できあがったものか、つくるものか2

できあがったものか、つくるものか」の続きです。
この2つの見方の違いは、社会や制度を「固定したものと見るか、変化するものと見るか」と言ってもよいでしょう。政治学・政治過程論では、ある政策ができあがる過程を学ぶのですが、できあがった結果を受け入れてしまい、それが固定したものと思ってしまうのです。

官僚や公務員に対する批判の原因の一つが、これだと思います。
公務員は、制定された法に従って、個別事案を処理します。「その住民が法に定められた条件に合致すれば生活保護の対象になる、合致しなければ対象にならない」というようにです。
ところが、法律の定めにないこと、あるいは法律が現実にそぐわなくなったときに、どうするか。かつてエアコンが行き渡っていない時代に、生活保護家庭がエアコンを入れたことが問題になりました。「贅沢品であるエアコンを取り外すか、生活保護対象から外れるか」とです。

「法律に書いていないので、だめです」というのか、法律の解釈を変えるのか、法律の改正や新法を考えるのか。制定法の解釈学で育っていると、またできあがった制度の分析で育っていると、改正や新法を作る思考にならないのです。
これに対し、今ある法律は、しょせんは「変化する社会に一時的に合致しているもの。社会は変化するので、それに従って変えるべきもの」という思考なら、どんどん改正するでしょう。

組織や制度を安定に維持するためには、発生する内外の変化に、対応しなければなりません。現実の変化に応じて改革し、その変化を吸収するようにしなければなりません。制度を維持し社会を保つためには、改革が必要なのです。
それら変化を時代の趨勢に任せて、管理者は何もしない場合もあります。それは保守ではなく、先送りであり、無為無策です。変化に耐えきれなくなると、組織や制度は壊れてしまいます。

「保守と革新」「維持と改革」といった言葉で、改革するかしないかが表現されますが、これは改革作業の大小を示していると考えるべきです。より大きな対立概念に「作為と無策」があり、作為の中に「保守と革新」があります。