カテゴリー別アーカイブ: ものの見方

憧れとあきらめ

国民の期待値の低下」の続きにもなります。連載「公共を創る」で、日本社会の変化を論じています。

昭和時代(後期)と平成時代と始まったばかりの令和時代を表現する、簡単な言葉は何かと、考えています。
国民の意識を表す一つの表現が、昭和は「憧れ」であり、現在は「あきらめ」になりつつあるのではないかというのが、私の見立てであり心配です。

20年ほど前、総務省に勤務していた頃に、地方行政の現状と課題を話す講演会に、しばしば呼ばれました。その際に、昭和後期の経済発展と行政サービスの拡大と、バブル崩壊後の停滞を説明しました。そして黒板に、昭和後期は「輝」、平成に入って「暗」になったと、一文字ずつ書きます。「では、次の一文字は何でしょうか?」と、聴衆に問うのです。
私が書いた一文字は「創」でした(拙著『新地方自治入門』333ページ)。輝、暗と来て、創は「規則違反」でしょうが。

「つくる」としたのは、未来は私たちが創るものだからです。社会や時代は、神様がつくるものでも、自然とできるものではありません。経済成長もその後の停滞も、日本人が作ったものです。もちろん、国際環境が制約します。
令和時代を、明るいものにするのか暗いものにするのか。それは私たち日本人にかかっているのです。
そう考えると、社会全体に、そして特に若者に「しかたがない」といったあきらめが広がっているように思えるのは、困ったものです。「別に」「なんとなく」「困っていないから」という言葉が流行るのは、あきらめの表現と思えるのです。皆さんは、どう考えますか。

歴史の危機、社会の価値観の転換期

8月31日の読売新聞文化欄、佐伯啓思・京大名誉教授の「歴史の危機 安倍政権の限界」から。

・・・いまから100年ほど前、スペインの文明論者であるオルテガは、その時代を「歴史の危機」と呼んだ。従来の価値観がうまく機能せず、新しい価値観はまだ姿を見せない。そのはざまにあって、人々の信念は動揺し、世の中はせわしなく変動する。
オルテガは、100年、200年単位の長い歴史を展望しているが、10年、20年単位の、いわばその「ミニ版」もありうる。

第2次安倍政権以降の7年8か月はまさに、歴史が動揺する時期であった。冷戦終結以降、当然とされた、グローバリズム、IT革命による経済発展、民主主義の政治、アメリカの覇権は、急速に陰りをみせ、問題を生み出している。中国の覇権主義、トランプ米大統領の就任、欧州連合(EU)での右派台頭は、如実にそれを示している。グローバリズムは富の格差や国家間競争をもたらし、IT革命は情報をめぐる世界的な覇権競争を生み、民主主義は往々にして政治を不安定化させ、アメリカの覇権はリーマン・ショック以来、地に落ちた。かくて、従来の価値観は失効しつつあるが、新たな価値観はまだ見えない。世界史の動乱期である。
こんな状態でかじ取りをする政治的指導者はよほどの覚悟と信念がなければならない。民主主義国の指導者が、世界中で民意や国際情勢に翻弄され続けているのも当然であろう。

しかも日本の場合、それに加えて、東日本大震災からの復興、デフレ経済、中国や北朝鮮からの脅威、人口減少や高齢化などがのしかかっていた。気の遠くなるような話である。安倍首相が政権運営を負託されたのはこのような困難の真っただ中であった・・・

拙稿「公共を創る」も、日本社会について、平成時代、令和時代が日本の転換点であることを議論しています。ただし私の議論は、日本の内なる社会が変わったことです。

内海健著『金閣を焼かなければならぬ 林養賢と三島由紀夫』書評

先日この欄で紹介した、内海健著『金閣を焼かなければならぬ 林養賢と三島由紀夫』(2020年、河出書房新社)。9月5日の朝日新聞の書評で取り上げられていました。評者は、石川健治・東京大学教授(憲法学)です。

