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生き様-体験談

朝日新聞「官邸の怪人、「民」と出会った衝撃 復興の現場で」

朝日新聞ニュースレター「アナザーノート」で、取り上げられました。「官邸の怪人、「民」と出会った衝撃 復興の現場で 」(10月11日配信。秋山訓子編集委員執筆)。
・・・発足したての菅政権についての多くのニュースが新聞を埋めていた9月19日、紙面の片隅にひっそりと小さな記事が載った。
福島復興再生総局事務局長の岡本全勝氏(65)が退任――。2011年以来9年半、東日本大震災の復興に取り組んできた末のことだった・・・ 

私と大震災復興の始まり、復興でのNPOとの出会いと協働などが書かれています。帽子の話は、本論と関係ないと思うのですが(苦笑)。記事の最後は、次のように締めくくられています。

・・・2015年、岡本氏は復興庁の次官となる。退任後は福島復興再生総局の事務局長に就任した。原発事故からの復興という前例のない難しい仕事で、政府と与党、地元の調整役を担った。
「復興の仕事に一発回答はない。とにかく少しずつ、今回はここまで、というのを水面下で瀬踏みしながら繰り返してきた」
週の半分は2泊3日で福島に通った。何度も何度も足を運び、根気強くていねいに交渉や説明を繰り返した。「震災発生直後からずっと復興に関わってきた岡本がやってここまでなら、しゃあない、と思われるのが理想だった」

そうやって10年近くがたった。
「退任が報じられると、多くの人から、『今やめるなんて』とおしかりを受けた。全部が全部、皆さんの期待に応えられなかったけれども、長年公務員として働いてきた自分だからこそできたことがあったのではないかと思います」
「政」と向き合い、時に翻弄された「官」の人生は、終盤に「民」と出会ってさらに豊かに深くなった。
岡本さん、おつかれさまでした。・・・

ありがとうございます。これだけ仕事ができたのは、関係者の理解のおかげです。1週間後に、朝日新聞のウエッブサイトにも載るそうです。

一つの仕事に長く従事する

私の内閣官房参与退任が報道されると、たくさんの人から、ねぎらいの言葉をいただきました。ありがとうございます。その多くに、「長く従事しましたね」が含まれていました。

内閣官房参与は、4年あまり勤めました。東日本大震災対応は発災直後からですから、9年半になります。発災直後から従事している国家公務員は、たぶん私だけでしょう。公務員は、通常2年から3年で異動しますから。
9年の間に、事務局次長、統括官、事務次官、内閣官房参与と職位は変わりましたが、一貫して復興に携わりました。これは、極めて異例だと思います。しかし、ありがたいことでした。

東北復興のように、対象地域が限られている場合は、長期間従事は重要です。被災者はこの9年間、被災者におかれたままです。自治体幹部も、当時のままか、2代目であっても経験者です。その人たちを相手にする際に、「初めまして」より、気心が知れている方が話が早いです。そして、発災直後を知っているかどうかは、その人たちと話をする際に、大きな要素となります。
インフラ復旧などは担当者が交代しても、計画通り工事が進められます。そのようなお金と物でできる行政分野もありますが、行政は人を相手にすることが主です。人間関係が重要なのです。行政の各分野において、公務員はもっと長期間従事すべきです。

他方で、「まだ、難しい課題がたくさん残っているのに、卒業するのか」という、お叱りの声もいただきました。これは、一緒に課題に取り組んでいる関係者の方々からです。地元の方、与党幹部、各省の関係者、マスコミの諸君・・・。福島の皆さんにも、その点は申し訳なく思っています。
「課題を完成させて卒業する」ことが理想ですが、福島からの復興はまだまだ先が長く、私がすべてを見届けることも難しいです。
そこで、私がいなくても、復興が進むように「仕組み」は作り上げてあります。福島特別措置法の改定と延長、復興庁の10年存続、与党提言を始めとする課題解決の手法など。
いくつか、私が抱えている課題については、復興庁顧問として、仕上げるつもりです。いましばらく、お付き合いください。

