コロナウィルスは、各国のお国柄の違いや政府の対応の違いをも、見せてくれます。医療体制の充実度の違い、政府による国民の行動制限措置の違い、国民の遵守の違いなどなど。
政府と国民との関係も見えてきます。国民に厳しいことを言える国と、言えない国との違いも。罰則をもって、外出を規制する国もあります。国民の生活や経営困難に対して、どのような金銭的支援をするか。マスクを配るかなどにも、違いが出ます。
4月9日の日経新聞オピニオン欄、村山恵一・コメンテーターの「コロナと戦えるIT社会 問われるプライバシーの感度」は、各国のコロナ対応にIT(情報通信技術)を用いる違いと、個人情報保護について書いていました。主旨はITの活用ですが、ここでは次の部分を紹介します。
・・・そしていま避けられないのが、個人データの活用を巡る議論だ。
世界を見渡すと個人の移動や居場所、体調などのデータをさまざまな方法で集め、感染の抑えこみに使う動きがアジア、欧州に広がる。強力な武器だが、懸念もある。中国のシステムは国家監視の色彩が濃い。韓国では無関係な個人情報まで漏れ問題化した・・・
病気を押さえ込むために、ITを使って各人の行動を監視することと、個人情報保護とをどのように両立させるか。議論が続くでしょう。
村山さんの記事の主旨に戻れば、戦争中に関連する技術が大きく進歩します。勝つために、お金や技術者を動員するからです。今回の病気との闘いも同様でしょう。お金と技術者がつぎ込まれます。そして、新しい技術とその実装が進みます。
そこに、新しい技術と社会生活をどのように折り合いをつけるかが、問題になります。これは科学技術の問題でなく、政治社会の問題です。そこに、各国のお国柄の違いが出てきます。