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生き様-体験談

元復興庁職員の集い

昨日17日は、元復興庁職員の集まりに行ってきました。なんと60人を超える人が集まってくれました。
「どのようにして集めたの?」と幹事たちに聞くと、「私が2014年に勤務したのでその当時の人を中心に、知っている人に拡散しました。するとどんどん集まって、放っておくと100人を超えそうでした。会場の都合で、途中で募集を止めました。」とのこと。地方勤務や海外勤務、能登半島地震対応業務で参加できない人もいました。
よくまあ、つながりを発掘してくれたものです。それぞれの班などで同窓会を開いていたようですが、各人がそれぞれに付き合いを続けていて、情報拡散は簡単だったようです。電子メールの威力もあります。
中心になってくれたのは、任期付き職員や非常勤職員だった女性たちです。参加者にも、企業から派遣されていた職員が多かったです。10年ぶりに再開したという人も多かったです。その時期以外の職員も参加していて、その人たち同士では初対面です。

皆さんが「お誕生日おめでとうございます」と挨拶してくれるので、「なんで?」と聞くと、会の名称が「岡本全勝誕生日会」になっていました。ケーキが用意され、ロウソクを吹き消すことまでやらされました。ハハハ・・。でも、そのような名目で集まってくれる人たちに感謝です。まあ、名目とは違って、懐かしい人たちと会いたいということでしょうが。
当時私は、官房長の役割の統括官でした。職員の状況を把握するため、個室に閉じこもらず、みんなのいる場所に行ってしゃべるようにしていました。全員を知っているのは、私だけです。10年ぶりの人も多く、顔は覚えているのですが、「誰だっけ?」です。名刺をもらって、当時の話と現在の状況を聞くと、思い出しました。
その組織で出世した人、既に退職した人、新しい仕事に挑戦している人。結婚した人、再婚した人、子どもさんが生まれた人、それぞれに活躍しています。若い力に圧倒されました。

今回集まった人たちは、復興庁の初期の頃で、苦労を掛けました。しかし、得がたい経験だったようです。
「新しいことができました」「被災地復興のお役に立てて、うれしかったです」「まだ駆け出しの私が、一人で統括官室に入って説明しました。そこで決めてもらいました。企業でもあり得ないことです」「岡本統括官から『35%でよいから持ってこい』と言われて、30%で持って行ったら、『ダメ、やり直し』と言われました」とか。

60数人が入った集合写真を撮りました。私にとっての宝物です。昔ならここに載せたのですが、悪用されてはいけないので残念ながら載せません。
皆さん、ありがとうございました。また、開催しましょう。
なお、会場に「 復興庁OBOG会 能登半島地震募金箱」をこっそり置いたところ、たくさんの募金があったので、現地に送るそうです。あわせて報告します。

親知らずの隣の歯

先日、歯を1本抜きました。右下の7番、親知らず(8番)の一つ手前の歯です。

私の下顎の親知らずは、水平に生えていました。顎の骨が小さく、L字型に例えると水平部分からではなく、垂直部分から生えていたのです。現代人に多いようです。
10年以上前に、左下の親知らずが伸びたのか、7番を押して痛くなったので、抜いてもらいました。抜くと言っても、上に引き出すことはできません。途中で輪切りにして空間を作り、横に抜くのです。手術は麻酔もあり、たいしたことなかったです。ところが、横から圧迫されていた7番がぐらつき、しばらくしたら抜けてしまいました。

今回は、右下の親知らずです。痛みが出てきたので、抜いてもらいました。しばらくすると、隣の7番がぐらつき始めました。堅いものが噛めません。できれば残したかったのですが、歯医者さん相談して抜いてもらいました。

隣の6番はしっかりしているようです。他の歯も大丈夫。現時点で27本です。上の親知らずが1本あるので奇数です。
先生によれば、8020(80歳になっても自分の歯が20本残っている)は大丈夫だろうとのこと。よい歯に生んでくれた両親に感謝です。

40肩顛末記

今年11月になったぎっくり腰には、前段がありました。去年11月に、左肩が40肩になったのです。
ある日突然、痛くなって、左腕が上に上がりません。電車の吊革につかまることができないのです。「40肩だ」と言ったら、みんなからは「40肩ではないでしょう。60肩、あるいは四捨五入して70肩と正直に言いなさい」と指摘されました。一般的には、40肩と言うようですが。

周囲の人に聞くと、たくさんの人がなっておられますね。私のように60代後半になって初めてなる人は少なく、多くの人は30代から50代に発症していました。「全勝さん、遅いわ」と笑われました。
「こんな健康な人が」と思う人もです。マラソン大会に出て上位に入る人も、右肩も左肩もやったそうです。走る際には腕は前後動で、上下動ではないとのこと。