・・・金閣を炎上させた若き僧侶・林養賢に対して、精神科医の「メタフィジカルな感性」を駆使して肉薄し、人間と社会、文学と制度、主観的精神と客観的精神の根本問題に迫ろうとした、全体化的モノグラフの傑作。
各分野の古典へ目配りを怠らず、常に地図を示しながらのナビゲーションは、読者に安心と納得を与える練達の臨床医の筆である・・・

・・・出来事としての「分裂病」へのアプローチは、「了解が挫折したところから始まる」。「社会というフレーム」にぶつかって初めて像を結ぶ「狂気」を主題化するためには、彼が抗った「得体の知れぬ他者」としての「言語」「社会」「制度」「権力」を問うと同時に、そこで彼が示した「実存の強度」そのものに向き合う必要がある。
著者は、「語り得ぬもの」としての金閣放火にとどまらず、養賢と三島のその後をも執拗に追跡する。問題意識の拡がりは、1968年のパリ5月革命に想いを馳せるあとがきにも明らかだ。何を引き出すかは、読者次第だということだろう・・・

個人の社会経済観が規定する社会と市場の秩序

8月5日の日経新聞経済教室「 アフターコロナを探る」、寺西重郎・一橋大学名誉教授の「米中、文明の衝突避けよ」は、統治制度、経済力からでなく、個人の社会経済観から日本、中国、アメリカの社会秩序の違い(私が使う司馬遼太郎の言葉では「この国のかたち」の違い)から、西欧と中国との違いを解説しておられます。

・・・コロナ禍の出現により、米中の対立は米政治学者のサミュエル・ハンチントンが指摘した「文明の衝突」であることが一段と明らかになった。それは単なる貿易摩擦でも覇権争いでもない。やはり一種の文化的争いとしてみる必要がある。
同氏は、冷戦後の世界では西欧文明の普遍性は否定され、西洋と儒教文化圏中国やイスラム教諸国などとの宗教などに関わる文明の衝突が、世界の均衡と成長のあり方を規定すると主張した。だが文化的要素の違いが西洋文明の普遍性を否定するメカニズムについて立ち入ることはなかった。
しかし重要なのはこのメカニズムだ。本稿では、社会と市場の秩序付けの方法は、その国の歴史的・伝統的な個人の社会経済観により決まるという立場から、米中対立の文明の衝突としての性格を読み解く。ここで社会経済観とは、各国の個人が日常の生活経験で抱く社会や経済の環境に関する見方という意味だ。国家などが様々な意図をもって市場や社会を統治しようとするが、その方法は基底では個人の社会経済観により規定されると考えるのだ。

新型コロナへの対策は、各国の個人が描く内面的な社会経済観と政府・民間の政策を巡るインターフェース(接点)の文化的特質を、結果的に如実に示すものとなった。コロナ対策でも香港政策でも、自由や人権といった普遍的とみられる価値に対する中国の否定は、単なる共産党の独裁体制維持行動によるものでなく、中国国民の基層的な社会観によると考えるべきだ。
まず西欧の自由・人権・民主主義といった啓蒙的価値の起源を振り返ろう。12世紀のイタリアの都市に典型的にみられるように、早くから社会的行動への市民的参加とネットワークが慣行として成立していた。
この背景には、独社会学者のマックス・ウェーバーが強調したキリスト教の下での神の創造した人類や公共を重視する観念の影響がある。他者への考慮でなく、公共概念を基軸とする集団的意図性が人々の世界観に組み込まれてきた。集団的意図性の下では、人々の社会的な制度やルールに関する合意が成立しやすく、社会と市場の秩序を守ることが低コストで可能となる。
加えてルールや法制度は公共の目的のため人々の行動を制約するので、法治制度の下でルールを適用し社会秩序を維持するには、自由・人権・民主主義といった自律的な個人としての人間の啓蒙的価値の尊重が不可欠な前提となる。これが17~18世紀社会契約論での取り決めだった。西洋は理性への高度の信頼の下で、自由と人権の価値を強調しつつ、制度により市場秩序を維持することで、高度な文明社会を構築してきた。
啓蒙的価値は法と制度による社会と市場の秩序付けという法治と一体となり、相互補完的な仕組みとして広く西洋社会に浸透した・・・

