住専問題、行政手法の転換

日経新聞連載「平成の30年 陶酔のさきに」、12月9日は、「住専問題こじれ威光失った大蔵省」でした。バブル後の金融機関問題、もう一つは住宅金融専門会社(住専)でした。詳しくは本文を読んでください。
国は6,850億円をつぎ込んで処理をしようとしましたが、住専7社の清算で発生した1次損失は、6兆5千億円でした。しかし、銀行が処理した不良債権は100兆円にものぼり、住専は氷山の一角でしかなかったのです。

この記事では、大蔵省の手法が通用しなくなり、威信が低下したと書いています。また、大和銀行ニューヨーク支店の巨額損失事件への対応のまずさも、書かれています。「金融村」の中で、財務省が主導する形で処理することができなくなり、公開の下で処理せざるを得なくなりました。
記事には、次のような「視点」もついています。

・・・大蔵省が住専問題を思い通りに処理できなかった原因は、農林系統金融機関の政治力だけではない。1995年9月に発覚した大和銀行(現・りそな銀行)ニューヨーク支店の巨額損失事件への対応のまずさも背景にあった・・・
・・・住専問題を国内の問題としてとらえ、銀行界さえ押さえ込めば従来の行政手法で処理できると考えた大蔵省の認識はあまりにも甘かった。ニューヨーク事件と住専問題での失態で大蔵省の権威は失墜した。金融や財政問題ににらみをきかせる機能が弱まり、責任の所在もあいまいになった・・・
これらの事件は、行政主導が限界になったことを表しています。しかし、事件を起こした金融機関だけでなく、それ以上に役所も批判されています。役所の責任と役割はどこまでなのか。難しい課題です。