「ものの見方」カテゴリーアーカイブ

みんなの範囲

「みんな」「皆」と聞いて、あなたはどのような数を思い浮かべますか。国語辞典で引くと、「そこにいる人すべて。全員。また、あるもの全部。多くの人々に呼びかける語としても用いられる」とあります。

でも、「みんなが・・」という場合に、必ずしも全員でないこともあります。100人いて、そのうちそのうち80人が黒っぽい服を着ていた場合に、「みんなが黒っぽい服を着て」と言うことがあります。日常会話では、厳密に「100人のうち、80人ほどが黒っぽい服を着て」とは言いませんよね。

もう一つは、子どもが言う「みんなが・・」です。「あのおもちゃを、××ちゃんも、○○ちゃんも、みんな持っている」と言う場合、しばしば3人や4人で「みんな」と言うことがあります。よくよく聞いてみないと、まちがいます。笑い。

世界人口の予測

11月15日の読売新聞に「世界人口減 遠くない未来」が載っていました。

・・・20世紀に入ってから急増した世界の人口はいま78億人。一体どこまで増えていくのだろうか。
国連が昨年公表した予測によると、人口は当面伸び続けるが、2100年に109億人でピークに達する可能性がある。今世紀中に増加が止まる、あるいは減少に転じる確率も27%あるという。しかし、各国の研究者からは、人口減はずっと早く始まるのではないか、という予測が相次いで出されている。
例えば、米ワシントン大のチームは今年7月、グラフで示したように、人口のピークは2064年の97億人で、今世紀末には88億人まで減るとする試算を発表した。ピークはもっと早くて、2050年頃とみる専門家もいる。
人口の増加に急ブレーキがかかりそうなのはなぜか。最大の理由は、先進国だけでなく、多くの途上国、特にアフリカで女性が産む子供の数が予想以上の速さで減っていることだ。背景には、女子の教育や避妊の知識の普及がある・・・

記事には、各国の人口の予測だけでなく、「若さ」年齢中央値、「構成」人種なども載っています。日本の位置も。原文と図表をご覧ください。

位置づける

ある思想家とその時代、以前、以後」の続きです。かつて、「内包と外延、ものの分析」「内包と外延、ものの分析、2」を書いたことがあります。

・・・あるものごとを解説したり分析する際に、そのものごとの内部を深く分析します。これを内包的分析と呼びましょう。もう一つは、そのものごとが社会でどのような位置を占め、どのような影響を与えたかを分析します。これを外延的分析と呼びましょう・・・

周囲(社会)の評価。歴史上の意義。ヨーロッパにおけるキリスト教の意義を理解するのに、聖書と教会を研究しただけではわかりません。どのように社会に受け入れられたか、どのように社会に影響を与えたかの研究が必要です。
日本の官僚が、この30年間で地位を落としたことを理解するには、官僚と行政の中を研究してもわかりません。社会における役割や評価が変わったことを研究する必要があります。
内に向かって深く掘り下げてもその意味はわからず、広く外の世界の中に位置づけてこそ、その意義がわかるのです。

憧れとあきらめ

国民の期待値の低下」の続きにもなります。連載「公共を創る」で、日本社会の変化を論じています。

昭和時代(後期)と平成時代と始まったばかりの令和時代を表現する、簡単な言葉は何かと、考えています。
国民の意識を表す一つの表現が、昭和は「憧れ」であり、現在は「あきらめ」になりつつあるのではないかというのが、私の見立てであり心配です。

20年ほど前、総務省に勤務していた頃に、地方行政の現状と課題を話す講演会に、しばしば呼ばれました。その際に、昭和後期の経済発展と行政サービスの拡大と、バブル崩壊後の停滞を説明しました。そして黒板に、昭和後期は「輝」、平成に入って「暗」になったと、一文字ずつ書きます。「では、次の一文字は何でしょうか?」と、聴衆に問うのです。
私が書いた一文字は「創」でした(拙著『新地方自治入門』333ページ)。輝、暗と来て、創は「規則違反」でしょうが。

「つくる」としたのは、未来は私たちが創るものだからです。社会や時代は、神様がつくるものでも、自然とできるものではありません。経済成長もその後の停滞も、日本人が作ったものです。もちろん、国際環境が制約します。
令和時代を、明るいものにするのか暗いものにするのか。それは私たち日本人にかかっているのです。
そう考えると、社会全体に、そして特に若者に「しかたがない」といったあきらめが広がっているように思えるのは、困ったものです。「別に」「なんとなく」「困っていないから」という言葉が流行るのは、あきらめの表現と思えるのです。皆さんは、どう考えますか。

歴史の危機、社会の価値観の転換期

8月31日の読売新聞文化欄、佐伯啓思・京大名誉教授の「歴史の危機 安倍政権の限界」から。

・・・いまから100年ほど前、スペインの文明論者であるオルテガは、その時代を「歴史の危機」と呼んだ。従来の価値観がうまく機能せず、新しい価値観はまだ姿を見せない。そのはざまにあって、人々の信念は動揺し、世の中はせわしなく変動する。
オルテガは、100年、200年単位の長い歴史を展望しているが、10年、20年単位の、いわばその「ミニ版」もありうる。

第2次安倍政権以降の7年8か月はまさに、歴史が動揺する時期であった。冷戦終結以降、当然とされた、グローバリズム、IT革命による経済発展、民主主義の政治、アメリカの覇権は、急速に陰りをみせ、問題を生み出している。中国の覇権主義、トランプ米大統領の就任、欧州連合(EU)での右派台頭は、如実にそれを示している。グローバリズムは富の格差や国家間競争をもたらし、IT革命は情報をめぐる世界的な覇権競争を生み、民主主義は往々にして政治を不安定化させ、アメリカの覇権はリーマン・ショック以来、地に落ちた。かくて、従来の価値観は失効しつつあるが、新たな価値観はまだ見えない。世界史の動乱期である。
こんな状態でかじ取りをする政治的指導者はよほどの覚悟と信念がなければならない。民主主義国の指導者が、世界中で民意や国際情勢に翻弄され続けているのも当然であろう。

しかも日本の場合、それに加えて、東日本大震災からの復興、デフレ経済、中国や北朝鮮からの脅威、人口減少や高齢化などがのしかかっていた。気の遠くなるような話である。安倍首相が政権運営を負託されたのはこのような困難の真っただ中であった・・・

拙稿「公共を創る」も、日本社会について、平成時代、令和時代が日本の転換点であることを議論しています。ただし私の議論は、日本の内なる社会が変わったことです。