でも、筋肉のその部分では、どのようなことが起きているのでしょうか。電子顕微鏡で見たら、どうなっているのでしょうか。
いろんな人に、治療法を聞きました。これぞという薬も治療法もないようです。で、先達の助言に従い、毎朝起きたときの屈伸運動、職場でNHKテレビ体操(見逃し配信で)、昼の散歩、土日は孫の乳母車押しなどをしていたのです。治るのに、半年ほどかかりました。
その次に、ぎっくり腰が来たのです。

ぎっくり腰顛末記その2

ぎっくり腰顛末記」の続きです。経験してみると、ふだん見えないことが見えてきます。

初期の歩くのが困難なときは、外出先でキョーコさんに手を握ってもらって、杖代わりになってもらったり。こんなに強く手を握ったのは、いつのことでしょうか。ひょっとして初めてかも(笑)。
壺坂霊験記を思い出しました。盲人の沢市が、妻のお里に手を引かれます。浪曲で「妻は夫をいたわりつ、夫は妻に慕いつつ~」というくだりです。壺阪寺は、明日香村の隣の高取町にあります。西国三十三所第6番札所で、私の実家の近所の岡寺は第7番です。子どもの頃、この台詞を聞いて覚えたのでしょうね。

休日に1歳の孫を乗せた乳母車を押して、散歩をしています。1時間半、6キロメートルです。ぎっくり腰で娘の家まで500メートルを歩くのがやっとの時に、これは無理かなと思いましたが、押してみたらできました。痛みがなく、楽なのです。そうです、高齢者が手押し車を押しているのと同じです。

手すりとエレベーターとエスカレーターは、ありがたかったです。でもエスカレーターでは、嫌な思いをしました。
左手が不自由、右足が痛いので、右手で手すりを持って乗りました。東京のエスカレーターは、みんな左側に並んで、右側は空いていたり駆け上る人がいます。「立ち止まって手すりを持ちましょう」と放送しているのですが。2度、駅のエスカレーターで、後ろからせかされたり、すり抜けて追い抜かれたりしました。
「何で右側で立っているのだ」と言わんばかりの表情です。「急いでいるんです」という人もいました。「左手が不自由なのです」と言ったのですが、聞こえなかったでしょうね。自分が不自由になって、そのような人の困りごとが分かります。そのような目で見ると、杖をついている人、必ずしも高齢者でない人も少なからずおられますね。

これから歳を取ってさらに体力が落ちたときの、予行演習でした。反対に、こんなに調子が悪くなったのは、いつ以来かと考えました。子どもの頃は、しょっちゅう熱を出す弱い体でした。ところが就職してからは、大きな病気をすることなく(少しはありました)、健康に仕事を続けることができました。キョーコさんの健康管理によるものですが、元気な体をくれた両親に感謝します。
実はこの前段に、40肩、正確には67肩があったのです。それは次の機会に。

ぎっくり腰顛末記

恥ずかしながら、体の不具合とそれが治った報告です。人様にさらすような話ではないのですが、記録の意味で書いておきます。私以外にもたくさんの方が経験していて、珍しくないようですが。

11月10日朝に突然、ぎっくり腰になりました。講演の旅先のホテルでです。ベッドから起きようとしたら、腰に激痛が走りました。座ったり立ったりは問題ないのですが、歩くのに難渋しました、足を引きずり、ゆっくり歩くのですが、右の腰と太ももが痛いです。
最初の頃は、寝返りを打つのも無理なときがありました。朝起きると筋肉が固まっていて、歩くと痛みが走ります。しばらく歩くと、痛みが小さくなります。じっと座っていると、筋肉が固まります。
講演や旅行もたくさん入れていたので、足を引きずりながら出かけました。その姿を見た人からは「どうしたのですか」と聞かれ、かくかくしかじかと説明しました。毎晩のように意見交換会を入れていたのですが、食事の途中で屈伸運動をして、固まらないようにしたり。

近年は軽い腰痛が出たりしたので、知人の薦めで、朝起きたときの屈伸運動、職場でのテレビ体操と昼休みの散歩、そして休日の散歩をしていたのですが。この程度ではダメだったと言うことでしょう。右腰とともに左肩が痛かったので、筋肉の平衡が崩れてもいたのでしょう。

24歳と39歳の時に、軽いぎっくり腰もどきを経験しました。1度目は徳島県財政課で、交付税の算定で毎日座りっぱなしで仕事をしたときです。2度目は富山県総務部長になって車がつき、高級なソファーに座ったときです。2度とも、歩くことで1週間ほどで治りました。今回も1週間ほどで治ると思っていたのですが、徐々に良くなったものの、なかなか完治しませんでした。

周囲の人にいろいろ聞きました。ほとんどの人は原因不明、痛み止めはあるが治療薬はなし、運動でいつの間にか治ったとのことでした。整体師に4日間で治してもらった人もいましたが、治療は痛くてたまらなかったそうです。で、その治療法は採用せず。
意識的に体を動かすことで徐々に回復し、3週間で9割方治り、4週間でほぼ完治しました。なので、こんなことを書いていられます。この項続く