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渡邉雅子著『論理的思考とは何か』

渡邉雅子著『論理的思考とは何か』(2024年、岩波新書)を読みました。勉強になります。アメリカ、フランス、イラン、日本の4か国の「作文」「作文教育」を比較して、文化が違うと「正しい論理」が異なることを示しています。
私は「論理的思考とは何か」という表題にひかれて、「どのようにしたら論理的思考ができるのか」を知りたくて買ったのですが、全く違いました。わかりやすい表現にすると「文化の違いに見る論理の違い」です。論理的思考は、世界で一つではないのです。
著者はアメリカの大学に留学し、小論文を書くのですが、「評点不可能」と突き返されます。どんなに丁寧に書き直しても、同じ評価です。ところが、アメリカ式小論文の構造を知って書き直すと、評価が三段跳びでよくなりました。ここで、求められていること、日本とアメリカの論理の違いを発見します。

第二章は、「「作文の型」と「論理の型」を決める暗黙の規範──四つの領域と四つの論理」と題して、次のように、4つの国の規範と論理を比べます。
経済の論理──アメリカのエッセイと効率性・確実な目的の達成
政治の論理──フランスのディセルタシオンと矛盾の解決・公共の福祉
法技術の論理──イランのエンシャーと真理の保持
社会の論理──日本の感想文と共感

アメリカを経済、フランスを政治、イランを法、日本を社会と表現することには、厳密性や論証に欠けるとの指摘があるかもしれません。しかし、4つの国の論理を表現するには、わかりやすい言葉です。
なお、取り上げるのは作文で、アメリカのエッセイは、日本語の随筆ではなく、英語本義の小論文・試論です。ディセルタシオンは、フランスの小論文。エンシャーもイランで作文の意味ですが、これは求められるものが全く異なっています。
国際社会で活躍する人には、とても参考になると思います。日本の職場で文章を書く際に、「結論から書け」と指導されます。私もそのように心がけました。学校で習った作文と何が違うのか。その参考にもなります。お勧めです。

なお、日本文化論についても考えさせられました。かつて、西欧と日本の生活文化の違いを比較する、日本人論が流行りました。それらは極端に言えば、西欧を「進んだ文化・世界の標準」と見なして、「遅れた・特異な」日本を比較するものでした。この本のように、複数国を比較したものがなかったことに気づきます。また、アジアやアフリカ社会と比較したものも、ほとんどありませんでした。
もちろんこの本も、ほかの欧州、アフリカ、アジア、南アメリカを扱っていません。それは一人の研究者では、無理でしょう。

知図その2

先日書いた「知図」を読んだ読者から、指摘を受けました。
「KJ法も、これではないですか」

そうですね。
KJ法は、川喜田二郎さんが考案した、思考の整理方法です。たくさん集めた情報をカードに記述し、カードをグループごとにまとめて並べます。そこから、一定の法則を見いだしたり、問題の解決を見つけます。(ウィキペディア

学生時代に『発想法』(中公新書、1966年)を読んで、考えを整理する際や、原稿の骨子を作る際に利用しています。『明るい公務員講座 仕事の達人編』でも紹介しました。
知図とよく似た方法です。違いは、KJ法が思考の整理方法(過程)なのに対し、知図はできあがった配置図(結果)であるということです。

知図

「知図」とは、私のつくった言葉です。いくつもの事柄を、頭の中や紙の上で地図のように並べて、それらの位置づけを理解するのです。
生物の系統樹を思い浮かべてもらうと、わかりやすいでしょう。バラバラなものを、何らかの基準で結びつけ、並べるのです。トランプの札も神経衰弱ゲームの際にはバラバラに(裏返して)置きますが、7並べゲームだと数字の順に並べます。すると、どの札がどこにあるかがわかります。

地図の利点は、道路や建物や山や川の位置を示す際に、言葉で示すよりわかりやすいです。それと同様に、ある基準で並べてつなぐのです。それを、頭の中や、紙の上に表示すると思ってください。知識の地図なので、知図です。分野ごとに分類し、それらの関係を理解することもあります。西欧哲学・思想家の歴史、音楽の歴史と分野、絵画の歴史と分野などです。

頭の中には、いろんな記憶がバラバラに入っています。それらを、連想によって次々と引っ張り出します。その連想の要素は、その時々によって異なります。ある花を見たときに、同じ色の花を思い出すこと、同じ種類の花を思い出すこと、季節を思い出すこと、その花にまつわる思い出を思い出すこと、その花が載っていた本を思い出すこと・・・
これが上手な人が、記憶力がよい、引き出しをたくさん持っている人なのでしょう。「位置づける」「頭という限りあるキャンバス

念のために、インターネットで「知図」を検索したら、次のような項目が出てきました。市川力著『知図を描こう!』(2023年、岩波書店)。「全国の小中高校の探究授業や住民参加の地域活動で注目を浴びる「知図」。知図とは自分が歩いて見聞きしたコトやモノ、感じたことを一枚の紙に自由に描く自分なりの「発見の記録」です」。これは、各自がつくる地図ですね。
知図その2

仕組みの解説と機能の評価4

仕組みの解説と機能の評価3」の続きになります。かつて、「内包と外延、ものの分析」を書いたことを思い出しました。

・・・あるものごとを解説したり分析する際に、そのものごとの内部を深く分析します。これを内包的分析と呼びましょう。もう一つは、そのものごとが社会でどのような位置を占め、どのような影響を与えたかを分析します。これを外延的分析と呼びましょう・・・

連載「公共を創る」で官僚論を書いていて、再度このことを思い出しました。
官僚や公務員を論じたり分析したりした本や論文、さらに行政を分析した本はたくさんあります。それはそれで有用なのですが、ほとんどが公務員制度、役所の中を分析しています。
私が連載で心がけているのは、社会において行政機構や官僚がどのような役割を果たしているかです。なぜ、官僚への信頼は低下したか、日本社会の課題(経済停滞と社会の不安)は解決しないのか。内包的分析ではそれはわからないのです。外延的分析が必要です。

例えば今、新聞について書くとしたら、紙面の記事、記者、取材、編集、社の経営だけを分析しても不十分でしょう。なぜ発行部数(購読者数)が減ったか、外部環境について書かないと新聞の機能を説明したことになりません。「位置づける

仕組みの解説と機能の評価3

仕組みの解説と機能の評価2」の続きになります。「仕組みの解説と機能の評価」の問題については、その前に「仕組みと運用の実態との違い」の議論があります。

連載「公共を創る」第32回「社会的共通資本 憲法と文化資本」で、「この国のかたち」を理解するために、政府、世間・個人の3つの分野ごとに、骨格(法や制度)、実態(運用)、基礎(意識と生活)を、表にして整理しました。
この国のかたちをつくっているのは、国民の意識であり慣習です。そこには、変わるものと変わらないものがあります。民主主義や資本主義などは制度(仕組み)であり、それを動かすのは、国民の意識です。仕組みを輸入しただけでは機能しなかったり、意図と異なった運用をされたりします。

民主主義でいえば、代議制民主主義の運用も、先進各国でも異なっています。二大政党を意図した小選挙区制度も、日本ではイギリスと同じようにはなりませんでした。
政治を教える際に、政治制度だけでは不十分で、その実態を教える必要があります。比較政治学でも、制度論だけでは、各国の違いが見えてきません。そして、憲法が変わらなくても、戦後日本では政治だけでなく、人権の内容も変わってきています。憲法の条文を解説しているだけでは、それは見えてきません。