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社会と政治

103万円は幻の壁?

11月12日の朝日新聞「103万円は幻の壁? 年収の壁、専門家の見方は」から。
・・・国民民主党が訴える「103万円の壁」対策に注目が集まっている。税金がかかる「最低限の年収」のラインを引き上げることで減税し、働く人たちの手取りを増やすというものだ。政府・与党も検討に入ったが、実は「103万円は壁ではない」との指摘もある。既婚女性の「年収の壁」について分析した東京大学の近藤絢子教授(労働経済学)に聞いた。
―103万円にはどんな意味がありますか。
「パートやアルバイトで働く人たちにとって、年収103万円を超えると、所得税の課税が始まります。ただ、税負担が増えるといっても大きくはありません。年収が104万円になったとしたら、増えた分の1万円に税率5%をかけた年500円が納税額です」

―手取りは減る?
「主婦のパートタイマーの手取りは世帯でみても減りません。にもかかわらず、2021年までの住民税のデータを分析したところ、年収が103万円に収まるよう働く時間を調整している既婚女性が多いのです」

―なぜですか。
「データを見ると(社会保険の加入が必要になる)130万円で調整している人もいます。ただ、その手前の103万円の方が圧倒的に多い。それは、ある種の誤解かもしれません。パートで働く妻の年収が103万円以内だと、夫が税の優遇措置である配偶者控除(38万円)を受けられます。103万円を超すと税制上の扶養を外れますが、年収150万円までは配偶者特別控除という名前で同じ額(38万円)の控除が受けられる。150万円を超えると夫の優遇額が少しずつ減り、201万円を超えると優遇がなくなります。それがあまり理解されていないのかもしれません」

―配偶者として受けられる税の優遇でみれば、「150万円の壁」になったと。
「そうです。103万円はいわば『意識の壁』で、『幻の壁』ともいえるかもしれません」

尊厳を保てる処遇に

10月12日の朝日新聞オピニオン欄、小熊英二・慶応大学教授の「良き統治のために」から。

・・・よい統治とは何か。それは当該社会の構成員が幸福を追求する条件を整えることだ。
では幸福とは何か。古代ギリシャ哲学では、人間の幸福は「善くあること」だと考えられていた。各自に役割があり、人として認められ、健康に日々の仕事をしている状態だ。現代日本語なら「みんなに居場所がある」「誰もが一人前と認められる」「各人の尊厳が保たれている」にあたるだろう。
こうした幸福は英語では「ウェルビーイング」と訳される。「善く(well)ある(being)」という意味だ。それは「楽しい」「おいしい」などの瞬間的な喜びを指す「ハッピネス」と区別される。
よき統治(グッドガバナンス)とは構成員がこうした意味での幸福を追求する条件を整えることである。企業組織なら「よき統治」は、構成員がそれぞれ適切な役割を果たせるように組織を運営することだ。国の場合はさまざまな政策、たとえば雇用や教育機会の確保、個々人が尊厳を維持するに足る生活保障、経済活動や言論の自由、差別や独占を禁ずるルール設定などが具体的方法になる。
では現代日本で「よき統治」を実現するために解決すべき課題は何か。私見を述べてみたい。

・・・欧米では失業問題の解決を、誰もが役割のある社会を実現する重要課題とみなすことが多い。望んでも職がない社会は、誰もが役割のある社会とは言えないからだ。
だが日本では、失業がそうした問題として論じられることは少ない。なぜなら日本では、低賃金の非正規雇用なら職はあるからだ。だが日本は欧米諸国より正規と非正規の差が激しいので、それでは生活ができず「一人前」と認められない。これは単に所得の問題だけではなく、人間の尊厳が保てないという問題でもある。
これは女性の地位にも関わる。日本女性の労働参加率は、実はアメリカやフランスより高い。だが働く女性の半数以上は非正規である。しかも正規で働く女性は20代後半をピークに直線的に減少し、代わりに非正規が年齢とともに増える。つまり出産などで退職すると非正規の職しかない傾向がある。一定年齢以上で正規雇用の女性が少ないので、管理職に占める女性の比率も低い・・・

