カテゴリーアーカイブ:体験談

家計消費状況調査

2025年6月30日   岡本全勝

6月分の家計消費状況調査調査票を、記入して回答しました。昨年7月から引き受け、毎月月末に報告しています。

家計消費調査と言いますが、1か月の全ての支出を回答するのではなく、携帯電話代、授業料、衣類、医療費、家電、自動車など特定の支出です。ほかに、インターネットを使って購入したものもあります。私だけでなく、家族の金額を書き込みます。
我が家の場合は、携帯電話代はありますが、家電や自動車は該当しません。インターネットでの購入が、本だとかいくつかあります。
回答は、インターネットでできるので、この点は便利です。

去年の今頃に、調査員が訪ねてこられました。総務省の調査ですから、断るわけにはいきませんでした。期間は1年だったので、これで義務を果たしたはずです。

復興庁時代、記念の絵3

2025年6月13日   岡本全勝

復興庁時代、記念の絵2」の続きです。こんなのも出てきました。
これは、2015年5月22日の福島特措法改正記念祝賀会の前売り券です。職員たちが打ち上げの会を設営しました。会費制にして、この券を参加者に売ったのです。

大きさは、紙幣の半分くらいです。券面の画像のうち、フルート中年はわかりますが、真ん中に透かしのように顔も入っています。その技術に驚いた記憶があります。偽札にはなりませんよね。この記事は、4か月も前に書いて、放置してありました。

70歳の半分は35年

2025年5月18日   岡本全勝

勲章をもらって、70歳になったことを実感しています。60歳が還暦で、かつては人生の大きな区切りだったのですが。私は60歳の頃は復興庁勤務で、仕事の最中でした。

明るい公務員講座 仕事の達人編』(195ページ「人生を企画する」)で、「概ね20歳ごとに人生を区切るとわかりやすい」と説明しました。
最初の20年は学生で、人生の準備期。次の20年は、仕事を覚え役に立つ時期。40歳が人生の折り返しです。次の20年は、仕事で組織や社会に貢献する時期、60歳で引退して、次の20年は「余生」とです。
退職年齢が引き上げられて、この数字も少し伸ばす必要があります。

先日、取材を受けた記者は36歳とのことでした。「なんや、私の半分か」
それで考えてみたら、70歳の半分は35歳。私が生まれたのは昭和30年(1955年)で、それから35年後は平成2年(1990年)でした。今年は平成で言えば37年です。私の人生前半はほぼ昭和後期で、後半は平成だったのですね。バブル経済崩壊が平成3年(1991年)で、見事に日本社会の変化に対応しています。
36歳の記者は、日本の元気だった時代を知らないのですね。

叙勲4

2025年5月13日   岡本全勝

叙勲2」「叙勲3」の続きです。
北日本新聞も、大きく扱ってくれました。
・・・39歳だった94年から4年間、県総務部長を務めた。当時の故中沖豊知事がさまざまな意見に耳を傾けながら熟慮する姿勢に多くを学んだとし「即決派の自分によく仕事を任せてくれたなと思う。度量の大きい人だった」と懐かしむ。
県庁内の運営に加え、県議会との調整や折衝に心を砕いた日々を「鍛えて導いてくれた全ての関係者に感謝したい」と振り返った・・・

記事を読んだ知人の家族の方は、写真と扱いが大きく、「岡本さんって、富山県人だったの?」と疑問に思われたとのことです。

この間に、たくさんの方から、お祝いやお言葉をいただきました。ありがとうございます。驚いたのは、ウィキペディアです。私の項に、すでに書き込まれていました。加筆してくださる方が、おられるのですね。ありがとうございます。

叙勲3

2025年5月9日   岡本全勝

叙勲」の続きです。今日5月9日は皇居に行って、首相から勲章と勲記をいただき、夫婦同伴で天皇陛下に拝謁しました。最後に、東庭で記念撮影です。旭日と瑞宝の重光章は約40人、ほかに外国人受章者も一緒でした。大綬章の方は午前中で、私たちは午後でした。

豊明殿で拝謁の際に、受章者全員が一列(その後ろに配偶者)で並びます。私は担当官の誘導で列の端に立ちました。隣は、板東久美子・元消費者庁長官です。なぜだろうと思っていたら・・
拝謁の後、陛下が全員の前をお歩きになります。最後の5人ほどは、立ち止まり、個別にお言葉をかけていただきました。
私には、かつて大震災復興のご説明をしたことと、「岡本さんは、長年復興に携わられて」とおっしゃっていただきました。私からは「被災地をお気にかけていただき、ありがとうございます。地震津波被災地はほぼ復興しましたが、福島原発被災地はまだまだです」と申し上げました。
「まだかかりますね」とお声があり、私は再度「日本国民の力をもってすれば、必ずや復興します。これからもお気にかけてください」と申し上げました。併せて「ここまでこられたのも、妻のおかげです」と、後ろに立っている妻を紹介すると、にこやかに応えてくださいました。