きょうは、少し毛色の変わった話を。
「構想」という言葉を、気に入っています。
鈴木淳著『維新の構想と展開』 (2002年、講談社、日本の歴史20。講談社学術文庫に再録)が出版されたとき、このタイトルを見て、「構想」ということばを、再認識しました。
官僚になってから、いえ官僚を目指して東大法学部で勉強をしていた頃から、官僚の役割は何かを考えていました。当時は、政治家の回顧録や評伝などを読んで、漠然としかわからなかったのですが。
官僚になって、また自治省という職場の特性から、早い時期から管理職として、組織、地域、日本をどのように作っていくのか・変えていくのかを勉強させられました。
その頃、漠然と思っていたことが、この「構想」という言葉で、はっきりしたのです。
「構想」は、「夢」や「計画」とは、少し意味が違います。夢は持っているだけで、そこに至る計画や実行がなければ、実現しません。まさに「夢想」であり、しばしば「夢物語」です。
計画があって、夢が実現に向けて進み出します。しかし、計画は単一のものです。いくら良い計画でも、しばしば他のものと競合し、時に邪魔されて、実現しません。
構想は、計画より広い内容です。一部の計画でなく「全体の内容」が必要です。部分だけではダメです。ぴったりした英語は見当たりませんが、和製英語だと、「グランドデザイン」でしょうか。
あわせて、「それを実現するための方法」も含みます。絵空事でなく、実現するための工程が必要です。そして、それに従った実行も。「計画倒れ」ではダメなのです。
この講談社の「日本の歴史」シリーズには、佐々木隆著『明治人の力量』(2002年、講談社)もありました。「力量」もよい言葉ですね。
この項続く。