・・・正規雇用は減っていないが、これは昔も今も全就業者(自営業部門含む)の半数強にすぎない。残り約45%は自営業と非正規で、そのなかで自営業が減少し非正規が増えた。また正規でも中小企業なら必ずしも賃金は高くない。
そしていまの非正規労働者や中小企業労働者は、自営開業するために腕を磨く仕事をしているとは言いがたい人も多い。開業しても自営業そのものが危機的である。その状態で低賃金なら、人間として「善くある」という実感を持つのは困難だ。それが就業者の半数近い社会は「よき統治」が実現しているとはいえない。
こうした状態は、生まれる子供の半数近くが、将来は尊厳を維持できそうもない社会であることを意味する。少子化も当然だろう・・・
・・・また日本型の正規雇用は半ば必然的に雇用調整の可能な非正規労働者を必要とする。そのため正規雇用の増加は重要な措置ではあっても、全体をカバーするのは難しい。もちろん、人種や民族の誇りという形で尊厳を回復しようとするのは、一時の気休めにしかならず論外の選択である。
そうなると当面は非正規雇用の待遇改善が重要な選択肢である。その方法については専門家の意見も分かれており、私には回答は出せない。ここでは議論の喚起のため、私見を述べるにとどめたい。
まず最低賃金の引き上げは必須だと思う。これには中小企業主の反対もあるが、私の意見では、生きていけない賃金で人を雇うのは尊厳と人権の侵害である。個別には家計補助のために低賃金で働きたい人は現在もいるが、そうした世帯条件を前提にした賃金を公的な基準とするべきではない・・・

消費低迷は年金への不安

9月30日の日経新聞経済教室は、小川一夫・関西外国語大学教授の「個人消費低迷、年金制度への信頼回復が急務」でした。

・・・家計消費の低迷が続いている。「家計調査」によれば、2人以上の1世帯あたり1カ月間の実質消費支出は、1992年にピーク(35万4581円)を付けた後、趨勢的に低下しており、2023年には27万8406円となった(家計調査年報の名目値を20年基準消費者物価指数で実質化した)。

家計を取り巻く環境の不確実性が高まれば、家計は消費支出を減らし、予備的な貯蓄を増大させる。日本経済は阪神大震災、東日本大震災や新型コロナウイルスの感染拡大をはじめ、家計の不確実性を高める様々な事象に直面してきた。一方、08年の世界金融危機は、世界規模で人々の不確実性を高めた経済的なショックだ。これらの事象はいずれも事前に予測が困難な負のショックであり、家計を取り巻く不確実性を高め、負の影響を及ぼした。
しかし不確実性を高める事象が、すべて予期不可能なものばかりではない。その事象がある程度予想できるにもかかわらず、適切な対処がされず不確実性が高まることもある。日本の高齢化の進行はその好例だ。
高齢化の進行は、日本経済に内在した構造的な事象であり、将来の人口推計などにより進行の予想はある程度可能だ。政府もこうした状況を考慮に入れて高齢化対策を講じてきた。それが公的年金制度の設計だ。
公的年金の制度設計が盤石で、家計が全幅の信頼を寄せるならば、家計への影響は最小限にとどまるだろう。だが公的年金制度が高齢化に対し脆弱であると家計が認識すれば、不安のない老後生活を送るために公的年金の受給を補完すべく消費を抑制して、予備的な貯蓄を増大させるだろう。まさに日本で観察される趨勢的な消費水準の低下は、家計による公的年金制度の脆弱性を補完する行動ととらえることができる・・・

・・・まず毎年8割を超える個人が老後の生活に不安を抱いている。そうした世帯はなぜ老後の生活に不安を抱いているのだろうか。
第1の理由は「公的年金だけでは不十分」であり、8割前後の個人が公的年金だけでは十分でないと考えている。家計による公的年金の位置づけをみると、「自分の老後の日常生活費は、公的年金でかなりの部分をまかなえる」という考え方に「そうは思わない」と回答した個人も8割近くに及ぶ。大部分の家計は、老後の生活を安定的に維持していくうえで公的年金の支給額が不十分であると考え、公的年金に対しネガティブな評価を下している・・・

