朝日新聞夕刊)。介助の「介」と、看護の「護」をつなぎ合わせました。1980年に考えて、1983年には広辞苑に載ったとのことです。しかし、使用料も取っていません。いまや、「介護保険法」と、法律の名前にまでなっています。すごいですね。

クールビズ3年目

2007年5月29日   岡本全勝

28日の朝日新聞オピニオン欄、鷲田清一さんの「クールビズ3年目」から。
クールビズはおしゃれだと見ていますか、との問には。
ノーです。なぜか。室温を28度にした、だから少しでも涼しい服装をする、ネクタイを外す。ファッションとはそういうものではありません・・クールビズは主張ではなく、横並びでしょう。みんなでやめればいいんだ、という。自分のスタイルの意識があってやめているのではない。みんながネクタイをしているから自分もしなければ、というのと同じなんです。みんなが、世の中がある方向を向いているから、自分もそれに合わせるというのは、流行現象ではあっても、おしゃれではないです。
そして、背広とネクタイ姿について、次のように話しておられます。
おしゃれでない人、ファッションにあまり関心のない人が、かっこよく見せることができるのが、背広にネクタイです・・ネクタイは男の唯一の装身具。おしゃれに自信のない人でも、これをつければしゃんと見える。その背広とタイの服装から、クールビズは大事なものを取ってしまう・・襟が立っているシャツ、胸のチーフ、シャツの色や柄・・・クールビズと言われている服の方が、背広とネクタイよりはるかにセンスを問われます
・・ファッションって、本来は世の中の大勢、メーンストリームとの距離感で決まるんです。大勢がこうなら自分はこうだ、と。
クールビズを実行している人たちにも、2種類あると思います。一つは、ネクタイを外せばいいんだという人たち。そこで止まってしまっています。もう一つは、背広並みにそれなりの緊張感をもたせたい、とおしゃれを意識するようになった人たち・・お仕着せの情報に頼らず、今まで以上に着るものに意識が行くようになったとは言えるんじゃないでしょうか・・・

成人年齢

2007年5月27日   岡本全勝

国民投票法が資格を18歳以上と定めたので、その他の成年年齢をどうするかが、課題になっています。25日の朝日新聞が、大きく解説していました。選挙権・被選挙権だけでなく、民法の成年、結婚の最低年齢、飲酒と喫煙、年金などなど、たくさん関係してきます。
何歳から「大人」と見るかということは、社会をどう構成するかという大問題です。個人によって「大人」になる年齢は差があるのでしょうが、法律はどこかに一律の線を引くのです。また、民事・刑事・行政など目的によって違った成年年齢があって良いのですが、なるべく統一されている方が、わかりやすいですよね。

資本と経営の関係

2007年5月23日   岡本全勝

23日の毎日新聞社説は、「資本の経営監視は強くなる」でした。
・・株式会社を主体とする資本主義においては、これまで長く、資本と経営の分離がいわれてきた。特に日本では、1960年代後半の資本自由化に備えて企業間の株式持ち合いが進んだ。経営者は株主として運命共同体となり、互いに批判せず、経営に対する株主の発言権は実質的に失われていた。
米国では1980年代に、年金基金などの機関投資家の株式保有が進むと同時に、企業の合併・買収の失敗などが相次いだ。機関投資家は、資産の安全を確保するために経営への監視を強めた。現在、日本に参入しつつあるファンドも、このころに誕生している。
日本でも、バブル経済崩壊以降、企業の株式持ち合いが崩れた。経営者は運命共同体ではなくなった。また、多くの企業の倒産で、株主は多大な損失を被った。こうして日本でも、株主による経営監視が重視されるようになった。同時に、財務分析能力や経営能力を備えたファンドが、投資家を束ねる大株主として登場してきた。
・・資本と経営の分離という時代から、資本による経営の監視の時代に移りつつある・・
なるほどと思いました。