カテゴリー別アーカイブ: 生き方

生き様-生き方

神野直彦先生の人生と思想

神野直彦著『経済学は悲しみを分かち合うために』(2018年、岩波書店)をお勧めします。先生から贈っていただいて、読み終えたのですが、このホームページで紹介するのが遅れました。
先生には、地方分権改革、特に税源移譲の際に、お教えを乞いました。その後、親しくしていただいています。

この本は、先生の自叙伝です。特に、先生がどのようにして財政学を志したか、そしてどのような財政学を目指したかが、書かれています。
経済学、特に財政学が客観的な分析の学ではなく、人の生活と切り離すことができないことが、よくわかります。人間を幸福にする経済であり、そのための学問であると、喝破されます。
既存の財政学・経済学とは違った学説を掲げられ、ご自身でおっしゃっているように、批判を受けられました。しかし、既存の経済学が数字や理論に走り、何のための経済学かを忘れたように、私にも思えます。

そのような部分を詳しくする、算式を詳しくするのではなく、先生は、財政学がどのようなものかについて、新しい枠組みを提示されます。すなわち、財政を、経済システム、政治システム、社会システムという三つのサブ・システムの結節点ととらえます。
私は、公共政策論で、官共私の3元論を唱えていますが、我が意を強くして、授業や著作では先生の財政学を引用しています。

先生の必ずしも順風でない人生も、語られています。回り道をされた学者人生。網膜剥離による視力の減退、これは資料を読む学者にとっては、致命的なことです。それを乗り越えられた苦労。そして、奥様への並外れた愛情(ここは私も負けました)。この項続く

あきらめの儀式

習い事が成就しなくても無駄ではない」の続きです。
穂村さんは、続けて恋愛というより、失恋についても書いています。

・・・恋愛に燃え上がっている友達にはどんなアドレスをしても無駄、と経験的にわかっている。もう可能性がないことが周囲の誰の目にも明らかでも、本人は決して撤退しない。
あれは一縷の望みに賭けるというよりも、むしろ完全に駄目だということを確認するための行為なんじゃないか。その儀式が済むまでは「もしかしたら」という思いを消し去って前に進むことができないのだ・・・

これも名言ですね。
うまくいかないことが見えた時、どこで撤退するか。思いを断ち切る儀式は、重要だと思います。ウジウジと引きずらないためにです。

個人にとってはそうですが、組織の場合は、そのような感情の処理に時間と費用をかけず、サッサと撤退しなければなりません。
そこが難しいのですよね。創業者が苦労した事業だ、従業員が苦労した事業だ・・・と。損切りは、なかなかできません。情に対して、理や利をどのように納得してもらうか。「あいつは冷たい奴だ」と言われても。

少し脱線します。
昭和20年春、日本の敗戦が確定的になったときに、戦艦大和が沖縄に向けて出撃します。航空機の援護なしですから、途中でアメリカ軍の餌食になり、無駄になることはわかっています。
第二艦隊の伊藤整一司令長官は、無謀な作戦に抵抗します。しかし、連合艦隊の草鹿龍之介参謀長の「一億総特攻の魁となって頂きたい」との説得で、出撃に同意します。草鹿参謀長は、伊藤長官の後輩でした。理ではなく、情で納得するのです。
その結果、大和とともに約3千人の将兵が戦死します。伊藤長官は、出撃の前に、将来ある見習士官たちを下船させました。

習い事が成就しなくても無駄ではない

7月4日の読売新聞夕刊、穂村弘さんの「蛸足ノート」は「無駄じゃないあきらめの儀式」から。

・・・私が子供の頃は、学習塾に行っている友達はまだ少なかった。放課後は原っぱや空き地に集まって遊んでいた時代である。ただ、習い事に通っている子はけっこういた。書道、ソロバン、英会話、スイミング、ピアノ、絵画、日本舞踊などである。
私も書道と英会話とピアノ、それに絵画を同時期にではないが習っていた・・・
・・・結果的に、私は親の期待をすべて裏切ることになってしまった・・・