内閣官房参与退任

内閣の交代に伴い、9月16日に内閣官房参与を退任し、18日に福島復興再生総局事務局長を退任しました。2016年6月に復興事務次官を退任して、そのまま就任したので、約4年間余りにわたって務めました。

この職は、福島第一原子力発電所事故からの復興を進めるため、現地の政府機関である復興庁福島復興局、環境省福島地方環境事務所、原子力災害現地対策本部を統括します。安倍総理の指示によって、2013年2月につくられました。政府関係機関の連絡と調整を行うとともに、現地での課題を拾い上げること、地元からの意見を聞き対応することが任務です。これまで、復興事務次官経験者が勤めています。事務局長は、私で3代目です。

4年間と言われると「長かったなあ」と感じますが、私にとってはあっという間のことでした。取り組むべき課題が、難しいのです。
放射線量は予想より早く減衰していますが、低減するには時間がかかります。長期的に取り組まなければならない大きな課題と、日々生じる新たな問題。お金と技術があればできるインフラ整備と違い、お金では解決できない課題。そして、人類が初めて経験する、原発事故被災地への住民の帰還を進めることです。
長期にわたって避難を余儀なくされている避難者、ふるさとに戻ることのできない被災者のことを考えると、一日でも早く復旧復興を進めたいのですが。

国の機関の間での問題は、大きくありません。みんな、目標に向かって、課題を調整し解決してくれます。
この仕事を進めるに重要なのは、地元の方々、特に首長達との信頼関係です。国は加害者であり、私はその代理的立場です。首長は、被害者代表です。
時に厳しい関係になります。しかし、復興を進めるという方向において一致しているので、課題をどのように解いていくか。そこが、私の任務です。そして、国(内閣、与党、各省)との調整も出てきます。
関係者の理解を得て、かなり前進したと考えています。もちろん、避難指示が解除されていない地域があり、解除された地域でも、まだにぎわいは戻っていません。道半ばです。

私は、2011年の東日本大震災発災直後から、被災者支援と復興に携わりました。このホームページの「災害復興」欄も、すごい数になりました。ページ数で316、1ページに4つくらい記事がありますから、1000件は超えているでしょう。

当初は地震津波被害が所管だったのですが。だんだん原発事故からの復興も担当するようになり、この職に就いてからは、原発事故からの復興が主たる任務になりました。
発災当初を知っていることから、被災者とはその時の大変さを一部共有していると思います。それが、仕事をする上での、基礎になりました。
関係者の方の期待に、ある程度応えられたと思います。それも、関係者の方々のおかげです。改めて、お礼を申し上げます。
まだ仕掛かりの課題があり、しばらくの間、復興庁顧問として取り組みます。

この間の仕事について、いろいろ考えることがありますが、それは追々書きましょう。

安倍総理からのねぎらい

9月16日の毎日新聞に「首相 惜別の日々」という記事が載っていました。

・・・「よくやってくれた」。安倍晋三首相は、7日に首相官邸で面会した岡本全勝内閣官房参与にねぎらいの言葉をかけた。
総務省出身で復興事務次官を務めた岡本氏は「先般の会見で、レガシー(政治的遺産)を聞かれて、最初に東北の復興の話をしてくれた。復興は道半ばだ。首相には立場が変わっても支援をとお願いした」と語った・・・

なお、安倍総理の東北被災地視察は、合計43回でした。

参考「安倍総理在任中の業績、震災復興
内閣総辞職に当たっての内閣総理大臣談話」(9月16日)
・・・本日、安倍内閣は総辞職いたします。
この八年近く、内政、外交の諸課題に全力でチャレンジしてまいりました。残された課題も残念ながら多々ありますが、同時に、様々な課題に挑戦する中で、達成できたこと、実現できたこともあります。
福島の復興なくして東北の復興なし。東北の復興なくして日本の再生なし。その思いで、政権発足以来、東日本大震災からの復興に全力で取り組んできました・・・