・・・これに対し中国では、公共の観念に基づく集団的意図性は人々の内面的な社会観では成立しなかった。独特の死生観に基づく家族観と先祖崇拝が社会を縦に分断した結果、公共意識による社会的な意見の集約が難しくなり、ルールとしての法制度による市場と社会の秩序付けを困難にした。
中国での社会と市場の秩序付けの方法は「士庶論」とも呼ぶべき、社会をエリートと非エリートから成る二重構造としてみる社会構造観から生まれた人治による秩序付けとして要約できる。士庶論は三国時代にまで遡るエリート(士)と非エリート(庶)から成るとする社会観だ。三国時代は門閥貴族が、隋・唐時代以降は科挙に合格した士大夫と呼ばれる官僚が、おそらく現在では共産党員が、エリート層を構成すると意識しているとみられる。
士庶論の重要性は朱子学の成立以後、理気論の人間観と結合したことだ。すなわち本然の性たる天の理を会得した人は聖人になり、その他の多くの人は気質の性にとどまり、未完成な道徳的修養のままの状態に生きるという人間観だ。
こうして中国での社会の秩序付けの基本は、士庶論と理気論に基づく人治を基本とするものとなった。聖人として天の理を体得した集団が社会のリーダーとなる。一方、非エリート層はエリートの判断下で自由や人権の制限を含む罰則を前提に許容されているのだ・・・
・・・第3に一層重要なのは、法制度による秩序付けと一体の自由・人権など啓蒙的価値は、エリートによる人治の下で奔放に行動する中国の非エリート層には理論上意味を持たないことだ。
中国の国民は経済的繁栄のために自由と人権の軽視を容認しているとみるのは皮相的で危険だ。伝統的な中華思想やアヘン戦争以来の屈辱の歴史が、中国エリート層の反西洋心性の基本にあるのは確かだが、それが中国人の内面化された社会観のすべてではない。真の問題は国民一人ひとりの内面化された経済社会観が西洋の啓蒙的価値の低評価をもたらしていることだ・・・

付いている「日米中の個人の社会経済観と統治方法」の表がわかりやすいです。
内面化された個人の社会経済観:アメリカ、公共と自律した個人。中国、士と庶の二重構造論と理気論。日本、公共と身近な他者。
社会と市場の統治方法:アメリカ、法治と制度。中国、人治。日本、法治。
ただし、私の考えでは、このホームページでも書いているように、戦後日本の統治方法は、法治の前に「社会規範」があるようです。コロナウイルス外出規制を、法律より自粛で行う国です。

連載「公共を創る」第32回社会的共通資本、憲法と文化資本では、「現代日本のこの国のかたちの要素」を図にして説明しました。そこでは、骨格として「法や制度」、実態として「社会での運用」、その基礎にある「国民の意識と生活」を示しました。制度が文化資本を誘導し、文化資本が制度の運用を左右すると指摘しました。
寺西先生の主張は、私のこの意見を補強してくださいます

制服の機能

8月4日の読売新聞「戦後75年」は、桂由美さん(ブライダルファッションデザイナー)の「颯爽と見えた軍服姿」でした。

・・・終戦後、しばらくして学校が再開しましたが、通学途中の光景は、耐えがたいものでした。
あちこちにできた闇市には、みすぼらしい服装の男性がたくさんうろついている。薄汚れた軍服を着ている人もいました。戦時中、颯爽としていると思っていた軍人の姿は、いったい何だったのだろうか。あまりの変わり果てた姿から、目を背けるしかありませんでした・・・

制服の機能が、良く現れています。着ている本人でなく、着せている組織を表現しているのです。
もっとも桂さんは、戦時中に颯爽と見えた軍服が、敗戦後にはみすぼらしく見たと書いておられます。その内容なら、表題は「颯爽と見えた軍服姿が・・・」でしょうか。