・・・でも、無駄とは思っていない。何故なら、それぞれの方面において自分には才能がないことを確認できたからだ。何もやっていなかったら、もしかしたら自分にはピアノの才能があったのでは、などと後になって考えてしまった可能性がある。子供の頃に習わせてもらえなかったから開花しなかっただけなんじゃないか、と・・・

はい、私の経験を基にしても、納得します。多くの人にも、思い当たることがあるでしょう。
エジソンは、「私は失敗したことがない。ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ」と言ったそうです。もちろん、1万1番目に、良い方法を見つけたから言えるのですよね。
この項続く。「あきらめの儀式

黒のスーツという制服

6月28日の朝日新聞夕刊、赤峰幸生「日本の紳士服」は、「黒の価値観 クール感、色や素材で選んで」でした。

・・・新卒生の採用選考が6月1日に解禁され、街に黒ずくめのリクルートスーツがあふれた。企業が強制しているわけではないと思うが、何年も前から当たり前の光景になった。
黒のスーツにバッグと靴、それにシャツとネクタイをセットで10万円以内で買う、という学生が多いと聞く。でも、人生で初めて袖を通すスーツが黒でいいのだろうか。私はかねがね疑問に思ってきた。
他方ビジネスパーソンに目を転ずると、クールビズと称してネクタイをせず、だらりとシャツのボタンを開けている人がいかに多いことか。彼らも黒のスーツが多い・・・

・・・しかし、ビジネスの現場まで黒というのは、欧米のスタンダードから外れている。海外では、黒スーツはデザイナーや水商売の関係者など一部の人たちが着るもので、それ以外の人がビジネスで着るという文化は根ざしていない。彼らが黒スーツを着るのは、パーティーなどフォーマルの場合にほぼ限られ、喪の場合でも黒は親族だけで、友人知人はグレーや紺のスーツに喪章を付けることが多い。
凝り固まった日本の黒スーツに対する価値観を崩すのは並大抵ではないが、夏場の暑い日に、まずできることがある。色と素材で涼を出すことだ・・・

・・・クールビズと言ってネクタイを外すだけでは、まったく様にならない。ネクタイをしないなら、ジャケットスタイルにしてチーフを胸元にアクセントとして入れる。あるいはドラマで描かれる昭和の刑事のように、開襟シャツに麻のスーツでもいいだろう。
2年後の東京五輪では、多くの外国人が訪日する。日本人のスーツスタイルが異様に思われてしまうことを憂えている。
まず、黒スーツの就活はやめた方がいい。受け入れる企業側も認識を改め、小売店にしても「これ一着があれば、冠婚葬祭大丈夫です」という文句で黒ずくめを推奨する売り方は控えるべきだ。
着こなしの楷書体を誰も教えてくれない今、まずは基本のきとして、私は「黒を捨てよ、街に出よう」と、小さいながらも声を上げていこうと決めている・・・

白のシャツに黒のスーツ、それでノーネクタイは、やめて欲しいですね。

ビジネスマンの服装

6月24日の日経新聞スタイル欄、岡藤正広・伊藤忠商事会長の「強いモンとケンカせえ」は勉強になりました。本文を読んでいただくとして、もう一つ興味深いのは、そこで紹介されている「満杯のクローゼット」です。

まあすごい着道楽です。もちろん、商売柄、ファッションに気を配ることは当然でしょうが。
・・・スーツは毎年、春夏モノと秋冬モノを各10着はつくる・・靴は革靴だけで100足以上・・・とのことです。

日経新聞のウエッブサイトを検索したら、岡藤会長の服装に関する話として、次のような記事もありました。こちらも、参考になります。
ニッポンのビジネスマン、なんで服に関心ないんやろ」(2017年5月17日)
世の中すべてがファッションや 感度を高め人生豊かに」(2017年5月24日)

その中に、次のような話も載っています。
「毎日の装いはご自分で選ばれているのですか」という問に、「それはそうやろ、誰が選ぶんや(笑)」

私も日経新聞夕刊コラム3月29日付の「帽子」で、男性の仕事服について苦言を呈しました。私の場合は、岡藤会長ほどにはセンスがないので、キョーコさんに選んでもらっていますが。