・・・つまり高齢者が継続的に働くことで、勤労所得の増加を通じて年金受給が補完され安定的な所得が確保される。しかも基礎年金の拠出期間延長が可能となり、すべての被保険者の基礎年金給付が充実し、年金制度の脆弱性の是正にもつながる。このように家計が抱く不確実性が軽減され、予備的な貯蓄の減少を通じて消費の活性化につながる・・・

待機学童、実態は1.7倍

9月24日の日経新聞に「見えぬ「待機学童」、実態は1.7倍」が載っていました。

・・・学童保育の受け皿が足りない。子どもを預けたい共働き世帯が増えているのに、保育所と比べて整備数が少ないためだ。2024年の待機児童は約1万8千人と過去最多となった。日本経済新聞の調査では、国の定義から漏れる隠れ待機児童を含めると、実態は1.7倍に上る。原因は子育て世代のニーズを国が正確に把握できていないことが大きい・・・

・・・こども家庭庁によると、学童保育の待機児童数は増加傾向にあり、24年5月時点で1万8462人と過去最多を記録した。かつて待機問題は保育所が目立っていたが19年に逆転。保育所は17年の約2万6千人をピークに減少し、24年は10分の1ほどの約2570人となっている。
12年に発足した第2次安倍晋三政権は女性活躍の旗印の下、受け皿を大幅に増やす目標を掲げた。この10年で保育所は約74万人分、学童保育も約58万人分が増えた。それでも受け皿の総数は23年時点で、保育所の320万人超に対し、学童保育は150万人超と半分以下だ。

さらに、国による待機児童の定義変更も実態を見えにくくしている。当時所管していた厚生労働省は19年度から、希望する学童保育とは別に利用可能な施設があるとみなすときは、待機児童の数に含めないことにした。具体的には、開いている時間帯に大きな差がない、最寄りでなくても一般的な交通手段で20〜30分程度の距離にあるといった場合を除いた。
日本経済新聞は東京23区と政令指定都市20市を対象に、新たな線引きに従って待機児童に含めない潜在的な待機数を調査した。回答があった40区市の合計は5月1日時点で2081人だった。国の基準で集計すると約3000人だが、足し上げると1.7倍の5100人となる。
潜在的な待機数が最も多かったのは、さいたま市で737人。国の集計基準による288人と合わせると1000人を超える。東京都の港区が281人、中野区が204人で続いた。両区の公表値は29人、8人だった・・・

男女平等、いまだ残る「戦前」

9月18日の朝日新聞夕刊「男女平等、いまだ残る「戦前」 元最高裁判事・櫻井龍子さんが見た「虎に翼」」から。

「こんなに熱心にドラマを見るのは初めて。朝、起きるのが楽しみで」。9月末に完結する、NHKの連続テレビ小説「虎に翼」。弁護士や裁判官として活躍した三淵嘉子さんをモデルにした猪爪寅子の人生を描いています。最高裁判事もつとめた櫻井龍子さん(77)は「寅子ちゃんに感情移入できる、そこに日本の問題がある」と言います。話を聞きました。

――九州大法学部を卒業、1970年に旧労働省に。女性ゆえの「壁」を感じたことはありましたか。
大学3年生の時でしょうか。女性には多くの道がないと知りました。司法試験か公務員試験か、の2択でしたね。求人は山ほどあっても、学生課は「男性用です。女性求人はありません」って。
そういう時代だったんです。85年以前、日本はまだ「戦前」でしたから。

――戦前、ですか。
日本国憲法の理念としての男女平等はありました。でも実態は「戦前」。
85年は、女性差別撤廃条約を日本が批准した年で、男女雇用機会均等法が成立しました。以降、少しずつ変わってきたと思います。

――旧労働省でも?
先輩の女性から、男女平等という言葉は、長らく省内の会議では使えなかったと聞きました。男性職員に「男女平等なんて、日本にはない」と鼻で笑われたこともあったようです。

――驚きです。何が転機だったのでしょうか。
国連の国際女性年宣言(75年)に続く「国際女性の10年」が大きいですね。
日本も多くの国際会議に参加しました。女性で初めて国家公務員上級職となった森山真弓さんらが省内で報告するのですが、男女平等という言葉なしには説明できない。決議などに出てくるのですから。それで使われるようになったと聞きました。「外圧」みたいなものです。