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日記

令和4年の回顧1、仕事

年末になったので、今年も1年の回顧を始めましょう。第1回は、仕事についてです。

市町村アカデミー学長は、1年余りが経ちました。
コロナの影響で、集合対面授業ができない時期がありました。感染拡大が下火になってから、制限をつけて再開しました。
研修所内でのコロナ蔓延はなかったのですが、春に熱を出した研修生がでて、検査結果が出るまでその対応が大変でした。結果として陰性だったのですが、発熱外来が予約でいっぱいで結果が出るまで1日半かかったのです。その間、宿泊室に隔離して、食事を運んだりと。

集合研修を再開してからは、大勢の自治体職員に、研修に来てもらっています。
この研修所の基本の形は、これまでの35年間に先輩たちが築き上げ、また進化させてきました。なかなかよくできています。その蓄積の上に、研修の主題を変えたり、内容を変更しています。1週間から2週間程度の研修が多いので、内容の変更や講師の交代も柔軟にできます。

仕事ではありませんが、異業種交流会には、今年も困りました。コロナのせいで、お互いに自粛することが多くなりました。重要な情報源なのですが。

年賀状書き

年末恒例の行事である年賀状書き。すべて書き終えて、今朝、最後の分を投函しました。郵便屋さん、よろしくお願いします。これなら、元旦に届くでしょう。
今年も、ある程度の枚数で、勘弁してもらいます。毎年たくさんいただいていながら、すべての方に返事を書かず、申し訳ありません。かつて千枚以上書いていた頃は、これが苦行だったのです。枚数を減らしてからは、修行に変わりはありませんが、さほどの苦労ではなくなりました。

宛名書きの際に、送る方の顔を思い出しながら書くのですが、なぜか連想で、その人の周囲にいた人で年賀状を出さなくなった人を思い出します。亡くなった方や、縁遠くなって年賀状の交換をやめた人です。
若い頃に一緒に仕事をした人は、ほとんどの人が私より年上だったので、亡くなった方も多いです。お世話になったことや、一緒に仕事をしたこと、遊んだことなどを思い出します。年賀状書きは、そのような回想の時間でした。

10月も終わり

なんと、10月が終わってしまいました。
きちんと出勤し、原稿を書き、講演もたくさんこなしました。休日にも、原稿執筆に精を出し、時に孫に相手をしてもらったのですが。あっという間に、ひと月が経ってしまいました。

確かに、朝晩は寒くなり、服装や帽子も秋冬物に替えました。
プランターのアサガオはまだ少し花をつけていますが、花びらが小さくて、アサガオと思えない形になっています。毎年うまく色づかない夏椿の葉が、今年はきれいに色づいています。椿もいくつかつぼみをつけています。季節の方は、10月が終わりだということを実感します。
さて、11月。年賀状の準備も、しなければなりません。

秋の若葉と桜の花

東京は、昨日一昨日と昼の気温が12度ほどで、30度近くから急に寒くなりました。夏の次に冬が来たようでした。今日は20度近くまで上がりました。
久しぶりに、いつもの善福寺川を散歩しました。ここのところ週末は、天気が悪かったり行事があったりで、ほぼ一月ぶりです。
私を含め行き交う人の3割ほどは、マスクをしていません。まだ7割ほどの人は、外を歩くときもマスクをしているということです。

9月中旬に歩いたときは、川沿いの桜並木が毛虫に葉を食われて、たくさんの木が丸坊主になっていました。この毛虫は珍しくないそうですが、足下にもたくさん落ちていて、いささか困りものです。
ところが今日見ると、その坊主になった木の枝に、いくつか若葉が開き、花も咲いています。気をつけてみると、結構な数の木が花を咲かせていました。葉がなくなり、まだ暑いので、木が時期を間違ったのでしょうかね。

わが家のアサガオは、まだ少しずつ花を咲かせています。種を取るために、もうしばらくこのままにしておきましょう。

幕張本郷の相撲部屋

昨日で大相撲の秋場所が終わったのですが、幕張本郷駅で夕方に、相撲取りに会うことがあります。何だろうと思って調べたら、駅の近くに相撲部屋があるのです。阿武松部屋でした。

両国の国技館から帰ってきたところでしょうか。総武線で一本ですから、便利です。
その時間帯に帰ってくるのですから、まだ番付は下の方でしょうか。すれ違うと、鬢付け油の良いにおいがします。