「文明の衝突」発刊25年

11月23日の読売新聞、待鳥聡史・京大教授と池内恵・東大教授の対談「「文明の衝突」刊行25年 影響と評価」から。
・・・自由民主主義で世界が覆われるかのような楽観論を一蹴した米国の国際政治学者サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』が刊行され、今年で25年。刊行後の世界やこの本の意義について、比較政治研究の待鳥聡史・京大教授と、イスラム研究の池内恵・東大教授に語り合ってもらった・・・

池内  本書の一番のテーゼ(命題)は、西洋文明に対する、最も明確な挑戦者がイスラム文明だと言い切ったところです。中東では、超大国・米国の政治学の権威に認められたと受け止める傾向が強い。一方、潜在的な敵として描かれたと不快感を抱く人もいる。中東では文明の衝突論がねじれた形で受容され、人々の冷戦後の世界観を規定した面があります。9・11の米同時テロの首謀者、ウサマ・ビンラーディンなどは、まさにイスラム文明が西洋文明に挑戦しているとの世界認識を持つとみられます。
待鳥  世界規模で人々の思考の枠組みを無意識に規定してきたのだと思います。本書は、フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』(1992年)と、時に対比されて論じられてきました。自由民主主義が冷戦に勝ち、体制間競争はなくなったとするフクヤマの見方に対し、ハンチントンは文明間競争が残っていると主張したからです。実際、2010年頃までは、非国家主体が続々と現れ、国際政治のかく乱要因になった。文明の衝突論は、そうした状況に適合的に見えました。

待鳥  ただ、ハンチントンの議論は、学術的には扱いにくい。文明という概念は、何かをつかんではいるのですが、定義が難しく、経済指標のように測れないからです。定義や測定ができないものは、今の比較政治学では取り上げるのが難しい。また、文明は、簡単に変化しないのに、実際の政治変動や紛争は広く起きている。政治学が科学であろうとすれば、文明が「原因」との説明はできないのです。
池内  現在の学術界の研究成果といわれるものは、集合知にどれだけ積み増し、どれだけ引用されたかが評価基準になる。本書はそれらと一線を画し、彼個人の直感に多くを依存し、方法論としても定式化しにくい。超大国の介入を正当化しているなどと、刊行直後から多くの専門家に批判されました。疑問点はたしかに多く、いま本書が書かれたら、日本は独自の文明に入らないでしょう。

待鳥  現実をつかむために学者がするのは、地図を描くような作業。球体である地球を平面に描くと必ずゆがむので、地図は常にどこかが間違っている。それでも目的によって、正しい部分の価値が大きいなら、その地図を使うわけです。今、世界地図を描くような研究は、間違いを批判されるから取り組まれない。ただ、ごく一部を精密に捉える地図ばかりでは、全体は見えてきません。
池内  政策当事者は、現実にあるものを、雑ぱくでも大づかみにする言葉を求めています。文明の衝突論は、おおむね共有されている常識をざっくりと言語化してくれ、有用だから生き残ったと言えますね。
待鳥  文明という言葉は、国民性や県民性という言葉と、使われ方が似ています。あいまいな概念なのに、本質的なものを含むと感じる人が多い。しかし、学術界はそのあいまいさを嫌う。結果的に学術界と一般社会との距離は広がり、読む本や知識を共有できなくなっています。
池内  政治学は科学化して厳密になったものの、社会との接点が乏しくなってきたのですね。
待鳥 残念なことです。政治の世界には、うまく整理できない要素が多く存在します。それを、科学化を重視して切り捨てるだけだと、社会の見取り図を提示できない。バランスが難しいのです。