司馬遼太郎さんは、明治時代の東京、特に東京大学(帝国大学)を、欧米文明を受け入れ地方に配る「配電盤」と表現しました。とてもわかりやすい表現です。霞ヶ関の行政機構も、欧米から輸入した行政サービスを、日本各地に行き渡らせる配電盤でした。
組織に置き換えると、ヒエラルキー(階統制)で、上位の職から下の職へ指示が下りることに似ています。
他方で、集電盤という仕組みがあります。配電盤が電気を分配するのに対し、集電盤は別々の電気を集めます。個別に発電された太陽光発電を、一つにまとめる場合とかです。
これを組織に当てはめると、ある知識や指示を「分配」するのではなく、別々の情報や知識を「集めて整理」することです。ところが、ただ単に集めただけでは「おもちゃ箱状態」になって利用できないので、一定の目的や基準で整理する必要があります。
この集電盤機能は、意外と難しい作業です。配電盤機能なら、受けたものをそのまま伝えるか、指示をかみ砕いて伝えればすみます。しかし集電盤機能は、ある目的のために、雑多な情報から必要なものを選び出し、分類を設定してそれら情報を整理し、それを上司や関係者に説明しなければなりません。
目的がはっきりしている場合、例えば上司から指示があった場合は、比較的簡単です。とはいえ、どのような分類にするのか、何を取り何を捨てるのか。難しい場合があります。東日本大震災では、全国に避難した避難者を(地域と施設別に)把握する際に、これに該当しました。
他方で、目的がはっきりしていない場合はもっと難しいです。例えば新たな課題と思われる事象が頻発していて、それを認知し対策を考える場合です。社会的問題で言えば、引きこもり、孤独死、子どもの貧困、虐待、家庭内暴力などが、それに当てはまったでしょう。それら問題の定義も範囲もはっきりしません。というか、それを決めるために事象を拾い上げ、分類するのです。初めから範囲と分類が決まっているのではなく、作業の過程で定まっていくのでしょう。
組織の幹部や管理職は、日々、このような状態に置かれています。人工知能には、できない作業だと思います。