「国政と中間集団」の続きになります。
政党や政治団体の機能について、長い間考えているのですが。政党は、日本社会の意見の違いを拾い上げているのか。また、労働組合は、なぜかつてほどの力を失ったか。知識人は、なぜかつてほどの影響力を失ったのか。新しく政党が対立するとしたら、どのような軸で対立するのかです。すると、日本社会には、どのような対立があるかを考えなければなりません。
戦後の日本では、「55年体制」といわれた、自民党と社会党の対立が政治の対立軸でした。保守と革新、右翼と左翼、親米と親ソ(ソビエト)とも言われました。しかし、冷戦が終わって、東西対立が消滅しました。資本主義対社会主義は対立軸でなくなりました。社会党が、存立基盤をなくしました。労働組合も、経済成長もあって、存在理由が希薄になりました。経営者対労働者も、対立軸にならなくなりました。
では、次の対立軸は何か。政治理論、目指す社会、政治勢力、政党を分かつ基準です。
私は、地方対都市が一つの対立軸だと考えていました。地方行政を仕事としていたことも、その理由にあります。もう一つは、借金を続ける現世代と、その借金を払わされるこれからの世代もあると思いました。でも、これらは主たる対立軸になりませんでした。
しかし、だんだんと社会内の対立が見えてきたようです。それは、これまでの政治理論とは、全く異なった次元のようです。その中の2つを取り上げましょう。
一つは、保守と革新です。といっても、かつてのような右翼対左翼、資本主義対社会主義ではありません。
極めて単純化すると、これまでの男社会、企業社会を続ける人たちが保守で、それを壊す志向が革新です。日本社会の行き詰まりは、これまでこの国を支えてきた男中心の社会、会社につくす生活態度に大きな原因があります。これを壊すことが、革新なのです。
もう一つは、社会にうまく適応できた人と、できていない人の対立です。正規対非正規に典型的に現れています。一億総中流は過去のこととなり、格差社会になりつつあります。その格差は、かつてのような単純な貧富の差ではありません。
引きこもり、不登校やいじめに遭った子どもも、入るかもしれません。このような、社会にうまく適応できなかった人たちは、政治勢力になっていません、なりません。この人たちの声をどう拾うか。労働組合はそれに失敗し、これらの課題はNPOが拾っているようです。野党には、その役割が期待されています。また、与党も政権を維持し、支持を広げるために、そのような新しい課題を拾うべきです。
このように見ると、日本社会と政治の停滞は、どのような未来をつくるのかについての合意や対立がないこと、そして現在社会の問題や対立を分析できていないことによるのでしょう。