昨日の続きです。審議会の機能一つに、利害対立の調整が上げられることがあります。労使間や、医者と支払者、企業と消費者などなど。しかし、この機能も問題です。私は、審議会の整理をしているときから、変だなあと思っていました。結論から言うと、国会は何のためにあるのかということです。
例えば、今日の日経新聞「雇用改革論議を再開、厚労省が論点整理。労働政策審議会に厚労省が新たな論点を示すことで、来年の法整備に向けた本格的な論議が再開される・・」という記事の末尾に、「労使がそれぞれの利害を主張しあう旧来型の議論のスタイルが限界にきているとの批判も多い」との指摘があります。
まず、利害調整についてです。通常、議会などでは、ある議題を審議するときに利害関係者は退席させられます。当事者に有利にならないようにです。また、当事者が議論して結論を出すとすると、折り合いがつくまで結論が出ないのです。すると、合意ができるまで先延ばしする「全会一致の政治」になります。これでは、改革は進みません。利害関係者の意見は良く聞くべきです。しかし、結論はその人達を外して決定すべきなのです。
次に、利害代表者というものについてです。このような審議会の場合、委員は既成勢力の代表であって、それ以外、例えば国民が外れていることも多いのです。労働代表は、弱者の代表と思いがちですが、実は企業組合員の代表であって、それは今や勝ち組の代表です。結果として、この労働審議会も、パートや婦人を外していたのです。教育にあっては、設置者(文科省)と日教組の対立ととらえがちですが、顧客である児童生徒・保護者を忘れていることは、三位一体の記述で何度か指摘しました。その根底には、これまでの行政が、供給者の保護育成という立場であったことがあります。金融行政、畜産行政、薬品行政などについても、このHPで指摘しました。
利害調整は、それこそ、それらの対立する集団の代表であり、国民の代表である国会議員が行うべきことです。先の記者の言葉を借りれば、「今まで、労働者の代表、弱者の代表といっていた政党は、何をしていたのでしょうか」。